本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

ある判決

2020-07-23 09:03:14 | Weblog
 モンゴメリー・クリフトは、1966年の今日23日が命日である。半世紀以上も前に亡くなっているので、知っていた人も記憶の彼方に消えた俳優だろう。
 この俳優の主演に「私は告白する」という映画がある。監督はヒチコックだ。
 
 簡単なあらすじだが、神父のモンゴメリーが強盗殺人を犯した男から懺悔室でその罪の告解を聞く。カトリックでは懺悔室の告解内容に守秘義務があって警察にそれを漏らせない、それどころか、神父が強盗殺人の容疑者になる。果たしてその結末は…あらすじは打ち切る。

 裁判官の判決の本に、罪を犯した少年を教会の牧師がかくまった。これが犯人蔵匿罪として罰せられるか否かの事例があった。
 余分を挟むと、カトリックでは神父、プロテスタントでは牧師というらしい。

 さて、「迷える子羊」救済の宗教上の行為と犯罪者隠匿の刑法上の行為のどちらを優先させるのか。判決は牧師無罪である。
 その理由は、罪を犯した少年を更生させる目的でかくまうことは牧師としての教会の正当な業務的行為という。正当な業務的行為とは、その者が繰り返し行う業務の行為だから法に適うことのようだ。
 わかりやすい例で言えば、外科医は傷害罪に問われることなく患者の体にメスを入れる。言うまでもなく、繰り返し行われる外科手術は正当な行外科医の業務上の行為であるわけだ。

 話を戻すと、少年の犯した罪は家宅侵入罪だった。この程度の罪だから赦せるのだろう。重罪の場合はそうはいかない。
 そうそう、モンゴメリー・クリフト。憂いを含んだいい俳優だったな。