ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

あの、とんでもない災禍の日から9年。

2020-03-12 06:28:20 | 日記
 あの、とんでもない災禍の日から9年経ちました。
 今年は、東日本大震災による犠牲者に対する追悼の行事も、原発事故の検証につい
 ても、新型コロナウイルス関連で行事が自粛されていますので、身近には感じられ
 ません。
 そんな中で、10年に一回くらいは、こうした不測の災害などが起こるのだろうか、
 などと考えています。
 居住地周辺の放射線値は、暮らしていくには不安を覚えない数値になっています。
 でも、近隣の市町村では「出荷停止」となっている山菜なども、まだありますので、
 すっかり以前の山や川に戻ったとは言えません。
 それでも、ふるさとの山河の佇まいは、いつでも私の心を和ませてくれています。
 無い物ねだりになりますが、「クルマがあれば」雪解け間近な木立の匂いの中で深
 呼吸をしてみたい、などとの思いを込めながら、山並みを眺めています。

 2年前のブログ記事の一部を再掲させていただきます。
  【・・・・・・
  『3・11』 東日本大震災が起こって7年経ちました。
  震災の記憶を後世に伝え、同様な災禍に見舞われた場合に留意すべきことなどを
  送り伝えようとしても、月日の経過は、残念ながら思うようには行かないのが世
  の常。
  私の住む福島県は、地震・津波に加えて、原発事故による放射線汚染という被害
  に遭いました。
  いや、過去形ではなく現在進行形です。
  確かに、7年と言う時間の経過は、物理的な放射線値の減少や、居住地域の「除
  染」の結果、多くの地域が住むことへの不安が少なくなっては来ました。
  事故を起こした当の第一原発も、周辺は大分整備され放射線値も小さくなっては
  いますが、肝心の「デブリ」の処理に関しては、まだその工程も定かになってい
  ない状態です。
  汚染水も、早晩 置き場所が無くなってしまうことは明らかです。
  何とかして、廃炉という困難な作業を成功させなければ、という課題が残されて
  いますので、事故の記憶を風化させてしまうわけにはいきません。
  とは、いっても
  「覆水盆に返らず」の譬え。
  この地で生きていくために、それぞれの人が、それぞれの選択を余儀なくさせら
  れています。
  隣町に住む芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久氏が、この一月、『竹林精舎』(朝日新
  聞出版)を出版。
  私も読んでみました。
  震災から7年、書かれるべくして書かれた作品の様に思えました。
  内容は、紹介いたしません。
  ただ、氏が、作品の「あとがき」に記している言葉に共感を覚えましたので引用
  させて
  いただきます。
 
  《脱稿した今、つくづく思うのは「風」のありがたさである。
  福島には「風」に運ばれて放射性物質も降下したが、「風」は人生そのものを予
  測もしなかった方向へ大きく運びもする。
  「風」とは、仏教でいう「縁起」そのものではないか。
  ボブ・ディランが歌った様に、答えが「風」の中にあるかどうかはわからないが、
  少なくとも「風」があれば、生きていける。
  生きつづけていれば、いずれ答えに出逢う。
  「竹林」という、いつも「風」を孕(はら)む場所が大好きな所以(ゆえん)で
  ある。》
 
  読み終えて、ふっと思ったのです。
  良寛さまの『天上大風』 の文字が画かれた掛け軸、暫く掛けていなかったから、
  出してみようかな、と。
  そして、
  〔「トイレの無いマンション」たる原発は、稼働させてはいけない〕
  と、訴え続けようと。】

 上記のブログを書いてから2年経ちましたが、廃炉に関しては、まだまだ手探りの状態。
 そして、大量の処理水問題が喫緊の課題です。
 
 いい風よ吹け。
 合掌。
                            〈ゴマメのばーば〉
コメント
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