一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『貝と羊の中国人』と『漢文の素養』

2006-08-26 | 乱読日記

この2冊の筆者加藤徹氏は京劇の研究家です。

『貝と羊の中国人』は「中国人とは何か」について、『漢文の素養』は日本人が漢文をどのように取り入れて「教養」として文化の核としていったかについての本です。


『貝と羊』は三千年前の殷周時代にさかのぼり、殷人の「貝の文化」と周人の「羊の文化」の融合から中国人の気質を豊富な故事をひいてあざやかに分析しています。

殷人は豊かな東方系の農耕民族で貝を貨幣として使い、多神教で人間的な神々(日本の「八百万の神」に通じ、酒やごちそうなど物質的な供え物を好む)を信仰していました。そのため有形物財に関わる漢字に貝が含まれる(宝、財、費、貢、貨、貸、貯、貰、贅、贖etc.)のは、そのなごり。
一方周人は中国西北部の遊牧民族系で、唯一至高の神である「天」を信じてました。天はイデオロギー的な神で、羊を捧げるだけでは不十分で、無形の善行を伴わなければ嘉納してくれませんでした。そのため、無形の「よいこと」を示す漢字に羊が含まれる(善、義、美、祥、養、犠、儀etc.)のはそのなごり。

著者は中国にはホンネとしての「貝の文化」とタテマエとしての「羊の文化」の両方を受け継いでいるところに強みがある、といいます。

そしてまた、現代中国においては「言論の自由」がない中で中国人のタテマエだけを聞いていてもホンネはなかなか見えてこない、として、さまざまなエピソードから中国人の「貝」と「羊」を明らかにしていきます。

著者はいわゆる「親中派」でも「反(嫌)中派」でもなく、ありのままの中国を理解しようとしています。

 外国を理解するときに勘どころとなるのは、しばしば、その国の人にとって自明の、空気のような機微である。
 外国人が、中国の機微を理解するためには、「冷たい目」と「暖かい心」の両方が必要であろう。
 外国人として、中国社会を外からつきはなして見つめる、冷徹なまなざし。
 それと同時に、同じ人間として、中国人といっしょに怒り、泣き、笑うことができる、共感する心。
 そのどちらが欠けていても、中国人の機微を理解することは、難しい。


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いっぽう、『漢文の素養』は日本がアジアでも独自の漢字文化をいかにして育んできたかに焦点をあてています。

アジア全体を見ると、漢字に対する態度が国によって大きく異なります。

漢字を全廃した地域・・・北朝鮮・ベトナム
漢字の全廃を予定していた地域・・・中国
漢字を極端に制限した地域・・・韓国
漢字を簡略化して使っている地域・・・日本
漢字を無制限に使っている地域・・・台湾・香港

この中で日本の漢字文化がユニークなのは、

・漢字を外国の文字とは見なさない。
→中国でさえ、非漢民族は、漢字を異民族の文字と見なしている。
・漢字に音読みと訓読みがある
→日本以外の国では漢字は「音読み」だけで、訓読みはない。
・一つの漢字の音読みが、複数ある。
→日本以外の国では、漢字は一字一音が原則である。
・漢字をもとに、いちはやく民族固有の文字を創造した。
→仮名文字の発明は、ベトナムのチュノムや朝鮮半島のハングルより早かった。
・中国に漢語を逆輸出して「恩返し」をして、唯一の外国である。
→幕末・明治に日本人が作った「新漢語」は、現代の中国でも普及している。

中国は漢民族以外の王朝のときは漢字文化を否定し、過去の書籍などを廃棄してしまうなかで、日本は漢字文化を独自に取り込んで教養としての漢文を確立し伝承してきました。江戸時代には清国の禁書が日本で数多く出版され、明治時代に国交が樹立した後は清国の留学生が争って買い求めていたそうです。

逆輸出した「日本漢語」についても、現代中国語の中の社会科学に関する語彙の60~80%は日本からきたものだ、というくらい中国に定着しています。
たとえば「中華人民共和国」という国名は「中華」以外はすべて日本漢語だそうです。


『貝と羊』でも言及しているように、著者は士太夫階級(=中流実務階級)が国のパワーの源であり、その没落が王朝の没落を招くという史実を重視しています。そして教養は中流実務者階級の活力のバロメーターであるとし、現在日本の教養・ひいては国力の衰えを憂いています。

現代の日本の政治家は、少数の「勝ち組」のパワーで日本社会が浮上できると勘違いしているように、筆者には思える。たしかに、中国やアメリカのような大陸国家なら、そんな方式も可能かもしれない。しかし日本のような島国社会では、中流実務階級の知力を充実させることこそが、国全体の活力を高める早道である。それは、江戸から明治にかけての日本の歴史をふりかえれば、あきらかである。


一例をあげると、今日の日本人は、「パソコン」にあたる漢語さえ考案できず、中国人が考案した「電脳」を輸入して使っている。カタカナの外来語をなんでも新漢語に置き換えればよい、というわけではない。しかし、今日の中国で、パソコンやインターネット関連の用語をどんどん新漢語に置き換え、自国民にわかりやすいものにしている様子を見ると、まるで明治期の日本のような勢いを感じる。
(注:「電話」は日本人が発明した新漢語が中国製をおしのけて中国でも使われるようになったそうです。)

そして日本における教養の回復のきっかけとしての漢文の価値を熱く訴えます。


どちらもおすすめの良書だと思います。


<余談その1>
toshiさんにはぜひ内部統制やコンプライアンス関係のカタカナ用語をわかりやすいくあらわす漢語を発明していただきたいと思います(何しろ「SOX法」なんて議員の頭文字ですからねぇ・・・)。
また、47thさんには、M&Aや買収防衛策の用語の新漢語を(「ワクチンプラン」なんて言ってないでw)ぜひ発明していただきたいと思います。

普及には微力ながら協力させていただきますので。


<余談その2>
漢文といえばはるか昔の受験生の頃、通信添削のZ会の漢文はときどきポルノが問題文に出るのが名物(楽しみ)だったのですが、今も続いているんでしょうか?


 












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