一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

読者(私)も判っちゃいない(その3)

2006-08-14 | 乱読日記

このシリーズの趣旨はこちらをごらんください。


「『いまどきの若い者について』と問われて」

枕詞というのは、それを「まくら」に振ると、そのあとの文がよどみなく出てくるという便利な仕掛けだから、ストックフレーズを開陳するには大変具合がよろしい。だが、独創的な見解というものが枕詞から導き出されることはまれである。

もうかれこれ20年以上前の若造の頃に教わった話で「最初の一言が大事」というものがあります。
たとえばある人物コメントするときに、「あの人はすごいひとだ」で始めるとほめ言葉がすらすらと出てくる反面、同じ人物について「あいつはダメだ」で始めると、悪口がとめどなく出てきてしまう、ということです。
なので、自分で発言する場合には「最初の一言」が大事だし、マーケティング上も最初に出てくる言葉(=その人や物を代表するフレーズ)をpositiveなものにすることが、大事だったりします。

そういう点では「敵対的買収」というフレーズは、経営側にとって有利な用語ですね。(昔の中国では敵対側のフレーズとして「造反有理」というようなピリッとした言葉がありましたが、「企業価値の増大」だとちょっと長いですw)



「正論を信じない理由」  

正論家の正しさは「世の中がより悪くなる」ことによってしか証明できない。したがって正論家は必ずや「世の中がより悪くなる」ことを無意識に望むようになる。
「世の中をより住みやすくすること」よりも「自説の正しさを証明すること」を優先的に配慮するような人間を私は信用しない。  

企業内でリスク管理とかコンプライアンスに従事する人の場合、何かあったときに「だから俺の言ったとおりじゃないか」といってもそもそもの企業が傾いてしまっては元も子もないというところがつらいですね。
顧問弁護士やコンサルタントのような社外の人でも「私の意見が無視された」と無責任な言動を繰り返すだけでは他の仕事につながるかどうかは微妙です。

つまり、運命共同体のところが単なる「正論家」との違いではあります。


ただ、「私の言うことを聞かなかったらどうなっても知りませんよ」というつまらない脅しをかける「悪いリスク管理担当者」もいるわけで、そうなってしまうと正論家よりたちが悪いですね。

コメント
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