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小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

厳かな母島 御嶽神社例大祭2021

2021年10月09日 | 島のイベント
■本日10月9日(土)は母島の御嶽神社例大祭でした。
あれ?と思ったアナタは母島御嶽通です☆
そう、土曜日開催というのは滅多にありません。

基本は10月の第2日曜と決まっているからです。
今回は明日10/10が入港日の為、諸々の都合で土曜日開催となりました。

例大祭、と言ってもコロナ禍が続く2021年なので、
例年のような夜の宴は中止で、
日中の農業者へのご祈祷、神事のみの開催となりました。

いつもは200食以上作る農協婦人部の大仕事ですが、
去年に続き、関係者のみのお弁当の配布、
それでも前日から仕込みに動いてくれていました。
本当に感謝です☆

清掃と神事を終えて、神社を下ると、
婦人部の皆様の気持ちの入ったお弁当を家族全員分、頂きました♪
本当に有難うございます☆


■さて、この母島の御嶽神社例大祭の起源はいつか?
島のレジェンドに聞いてみました。

元々は戦前に母島の農業の第一人者でもある鈴木美義氏が、
長野の御嶽神社から母島に持ってきたのが始まりだそうです。

戦後は都営住宅が母島に建設される昭和48年夏頃に
再建されたと言っていました。

その頃は現代のような太鼓やカラオケ大会の宴ではなく、
ご祈祷、神事の後は夕方に提灯を付けて、
島民のお参りを迎えたと言っていました。

当時、母島は復興の建設者ばかりで、
女性が少なく、鈴木美義さん自身が天ぷらを揚げてもてなしていて驚いたと言っていました。

これは2018年の御嶽神社の参道の様子です。
提灯の灯りの中を、みんなで階段を上って参拝するのです。

近年はありませんが、
30年前頃は沢山のオガサワラゼミが提灯に入っていて、
子供たちが捕まえて遊んでいたと言います。

そんな光景も外来種アノールトカゲの影響で、
今は見ることはありません。

境内に上ると、みんな参拝をして、お賽銭を入れ、お弁当を受け取ります。

お弁当も、刺身にお餅も付いて、本当に豪華なものです。
僕自身はスタッフとして奮闘しているので、
あまり写真はありません(笑)。

お弁当をみんなで食べながら、小笠原太鼓やカラオケの一興に楽しんで過ごします。


こちらは2019年の御嶽神社例大祭です。
天候が悪く、村民会館での開催となりました。

村民会館は御嶽神社に比べて、
集落のど真ん中にあるので、より多くの人が集まり大盛況になります(#^.^#)
でもやってる当人たちも何のお祭りか分からなくなりがちなのが玉にキズです(笑)。


■話を2021年に戻します(笑)。
コロナ禍で大勢の宴会とはいかないので、厳かに執り行います。

まずは朝から神社の境内と参道を農業者で綺麗にしていきます。

私たちもここを訪れるのは年に2回くらいでしょうか。
初詣と御嶽神社のお祭りの時です。

僕は次女が妻のお腹に身籠った時、
切迫早産の気配があって、毎日この御嶽神社に通って、お祈りを続けました。
境内でお祈りを終えて、目を開けた時のタマナとガジュマルの森の景色を忘れられません。

そんな次女も無事に今は12歳になろうとしています。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

みんなで色んな世間話をしながらの作業。
このコミュニケーションも実は結構大事です☆



■掃除を終えると、祠の周りに道具を準備していきます。
父島から宮司さんが来てくれて、神事だけでなく、いつも色んな話をしてくれます。

準備が整ったら、百姓は一旦家に戻り、奉納する準備をしに行きます。

僕はすでに準備して来ていたので、宮司さんや先輩に色んな話を聞いたりしています。
そうこうしているうちに、神事がはじまりました。

今回は宮司さんに撮影を許可してもらい、記録として残すことにしました。

祝詞を述べて、みんなでご祈祷していきます。

一人ひとり榊を持って、ご祈祷する場面もあります。

木辺に神と書いて榊(さかき)。
これは本当の榊ではないそうですが、母島で準備されているそうです。


日常生活において、恐らく昔ほど神社が心の拠り所ではなくなってる現代、
母島の御嶽神社にまつわる諸々もその例外ではないと思います。

しかし、この機会に百姓が集って、みんなでご祈祷する、
感謝する、次の豊作を祈るというのはとても大事な気がします。



■2019年の猛威を振るった台風の被害で、社も損傷した跡があります。


今年も丁度収穫期を迎えているローゼルを奉納させて頂きました。


他にはスターフルーツやゴーヤ、ドラゴンフルーツ等、
沢山の島の幸が供えられています。


そして農協婦人部による突きたてのお餅。


お供えの定番のお米。


お神酒。


神事の一つ一つに、先代からの想い、意味が込められているのが伝わってきます。
この厳かな気持ちになる瞬間に実は大事な意味がある気がするのです。


■古い写真を紐解くと、その時の想いを思い出せないものにぶつかったりします(笑)。

これは2015年の御嶽神社のお弁当に使われたお弁当の四角豆とイクラで遊ぶ次女です。

まだコロナ禍の気配すらないこの頃は、
日々みんなでワイワイやっていました。



■そして御嶽神社例大祭の2日前は島の大事な友人夫婦の新造船・漁船が母島に到着するという日でした☆

今回は初めて、撮影を任されて、
ドキドキの初チャレンジです。

拙い写真だけど、
凄くみんなが笑顔になる最高の到着祝いでした☆

とっておきの写真はもちろんご依頼のだけにお届けなので、
みなさんには全体の雰囲気だけ伝わる写真をシェアします☆

無事の到着本当に良かった♪
そして、新造船おめでとうございます!!

そんな秋のひと時でした☆
最後まで読んでくれて、ありがとうございます(#^.^#)

コロナ禍でのクリスマス

2020年12月15日 | 島のイベント
■先日、母島のクリスマスイベントがありました。
このコロナ禍で春から数々のイベントが中止となり、とても静かな1年でした。

そんな最中、ようやくささやかなイベントが実施されました。

島の子供向けのクリスマスイベント「クリスマス子供大会」。
母島の社会福祉協議会が主催し、地域の各団体が協力する素敵なイベントです♪
これは例年だと、みんなが村民会館に集まり、みんなで歌や劇、手話や南洋踊りをやりながら、
最後に婦人会が作った手作りケーキを食べ、母島の全ての子どもがサンタさんに手渡しでプレゼントをもらうという、
母島ならではのイベントです。

今回はコロナ禍、様々なイベントの中止が相次いだ中、
大人達が何とか島の子供達の為にクリスマスを祝ってやれないか?ということで、
子供達が島を巡るスタンプラリーをする事になりました(*^_^*)

青年会、手話サークル、婦人会、壮年会、保育園などが各ブースを運営し、
子供達に様々なレクを実施しました。

もちろん、マスク着用で3密を避けての実施です。
子供達は5人以下のグループになってもらっての実施でした。



■しかし、今年の小笠原の秋~冬は本当によく雨が降ります。
ここ1ヶ月はずっと雨でした(#^.^#)

渇水の2018年の降水量は1年で761.0mm。
今年の10月~12月までの降水量は839.5mm。
軽く超えるほどの雨、雨、雨。
※気象庁のデータ調べ

なんと台風がひとつも来なかった2020年。
大被害をもたらした去年の台風がありましたが、
何も来ない年もあるんですね。
極端すぎる!!

そんな最中、奇跡の晴れ間をぬって、見事にクリスマス子供スタンプラリーは実施できたのです♪


学校のグラウンドにみんなが距離をおいて集合し、
それぞれがバラバラに各ブースを周る事で密を避ける工夫をしました。

可愛いサンタの格好をしてあるくファミリー。
とっても微笑ましい、良い光景でした(#^.^#)


婦人会さんは役場外で手作りカップケーキをプレゼント♪


■今、会長を務めさせてもらっている母島青年会は船客待合所の横デッキで、子ども達を待ち受けます。
子供達が乗り越えるミッションは3つ。

①ジャンケン+あっち向いてホイ!!
ブース到着で最初のレクがこれです。
誰もが知っているこの遊び、島の外国人講師のメンバーはなんと初めて!!
母国フィリピンでは知らないというあっち向いてホイ(#^.^#)

アメリカ留学経験のあるメンバーも米国ではやった記憶がないと言っていたので、
実はあっち向いてホイは日本の文化なのかも知れません☆


②ギョサン飛ばし
このコロナ禍で新春海開きが人が集まる形では中止となり、ギョサン飛ばし大会が出来ないので、
ここでも工夫をしての実施。

子供に合せて動く的にぎょさんを入れるスタイルです。

中学生になると一気に距離が遠くなり、
幼児になると目の前に的が移動する優しいギョサン飛ばしでした(笑)。


③スペシャル・クイズ
ここが実はこのブース一番の難関。
前日の夜までお題を必死で考えてくれたメンバーが、その子に合わせた問題を出します。

幼児には紙で示して分かりやすい問題ですが、
子供が大きくなると難しい問題になっていきます。

クレヨンしんちゃんのパパの弟の名前は?や、
目の前の私、どんな見た目ですか?
1.とてもカッコいい
2.とてもステキ
3.そうでもない
という問題(笑)。もちろん③は×です(#^.^#)
これは人に気を遣えるかという問題なのだそうです(笑)。

中学生にはこんな難問が!

正解は分かりますか?
なんと島の中学生でこれに正解した子供がいたそうです!!

④最後にスタンプとプレゼント贈呈

写真を撮れなかったのですが、
とても素敵な消しゴムハンコなんです!

当日は色んな事情があり、参加できない壮年会からの長靴プレゼントを渡しました。

そんなこんなで、子ども達も「とても楽しかった~!」と言ってくれて、
やっている方もとても楽しめたイベントとなりました(#^.^#)

青年会のみんなもありがとう~~!!


■このクリスマスイベントの前日は入港日でした。
週に一度の入港日は僕は郵便と宅急便の配達の仕事をしているのですが、
この日の配達はヤバかったです。

・荷物が普段の倍(クリスマスとお歳暮の時期)
・横殴りの暴風雨(前線の通過)
・配達終了が21時半(通常は20時位)

記憶の限りではワースト1の配達日でした。
事前に予報で知っていたので、最善の備えはしていましたが、
半屋外での仕分けにはやはり限界がありました。
幾つかの荷物が濡れてしまい、配達先には本当に迷惑をおかけしました。

その日の昼前に青年会で前浜のガジュマルに灯りを取り付けました!
これもまさに奇跡の様な晴れ間でした。


父島のガジュマルに比べると、見事に質素な明かりですが、
母島らしくて僕は大好きです♪


来年の1月中旬まで設置予定ですので、お楽しみに!(消灯は21時ですw)


■島の12月と言えば父島・母島のスポーツ交流、
クリスマス子供大会、
ロードレース、
墓地清掃
といった感じの師走なのですが、今年は荒天とコロナ禍で中止が相次ぎました。

学校のロードレースはそんな最中、これもまた奇跡の晴れ間で実施していました。

現在、
内地では過去最高の感染者を日々更新していて、
父島での数人の感染のニュースが飛び込んできたりします。

医療は逼迫し、
ついには頑固に続けてきたGo Toトラベルも休止となりました。(遅すぎるけど!)

冬場に感染が広がる予想はできていたものの、
これがいつまで続くか分からない中、
自分たちが今、何をできるのか?を模索するのが大事と思っています。

長女もカナダの小さな田舎で感染者が出つつも、
なんとか高校留学を継続できています。

過去にはない色んなあり方で、
それぞれが自分たちの暮らしを見つめなおし、
行動して行くのが求められているのだと思います。

昨晩、家族で旧ヘリに行き、二子座流星群を見ながら、そんなことを考えていました。

今週末はずっと準備をしてきた絶滅に瀕しているオガサワラカワラヒワのワークショップです。
どうなっていくのか、本当に楽しみです♪
頑張るぞ~!



母島返還祭2019終了~ついに梅雨明け!!

2019年06月24日 | 島のイベント
■今年も島一番のお祭り、返還祭が無事に終える事が出来ました!
と、同時に梅雨明けの気配です!

今日の前浜の写真です♪

この暑さ、この空の青さ、
今年は6月23日に小笠原は梅雨明けした!と信じています(笑)。
※気象庁は小笠原エリアは宣言してくれないのですw


先日の島の梅雨について書いたブログ記事で、
「ああ、今日梅雨が明けた」
とはっきりと分かる1日があります。

僕はその1日がとても大好きです♪

と書きました。

今年は返還祭当夜祭の6月23日がその日でした(*^_^*)

青年会のメンバーと返還祭の夜店の準備をしながら、
みんなで「今日、梅雨明けだね」「暑さの質が変わったね」などと言い合い、
確かにみんなの夏が始まった感があります♪

■暑い日はこうして飛び込む日々が本格的に始まりました!


海で泳ぎまくって、さすがに冷えたら、
太陽熱で温まったコンクリートで体を温めます。


島っ子は自然とこのことを知っています。
これってとても素敵な事だと思うのです♡

休日や夏休みは見送りでもどんどん飛び込むことでしょう♪



■さてさて、そんな母島の一番のお祭り、返還祭。
母島において、返還祭とは6月下旬の土日の前夜祭、当夜祭だけではありません。

6月に入ってから、
毎週のようにゲートボール大会、バトミントン大会、

駅伝大会などのスポーツ大会を経て、
最後の締めくくりとして、演芸大会があるのです。

駅伝も毎年親子で出ているのですが、
毎度キツいです(笑)。

ですが最高齢67歳、そして小学1年生が一生懸命、泣くほど走っているのをみると、
自分も頑張らなければ!と毎年思います(笑)。


なので母島にとって6月は超忙しい1月なのです。

今年は都合により、夏休み恒例の納涼祭がないので、
今回の返還祭が母島唯一の盆踊りになってしまいました。

盆踊り好きの僕としては少々残念です(ToT)/~~~

しかし、そんな事を言っている暇はありません(笑)。

今年は7月に小笠原村長選挙もあります。
色んな場面で小笠原もシフトして行く時期を迎えたと感じます。

この夏も色んな意味で充実した夏になりそうです(*^_^*)


■そんな母島の6月を締めくくる返還祭の前夜祭と当夜祭。
今年もとても充実した内容でとても楽しかったです♪

今年は僕自身が青年会長なので、
あまり他の出し物をゆっくり見る余裕はありませんでしたが、
自分の出番の前後は見る余裕があったので、それだけでも紹介します(*^_^*)

まずはフラです。

次女も可愛いフラダンスを披露しておりました♪
島の多くの女性がフラをしていて、とても盛んなのです☆

各スポーツ大会の表彰式も行われます。

次女はバトミントンダブルスの3位をゲット♪

毎年返還祭は定期船おがさわら丸が年に一度の八丈寄港便となるので、
八丈太鼓も見逃せません。

小笠原太鼓のルーツは八丈太鼓です。

今年は6人衆の力強い、素晴らしい太鼓を聴かせてくれました♡

この春、ハワイでその存在意義をはっきりと確認した、
東京都無形文化財の南洋踊り。

今回は父島から高校生の長女も駆け付け、娘二人と一緒に踊れる南洋踊りでした(*^_^*)

父島に住んでいることからずっとやっているので、かれこれ15年のキャリアになります。

太平洋の島々に繋がる行進踊り、
身体だけで小笠原の文化を表現できる踊り、
それが南洋踊りです。

今回はお願いして動画も撮ってもらっていますので、どうぞ♪

また、当夜祭のトリとしては恒例の壮年会による劇です。
今年も子供たちを大いに喜ばせて、盛り上がっていました♡



■さてさて、青年会&有志。
毎年、前夜祭のトリを務めさせてもらっています。

今年はみんなでDA PUMPのU.S.Aを踊ることにしました。

前列5名は3週間ほぼ毎日練習し、なるべく本家と同じフリを目指しました!

最初は「絶対こんなのできないっ!」と思いましたが、
ダンス経験者の先輩にご指導いただき、猛烈に練習を頑張りました!!

他メンバーも忙しい返還祭シーズンの中、1か月の練習を頑張って仕上げてくれました。

本番は会場の皆さんも大いに盛り上げてくれて、とても嬉しかったです♡

この曲はイントロで猛烈な動きがあり、
体力のほとんどをそこで消費します(笑)。

踊り終わって、やっと終わったぞ!と思ったら、間一髪いれずに「アンコールの声!」。

想定外だったので、お互いに「マジで!?やるの?」と顔を見合わせていたら、音楽が(笑)。

終わってみれば、最高に盛り上がって、最高に汗かいて、超ヘトヘトになる演芸披露でした☆

とても楽しかった!本当に有難うございました♡

フルムービーもありますので、よかったらどうぞ。
(踊りながらも、間違えまくっていますが、盛り上がったので良しとしましょうw)

今回の青年会は、あくまで踊りたい人、踊ってもいい人に絞って演芸に臨みました。
楽しい青年会にするために、色々試行錯誤しています♪

皆さんのおかげで、本当に楽しい思い出になりました、ありがとうございました(*^_^*)


■最後に返還祭実行委員会、副実行委員長として一言挨拶する場面がありました。

母島返還祭は昭和49年に始まったそうです。
小笠原がアメリカから返還されたのが1968年(昭和43年)6月26日。

当時、父島では返還祭が行われていたそうです。

母島は完全に無人島だったので、インフラがある程度整うまでに5年の月日がかかり、
母島は1973年(昭和48年)から戦後、人が住み始めています。
その翌年から始まっていたのです。

母島の返還祭が返還51周年に対して、第46回を表記するのは、こういう背景があるのです。

島の大先輩に話を伺ったところ、
最初の返還祭は現在の月ヶ岡神社の場所で行われたそうです。

そこで返還祭で相撲大会が執り行われたそうです。

当時は、今のように裏に道路が無いので、
島の男性陣が土嚢袋を担いで、土俵を作ったそうです。

すごい!!

その後、舞台は学校校庭に移り、
脇浜なぎさ公園が完成してからは、現在の様に脇浜で返還祭が執り行われることになったそうです。

この母島の手作りのお祭り、
運営側で関わってみると、本当に多くの人の力で成り立っていることに気付かされます。

このお祭りを作り上げた先人たち、
そして今、運営している島の皆さん、
支えてくれる家族、
盛り上げてくれる観客の皆さん、
遠路はるばる来てくれる八丈の皆さんや、観光の皆さん、
これから島を作っていく若い世代の皆さん、
すべての皆さんに感謝の気持ちでいっぱいですとスピーチしました。



本当にありがとうございました!
お疲れ様でした♡

小笠原ミュージックフェスティバル(母島)の邂逅♡ 後編 ~ライヴ

2018年11月11日 | 島のイベント
「前編 楽器教室&パレード」の続き

■母島では2回目の開催となるアイランドジャズフェス。
今年は返還50周年事業「小笠原ミュージックフェスティバル2018」として開催されました。

終わってみて、大盛況で終わり、心配だった天候も問題なく終えることができて大成功だったと思います♪

これからライヴ編のレポートをしていきたいなと思います。

無事に楽器教室&パレードも脇浜ステージに到着し、終わりを迎えました。
さあ、いよいよライヴスタートです!!

■まず1番手は音骨です!

音骨は9年前までは母島に住んでいました。
元々僕の昔働いていた宿で働き、
当時はとても派手な格好でギターを片手に島を歩いていたので、とても目立っていました(笑)。

個人的に音骨の音楽は大好きで、母島に来て最初に作った音源の頃の島に来た初期衝動みたいなサウンドも好きですが、
ここ5年位の、内面に深く潜るような音楽感もとても気に入っています。

ライヴではソリッド感抜群のステージを披露してくれました。

カッコよかった!

最後に演奏した「そこに乳房山」は本当に名曲です☆




■つぎはスペシャルゲストとして三浦 浩選手です!!
三浦さんは2012年、2016年のパラリンピックのパワーリフティングに出場している凄い方で、
2016年のリオパラリンピックでは日本最高順位となる5位入賞を果たしたそのことです!

2002年に長渕剛のライブスタッフとして働いていたそうですが、
ステージ上での事故により下半身不随となり、その2年後にパワーリフティングに出逢い活動して来ているそうです。

そんな長渕さんの傍らでずっと働いていた三浦さんは長渕の名曲「乾杯」や「ひとつ」を披露してくれました♪



■次はK4の皆さんです!
以前は父島までは参加してくれていたそうですが、今年は母島は初上陸!!


なんと到着して昼過ぎから楽器教室を開催してくれてそのままパレード参加→ステージというハードスケジュールでのライヴでした。
ピアノ、ドラム、サックスのトリオで最高にクールでした♪

あまり世の中のスタンダード曲を知らない僕ですが、
Fly me to the moonはとても嬉しかったし、カッコよかったです☆

カッコいいサックスのキリュウさん。

クールな外見にバリバリの関西トーク(笑)!!
いいですねぇ~~!
そしてサックスはやっぱりカッコいい♪


ナイスなドラムの渕さん。

楽器教室でも今年は奥田さんと朱さんと一緒にパーカッション教室をやってくれました!
子どもたちの素直な反応にすごく喜んでくれて、嬉しかったです。
プレイは超絶なオンパレードで、カッコ良かったです。


ピアノの朱さん。

なんだかすごく気持ちよさそうに鍵盤を奏でるなぁ~と思って眺めていました。
そんな朱さんのピアノはもちろん気持ち良く、
なんだかうっとりしてしまいました♪

深夜を超える連日の打ち上げの後でしたが、翌日の朝にはちゃんと起きて海で泳いでいて、
タフさを垣間見ました(笑)!

とても心地いい空間が広がっていました!


なんとゲストには島のミュージシャンも参戦!!
島の歌姫アイアイと


サックスでFさんが参加♪

気合の入った衣装とソロで聴かせます。
島の子ども達が大歓声をあげていました♡


■会場では大下倉和彦さんによる高蔵染のコーナーも併設!!

塗料を指に付けて降りおろし、
まるでシューティングスターの様な美しい模様が洋服を染めていきます。

今回は最後のBimBomBam楽団の皆さんの衣装が高倉染めの衣装です!
すごくクール!!

■そして松永希 Ogasawara special UNIT!!

僕は希さんの歌が大好きです!

本当に聴いていて気持ち良く、そしてとても心が揺さぶられる歌声。
以前在籍していたリングリンクスが出した「小笠原古謡集」を何度も聞いて暮らしているので、
なんだかどこか懐かしい歌声でもあるのです☆

アンドウケンジロウさんのクラリネット♪

アンディさん、今回楽器教室でもパレードでも素晴らしくユーモアに溢れて、
優しい大きな懐を感じる素敵な方でした。

こっそりステージ裏でもクラリネットを教えてくれて、
僕でも音が出せたときはホント嬉しかったです♪


エマーソン北村さんの超絶キーボード!

オルガンの様な響きで、希さんの歌の世界に心地良い彩りを与えてくれていました♪
ソロの場面ではみんなが踊り出す場面もあり、
なんだかすごい人です!!

フラも南洋踊りも参加しました!

いや~楽しかったなぁ~!

子どもたちが最前列で聴いている姿がとても可愛いのです♡


最後は楽器教室で希望者を募り、練習した「マイディアボニンアイランド」でファイナルです!


なんと僕以外の家族全員も参加しています(笑)!



■お待ちかね、スピナビルさんの登場です!
母島ではスピナビルさんの熱狂的なファン達がいます♪
今年も参加が決まった時、大いに喜んでおりました☆

去年はバンドを引き連れての参加でしたが、
今年は単独でのパフォーマンス。

僕はこの時、打ち上げの準備などに行っていて、ゆっくりステージを見ることはできなかったのですが、
ものすごく盛り上がっていました!
さすがです!


■トリはBimBomBam楽団の皆さんです!
去年に引き続きの参加で、楽器教室を引っ張ってくれるBimBomBam楽団の皆さん!
今年はメンバーに新たにアコーディオンも加わり、去年とはさらに変化したステージを魅せてくれました!

超カッコいい!!

団長である。Ohyama ”B.M.W.” Wataruさん。
相変わらずのカッコいいトランペットを聴かせてくれます!

今回、島の友人に大山さんのBMWの意味を聞き、
今まで気づかなかったことに衝撃を受けました(笑)!
ヒントは彼の名前です♪

楽器教室では去年に続いてなので、同じ参加者もおり、
すっかり大山さんの虜になっている中学生もおります!

ウッドベースのナスオちゃんこと(笑)、ヤマトヤスオさんです!

去年は都合が悪く小笠原に来れず、代打でMASH弦楽団のすぎむ~んさんが来ておりましたが、
今年は小笠原に来て、バリバリのMCもかましながら、
エキサイティングなステージングで盛り上げてくれていました♪

あんなに高速でコントラバスを回せるとはっ(笑)!!


今回初参加メンバーのアコーディオンのるいさん。

アコーディオンの音はビックリするほど音に埋もれていなくて、
とても耳に響きます。

なんと3オクターブもの音域のあるボタン式のアコーディオン。
超カッコいい存在でBimBomBam楽団に新しい風を吹き込んでくれていると思います♪

カッコいいステージングなのですが、ステージを下りるとおっとりとしたチャーミングなキャラで素敵でした♡


パーカッションの「モヒカン先生」こと奥田さんです!

去年に続き、彼の方にハマらないパーカッションは聴きごたえがあります。
マジカッコいい!!
楽器教室&パレードではお頭としてみんなを引っ張ってくれました♪
素敵なモヒカン先生です♡

ギターの手島大輔さん。
毎度の超絶プレイで息つく暇もありません。

今回は盛り上がって立ち上がってのパフォーマンスもあり、
本当にシビれました!
いつかゆっくりギターを習いたいものです♪

素晴らしいパフォーマンスで、会場も大盛り上がりでした!


ステージ裏から。
すごく盛り上がっています!


終盤はK4のキリュウさんも参加して、
最高のフィナーレを迎えました♪


みんな踊りまくって最高な感じです♡


ライヴ中には美しい月がステージから眺めることができました♡


アンコールはみんな入り乱れての大盛り上がりで幕を閉じました♪

ライヴ後は船客待合所を借りての大打ち上げを行い、
深夜遅くまでライヴの余韻は続きました♡

今回のフェスもスタッフとして関わってみて、
とても楽しかったです。

やはり音楽は最高だと再認識できた最高の一日でした(#^.^#)

集客という意味では返還祭に比べたら少な目で、
色々課題はあると思うのですが、
純粋に音楽が好きな島民が集まってくれたので、
数というよりは質と雰囲気は最高だったと思うので、
個人的には最高のイベントになったと思います。

このイベントに関わってきた皆さん、
島まで来てくれたミュージシャンの皆さん、
そして会場&楽器教室に来てくれた島の皆さん、
本当にお疲れ様でした!ありがとうございました!

小笠原ミュージックフェスティバル(母島)の邂逅♡ 前編 ~楽器教室&パレード

2018年10月31日 | 島のイベント
■28日に行われた母島の小笠原ミュージックフェスティバル。
大成功でフィナーレを迎えました!!

心配されていた天気予報も見事に吹き飛ばし、
最後まで快晴で幕を閉じることができました♡

わざわざ母島まで来てくれた素晴らしいミュージシャン+関係者の皆様、
関わってくれた島のスタッフの皆さん、
そして楽器教室、パレード、会場に来てくれた沢山の島民&観光客の皆さん、
本当にありがとうございました♪
そしてお疲れ様でした!

やっぱり音楽は最高だと心底思いました☆
そんな怒涛の1日を振り返りたいと思います(*^_^*)

■まずは朝から会場準備やら何やらとして、あっという間に演者さんたちが乗るははじま丸が到着する時間になりました。

みんなで盛大にお迎えします♪

そこから各方面に分かれるのですが、僕は去年同様、楽器教室&パレード担当ということで早速、学校へ。

午前はアコーディオン教室、ボーカル教室、クラリネット教室をやることに!

松永希さんのバンドを中心に小笠原の名曲「マイディアボニンアイランド」の練習をしました。

僕自身は会場の各準備と並行しながらの楽器教室だったので、
細切れに様子を見に行く形になってしまったのですが、
教室を見に行くたびにみんなのレベルがグングン上がっていてビックリしました!

特にボーカル!!
希さんのアドバイスがズキュンと響いていたのか、
見違えるほど変わりました♪

歌が大好きな長女が、その後近所迷惑になるほど家でも歌い続けるという弊害(!?)も発生しました(笑)。
彼女曰く、こんなにも大声で気持ちよく歌えるのは最高の幸せなのだそうです♡

その本番が松永希 Ogasawara special UNITのラストで演奏されました♪




■お昼を過ぎて、今度は全体の楽器教室がスタートします!!
去年に引き続き、Bim Bom Ban楽団の皆さん、
今年はさらにK4の皆さん、希さんバンドの方も参加し、
超豪華、7クラスで楽器教室を開催できました!

今年の課題曲は島の古謡「丸木舟」と「聖者の行進」の2曲です。

パーカッション教室ではパレード団長のモヒカン先生こと奥田先生がレクチャーします。

今年はK4ドラムの渕先生、ピアノの朱先生も参加してくれ、
最高のデモンストレーションで子供達の心を鷲掴みにして頂きました♡
超カッコよかったです♪

こちらはトランペット教室。

去年同様、Bim Bom Ban楽団の大山先生がレクチャーしてくれました!
去年に引き続き、参加した中学生もすごく良かったようで、
そういう反響はとても嬉しいです♪
大山さんはこうして続けていくことで子供たちの成長も楽しみにしてくれているので、
到着してリハもできない忙しいスケジュールをこなしてまで楽器教室をしてくれる心意気に感謝です(#^.^#)

そしてアコーディオン教室。

教えてくれるのは今年初参加のるい先生。

もう僕が見に行ったときにはすでにパレード用に鍵盤ハーモニカになっていました(笑)。
というのも、アコーディオンという楽器は内部が蝋でできている部分があり、
35度以上の高温になると溶けてきて大変な事になるということで(初めて知りました!)、
アコーディオンは習いつつ、パレードにはみんな鍵盤ハーモニカで臨むことになりました。

このるい先生、パレードのソロの時にサックスの様な素晴らしい鍵盤ハーモニカのソロを弾いてくれたのですが、
なんと鍵盤ハーモニカは小学生以来だったとか!!
鍵盤を見るとうまく弾けないそうで、
フィーリングでこんなにもカッコよく弾けるのはさすがプロだなぁと一同関心しておりました(#^.^#)

玄人が集まるこちらはギター&ベース教室。

Bim Bom Ban楽団の手島先生とヤマト先生が講師です。
僕が行った時にはもうすでにペンタトニック・スケールの話になっていて、
さすがだなと思いました(笑)。
ジプシーのように軽やかに奏でる皆さん、超クールでした!

初めてウッドベースに触って感激している姿も良かったですね♡

こちらはクラリネット教室。

講師は優しい希さんバンドのアンドウ先生。
参加者二人ともほぼ初心者だったのですが、終わったころには見事に綺麗な音が出せていて驚きました!
ピカピカの1年生の教室をお借りして、とてもあったかい雰囲気のレッスンでした(#^.^#)

そしてサックス&フルート教室!!

K4のキリュウ先生がカッコよくレッスンを進めていました。
ここは経験者が多く、音がとてもよく揃っていました☆


最後にみんなで合わせた練習を行い、スタート地点のガジュ下へ移動します。


■いよいよパレード開始です!!

モヒカン先生を先頭に脇浜を目指し、演奏しながら進みます♪

今年は「丸木舟」「聖者の行進」の2曲で進んでいくのですが、
各曲のメインフレーズの後、各パートでアドリブのソロを入ってもらいました。

これがまたいい!
休憩にもなるし、メリハリもついて、いい仕上がりでした♪

去年に比べると格段にレベルが上がりました。
そして、この景色の中をゴキゲンな音楽で進むという幸せ♡

僕自身は先導してあまり一緒には演奏できなかったのですが、すごく楽しかったです!!

そして脇浜にパレード隊はたどり着き、ライヴスタートです!!


■今回も更に音楽というものは本当に素晴らしいということを痛感しました♪
人と人を繋いでくれる。
言葉以上に想いを伝えてくれる。

島の人も子供たちも、そんな素晴らしいプロの先生たちと触れ合えて、
最高の経験になったのではないでしょうか?
ほんとうにありがとうございました!!


後半に続きます!!


小笠原返還50周年 記念式典&パレード 父島編

2018年07月08日 | 島のイベント
■今から50年前の1968年6月26日、小笠原諸島はアメリカから返還されました。
今年は返還50周年の節目の年です。
そして
6月30日に父島でパレードと式典、
7月1日には母島でパレードと記念セレモニーが行われました。

小笠原の父島・母島合わせて住んで15年。
この50年に一度の節目をこの目で見て、
感じるために母島から父島の式典を見に行きました。
その中で、この50年の月日に思いを馳せるとともに、やはり色々と感じることがありました。


■一番気になっていたのは、小笠原の航空路の問題です。
よく島民の悲願と言われ、報道されますが、
僕の周りの友人は空港を望んでいない人がほとんどです。

以前行われたアンケート(7年前だったかな?)で
賛成、条件付き賛成(環境を守っての空港ならありなど)を合わせて7割だったのですが、
その後の報道では「賛成が7割」と書かれ、いつもながらに酷いものだなと思っていました。
間違いなく“全島民の悲願”ではないのです。
マスコミの偏った報道にもいつも疑問があります。

小池都知事はあいさつの中で、
島民生活の安定と国境離島である小笠原の自律的な発展、
島民の安心、安全を守る観点から必要と考えているとのこと。

以前からの空港案の洲崎案、硫黄島案、飛行艇案のうち、
実現性の高い洲崎案に的を絞り、集中的に検討を進めていくとの事でした。

その際には自然環境に対して最大限配慮することが重要であり、
これまで検討していた滑走路案より短い1000m以下の滑走で運航できる機材を検討していくとのこと。
おそらく水上飛行艇とAW609などのティルトローター機(いわゆるオスプレイと呼ばれている機)で検討しているのでしょう。

それらのあらゆる可能性を追求し、前に進めていく意向のようです。

ハッキリと空港と作るという名言は避けました。
が、以前から言われている
滑走路を伸ばすために焼場の波がなくなるかもという心配や、
離陸、着陸時に邪魔となる中山峠の切り崩しなど、
島民が心配している自然改変、
島の観光はもちろん、雰囲気の変化など、
多くの不安があることは事実です。

観光目線ではなく、
生活航路として、介護や通院、出産など、確かに島の暮らしで必要なのは理解できます。

しかし、空港建設で失ってしまうものも確実にあります。

僕自身は空港を作るよりも、
医療や介護、出産など医療福祉面の充実を図り、
島で生れることも死ぬことも選択出来る島になることが理想と思っています。




知事の挨拶で予想外に嬉しかった事は、
G7のサミットで日本がサインをしなかった海洋プラスチック減少の問題に対し、
美しく恵み豊かな小笠原の自然を守るためにも
東京都はG7の提唱を強く支持し、
活動を進めていくと明言した事でした!

これにはハッキリ言って驚きましたし、とても嬉しかったです!

ドック中の代替え船に関しても、都が動いてくれているのもとても助かったと思います。


■そして返還と聞いて、まず初めに頭に浮かぶことは戦争です。
太平洋戦争がなければそもそも占領・返還などなかったのですから。

2年前に訪れた激戦の地、硫黄島
今もなお1万を超えるご遺骨が埋まったままです。

73年前、『楽園』と呼ばれた硫黄島は爆弾と火炎放射器、銃弾が飛び交い、
日米合わせて2万人以上の命を落とす玉砕の島へと姿を変えてしまったのです。

墓参や遺骨収集、訪島事業で年間数百名が硫黄島を訪れています。
しかし、父島・母島の年間観光客数を遥かに超える10万人の米国人が毎年、硫黄島の観光に来ている事実もあります。

そんな中、今も硫黄島の旧島民の帰島は叶っていません。
返還50周年を迎えても硫黄島の戦後は終わっていないのです。

島の人も文化も断裂させた戦争がなければ、この小笠原はどうなっていたのでしょうか?
僕は小笠原村の封筒の裏に書かれている平和都市宣言が大好きです。

【~小笠原村平和都市宣言~

平和で豊かな自然の中で暮らす我々小笠原村民は、
世界中の人々が平和を分ちあえることを願う。
この願いは、小笠原の生い立ちが物語つている。

我々の先人が築いた文化を、歴史的に分断した強制疎開。
今なお一般住民の帰島が許されず、遺骨収集も
ままならぬ玉砕の地硫黄島。

このような地小笠原に生きる者として、戦後50年を迎えるにあたり、
不戦と恒久平和を誓い、豊かな自然を後世に残すために、
小笠原村が平和都市であり、またその使命を全うすることを宣言する。

平成7年8月15日  小笠原村】


この言葉を胸にこの返還の日を迎えました。

戦争というものがこの世界からなくなるまで、
この気持ちは忘れてはならないし、
平和に向けての行動もしていかなけばと思います。


■式典の少し前に遡ります。
6月30日16時に母島からに父島に着いたら丁度パレードが始まっていました♪

南洋踊りは踊りながらずっと進み、


いつも楽しそうなちびっこクラブはシャボン玉を発射しまくりながら行進、


保育園は水鉄砲で周りに水を飛ばしながら行進(笑)!!

いや~父島の子どもたちもほんと元気ですね!
親の気合の入り方ももちろん、なんか振り切り方が圧巻です(笑)!


ウクレレ会も演奏しながら進み、


なんとLove&Peaceとしてマーメイドも車に乗って参加していました!!
これは意外な知人も混ざっており、結構驚きました(笑)!


中学生や大人女子のフラも美しく更行進していました!!

他にもスティールパン、スイングブロウ、消防団など多数のチームが参加していました!

翌日の母島の一体となるこじんまりとしたパレードも好きですが、
父島の島民が思いっきり参加しまくるパレードのパワーはさすがだなと思いました♪


■こうして50年かけて再生してきた小笠原の返還は大きな節目を迎えました。
これからも50周年のイベントが目白押しです(多すぎるっ!)。

僕も母島で運営として関わることも多いので、
楽しいし、嬉しい事なのですが、
あまりにイベント続きなのも少し疑問です。

今年に限っては、いつも恒例の行事ですら開催が危ぶまれていて、
大事にしたいのは一体なんなのか、
きちんと見据えてやっていかなければいけないなと強く思う場面も多くあります。

返還50周年。
間違いなく素晴らしいことですし、盛り上げたい気持ちもわかります。
多くの人が関わり、頑張ってくれています。

その中で自分たちの暮らし島をどうしていきたいか、
どうあるべきなのかを考えるきっかけになるといいなと思いました☆



小笠原返還50周年 記念セレモニー&パレード 母島編

2018年07月07日 | 島のイベント
■2018年6月26日、小笠原諸島はアメリカから返還されて50年の節目の時を迎えました。
そして
6月30日に父島でパレードと式典、
7月1日には母島でパレードと記念セレモニーが行われました。

これは母島のパレード風景です。
海上自衛隊横須賀音楽隊が奏でる音に合わせて、
森下村長、小池都知事、石井国土交通相、そして母島の中学生が先頭に行進しました☆

小笠原に住んで15年。
この50年に一度の節目をこの目で見て、感じるために母島から父島の式典を見に行きました。
その中で、この50年の月日に思いを馳せるとともに、色々と感じることがありました。

父島の方の式典やパレードは報道や多くの人が書いていますので、
母島の目線から書こうと思います。


■まず一連通して一番感動したのが、
小池都知事を乗せたははじま丸が母島に近づいたときに、
10隻の漁船が歓迎のお迎えをするシーンでした。

15年、小笠原に住んでいますが、これは初めて見る光景でビックリしました!!

漁船にはその家族や子供たちが手を振っています!

母島は第一次産業である漁業と農業が盛んな島です。
その第1次産業は燃料補助、運賃補助など、多くの補助に支えられています。
悔しいですが、まだまだ自立には程遠いのが実情です。

その補助の多くを支える東京都の代表である小池知事が初めて来島するのですから、
歓迎しない訳がありませんね!!

村長もこれには「やるね!漁協!これが母島ですよ!」の一言。

予想外にあまりに感動した僕は、
船の自衛隊音楽隊の皆さんや関係者に「こんな歓迎は10年住んでて初めて見ました!すごい事ですよ!」と伝えました(笑)。

聞くところによると、
最近の役人さんはみんな船ではなくヘリで来るので(今回も国土交通相はヘリでした)、
船の歓迎の迎えは横田副知事の来島以来だとか…

海況もそこそこ良いとは言えず、揺れましたが、
よく不便で時間のかかる船で来てくれました!

動画も撮ったのでぜひどうぞ!


■沖港に到着したら、多くの母島小中学校の生徒達が迎えました。
実は長女(中3)はこの時、重大な役目を任されていましたが、
なんと前の晩に人生初のぎっくり腰になっていました(10代の若さで!!)。

しかし、傷み止めとコルセットと気合で乗り切り、
午後には海に飛び込み、「泳いだら完全に治った~~!!」という滅茶苦茶な流れがあったことは内緒です(笑)。

その後、少し時間をおいてガジュ下から学校前まで150mほどのプチパレードを開催。
母島の中学生と役人、村長、そして海上自衛隊横須賀音楽隊が母島の短いメインストリートを歩きました。

島民の多くは国旗と返還50周年の記念旗を持って歓迎のアピール。

パレードの後に続くみんなが楽しそうです♪
なんだかんだ言って、シャイな母島の島民もパレードを楽しんでおりました♡
僕はその光景が楽しかったです。

学校の前までを過ぎてパレードは終了。

なんかどこか昭和チックでノスタルジーな感じがしました(笑)。

前日に見に行った父島のパレードはとにかく島民のパワーが凄まじかった印象があります。
母島は、みんなでお祝いしている雰囲気がなんかとても良かったです♡

その後は学校体育館で記念セレモニーです。


■学校の体育館で村長をはじめ、
返還50周年のお祝いの言葉が延べられました。
返還当時、欧米系が住んでいた父島と違い、
無人だった母島は父島の返還から5年遅れての開拓でした。

今こうして便利で幸せに暮らせているのも、先人たちが一生懸命に作り上げて来てくれた背景があるからです。
本当に感謝と尊敬の念でいっぱいです。
母島のセレモニーでは古くから地域を支えてきた母島クラブの副会長の方がお祝いの言葉を述べて下さいました。

返還当時、一緒に島を作ってきた仲間の多くが亡くなり、寂しいが、
こうして無事に50周年を迎えれたことが感無量であると。
これからは次の世代が島を支えていって欲しいというおもいが伝わってきました。


小池都知事は母島のスピーチでは空港問題には触れず、
母島の早くて4年後、太陽光発電で年間半年分の電気をまかなう計画を明かしました。

ソーラーパネルの為に新たに土地を開墾するのか心配になりましたが、
具体的には今年の3月に閉鎖した畜産指導所の跡地を利用するようです。
※旧ヘリポート先の美しい圃場がソーラーパネルになるのだろうか?それはあまり歓迎しないです。

個人的には太陽光発電は、
「発電自体はクリーンだが、
生産、運搬、廃棄に多大な化石燃料を消費し、
それで消費する化石燃料と、
その燃料で電気を作るのとさほど変わらない、
なので太陽光発電は大きな電池を買うものだ」と思っているので、
素直に喜べない部分も多いのです。

しかし、今の母島は火力発電所しかなく、
毎日ドラム缶5本近くの重油を消費している事を思うと、
ソーラーパネルさえあれば、
いざという時に自分たちの島にあるものだけで発電できる強みがあるのは事実です。

こういう挨拶というのはありきたりな言葉ばかりで、
さほどグッとくる言葉は少ないものだと思っていましたが、
小池都知事、この場でしっかりとした具体案を提示して、凄いなと思いました。


セレモニー1部の最後には全員で歌う「大切なもの」が歌われました。
これは以前母島に赴任していた教員が作曲し、子供たちが作詞した素敵な曲です。
教員も子供たちも島民もみんながステージに向かって、
素晴らしい合唱を聞かせてくれました。
妻はこれが凄く感動したと言っていました☆


■その後は海上自衛隊横須賀音楽隊の皆さんが素晴らしい演奏を聞かせてくれました。
この音楽隊の皆さんは音楽のプロとして自衛隊に勤務し、
世界各国で演奏を披露しているそうです。

音大出の選りすぐりのメンバーが揃い、
長い航海中は毎日ずっと練習しているとのことです。

素晴らしいアンサンブルに圧倒されました♪

1曲目は大好きな「南崎」。
母島の一番南にある半島部の事で、
海鳥が営巣し、美しい情景を歌っています。


2曲目は島の南洋踊りの古謡を織り交ぜた返還マーチ

を披露してくれました♪


■船が到着し、パレード、記念セレモニーと立て続けに続いた後は記念表彰された方と知事ら来賓の皆さんが、
島の皆さんお手製のお弁当を食べる昼食会をして、
その後はもうははじま丸に乗って島を発ちます。

父島と違い、日帰りの母島は滞在時間4.5時間。
その間に島内を巡視し、農園も見たりしているから、相当な過密スケジュールだったと思います。

それらを迎える島の関係者の皆さんのご苦労も相当だったと思います。
双方ともに本当にお疲れ様でした!

多くの島民と漁船に盛大に見送られて母島を後にしました。



■アメリカ統治時代、母島は無人島でした。
強制疎開で故郷を奪われた旧島民の皆さんが数々の返還を求める活動が実り1968年、小笠原が返還されました。

50年前、無人となりジャングル化した母島を少しずつ開墾して、
先人の皆様がインフラを整備してくれて、今の便利な暮らしがあります。

しかし、返還後、小笠原特別処置法の元、多くの補助で私たちの生活基盤は作られ、維持されてきています。
今はその補助がなければ、今のように暮らすのは難しいでしょう。
国境離島という立ち位置、
排他的経済水域の多くを占める小笠原は国的にも重要な離島なので、
補助がなくなることはきっとないでしょう。
人が住み続けるとこに意味があるからです。

しかし、この暮らしは持続可能とは言い切れません。
生活物資のほとんどを外に依存している暮らしです。

僕は50年後の100周年を迎える頃、
この小笠原が補助に甘えることなく、
今よりももっと持続可能に近づき、
少しでも自立した地域になることを願ってやみません。

大事なのは過去を知り、今をどう動き、未来をどう見据えるか。
返還50周年の節目にいる今、次の世代の子ども達が健やかに生きていけるように、
私たちは頑張っていこうと思います!!


最後に横須賀音楽隊の皆さんがアンコールに奏でてくれた「アオウミガメの旅」をどうぞ!





行きたかった沖ノ鳥島ツアー中止!! 色々調べてみました♪

2018年06月09日 | 島のイベント
■ツアーに申し込んでから、当選の返事があり、
とても楽しみにしていた、初めての沖ノ鳥島ツアー(6/8~6/10)、
やはり台風5号の影響で、
出発2日前に中止との連絡がありました(防災無線のみ!)。
とても残念です!

沖ノ鳥島ツアーが中止となり、
悔しかったのですが、
今夜はその船上で講演会してくれる予定だった東海大の山田吉彦先生の講演先生が
「沖ノ鳥島の国家的役割」について講演してくれました(母島はTV会議)。

結構、政治色が強くて、
貴重な鉱物資源の話もワクワクしとても面白いお話でした!
ありがとうございました♪


沖ノ鳥島は日本の最南端で、
日本では唯一の熱帯気候の島です。

この島は東京都心から約1,700km離れた南の海に位置し、
ホノルル(ハワイ)とほぼ同じ緯度にあります。

父島からは910km離れています。
遠いですね~!
グアムの方が近いんですから(#^.^#)


■沖ノ鳥島ツアーは過去に2回のツアーが組まれていましたが、
どれも中止になっています。

2013年10月のツアーは台風の影響で中止。
2014年4月のツアーはその年の3月に発生した事故の影響で中止。
またも今回も台風で中止!
呪われているのかな~と思ってしまいます。

正直、悔しいです!!
でも自然の天候だし、これはある程度予想していました。
これで決行されて揺れまくるクルージングじゃ行きたくなかったです。
目指せリベンジ!!

中止と決まれば返還祭の駅伝大会に出れるし、
駅伝に出る子供たちの応援もできるわけです!!
沖ノ鳥島行けなかったメンバーで駅伝チームを作り(笑)、駅伝に参加することにしました!!


■さてさて、せっかく行くつもりになった沖ノ鳥島について、色々調べてみました♪

沖ノ鳥島はリーフに囲まれた中にある、
2つの島で構成されており、
それぞれ北小島、東小島と命名されています。

これは東小島です。
二つの小島を合わせても広さは畳6畳分しかないそうです。

国連海洋法条約では大潮の満潮時に水没しなければ、
大きさを問わず「島」というそうです。
満潮時、
東小島は6㎝、
北小島が16㎝、
の高さしかありません♪

現在は波浪での浸食を防ぐためにコンクリートで周りを囲まれています。
住所は東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地と2番地だそうです。



■周囲に島のない絶海なぜ沖ノ鳥島が生まれたのでしょう?

海底にある九州・パラオ海嶺と呼ばれる海底山脈(3000㎞)で唯一海面上に姿を現しているのが沖ノ鳥島なのだそうです!
遠く離れていても九州と沖ノ鳥島は繋がっているんですね♪

沖ノ鳥島の周囲はすぐに水深4000~7000mの深い海で、
水深1500m地点から上はサンゴ礁が成長してできた部分だそうです。

この島は
1543年 スペインのサンファン号によって「アブレオホス(目を開いて見よの意味)」と名付けられ、
1639年 オランダのエンヘルス号が「エンヘルス礁」と呼び、
1789年 イギリスのイフィジェネイアが船長の名「ダグラス礁」と呼び、
1890年 イギリスのアンフィヨン号が測量を行っていますが、
飛行機も無線も発達していない時代において、
絶海の孤島に領有を宣言するメリットがなかったらしく、どこも宣言していなかったそうです。

しかし、大正時代に入ると沖ノ鳥島は国益に繋がると考えられ、
水上飛行機の基地として考えられたようです。

1922年 第1次世界大戦後に赤道以北の南洋諸島を委任統治するようになり、
南洋諸島と沖縄の中間地点の沖ノ鳥島は安全保障上、航海の安全上、重要と考えられたようです。

1922年、1925年と日本の調査船「満州」によって測量が行われ、
島の現状が明らかになり、
1931年 「沖ノ鳥島」と名付けられました。

この時点で他国が領有を宣言していないのが確認され、
正式に日本の領土に編入されたそうです。

1939年には灯台と気象観測所の建設工事が始まりましたが、
3年後に第2次世界大戦が勃発し中断することに。

その後、
1968年に小笠原諸島と共に沖ノ鳥島も日本に返還されました。
1987年に気象観測所が設置、浸食保全の為の工事、
2007年には灯台も設置、
工事開始から70年でようやく完成と至ったようです。


■沖ノ鳥島は日本の排他的経済水域(EEZ)をとても広く確保してくれる存在となっています。
排他的経済水域とは、
国連海洋法条約で定められた、沿岸国に権利のある水域の事で、
沿岸から200カイリ(370km)以内は漁業権、鉱物資源などの調査、開発、保存する権利、
そしてそれらの資源と環境を管理する義務も担っています。

小笠原村は陸地面積こそ小さいですが、
沖ノ鳥島、南鳥島も合わせて、
日本の排他的経済水域の31%を持っている凄い村なんだそうです(笑)!
(ちなみに伊豆諸島を入れると41%!東京の島すごい!)

また、沖ノ鳥島も含め、小笠原諸島の周辺は海洋鉱物資源の宝庫なのだそうです。

コバルト・リッチ・クラスト(深海底に存在する鉱物資源)や
リチウム(蓄電池の材料)などレアメタル資源の宝庫なのだそうです。
日本近海は海底熱水鉱床というマグマと海水の反応でできる鉱物の取れる地点も多いそうです。

メタンハイドレードという、次世代の化石燃料と期待されている天然ガスの仲間も、
日本は豊富にあり、うまく運用できればエネルギーの自給も夢ではないほどだそうです。

2014年に報道もされた小笠原諸島に現れたサンゴ密漁と言われた中国の船団、
本当の狙いはサンゴではなく、海底資源だったという見方もされています(ー_ー)!!


簡単に言うと、
沖ノ鳥島は結構遠いけど、
漁業資源としても、
海底資源としても、
気象観測所としても、
排他的経済水域確保としても重要な島ということが分かりました。

でも、いつも思うのは、
この世界・資源は本来どの国のものでも、
誰のものでもないということ。

「この土地は最初に見つけ、最初に宣言した人のもの」という概念はいつも疑問です。
インディアンが白人の言う土地の所有というものになかなか理解ができなかった様に…
(先住民にとって土地は大いなるものであり、個人の所有という概念があり得ないという考え)
領土問題という側面も考えさせられます。

いつか、またツアーが企画されることを願ってやみません。
個人的には島の風景と、そこまでの外洋性の鯨類、海鳥に会えるのも結構楽しみなんです♡

参考資料:国境の島を発見した日本人の物語 藤岡信勝・著、海上保安署ウェブサイト、国土地理院ホームページ



東洋と西洋のガラパゴス交流!!

2018年03月14日 | 島のイベント
■小笠原はよく東洋のガラパゴスと言われます。
それは島の誕生から現在に至るまで、一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島であること。
独自の進化を遂げた、島の固有の動植物が多く存在することが、
南米エクアドルのガラパゴス諸島に類似しているからだと言われています。

小笠原がアメリカから返還されて50周年を迎える今年、
なんと西洋のガラパゴスと東洋のガラパゴスの交流が企画されました(企画:小笠原自然文化研究所)!

※長女が母島に来島するガラパゴスの子ども達に向けて作った横断幕です♡

地球の反対側のガラパゴス諸島から、わざわざ小笠原諸島まで4人の中高生と、
あの有名なチャールズ・ダーヴィン研究所の所長さんが来島しに来ました♪

父島と母島でTV会議で繋ぎ、
西洋と東洋のガラパゴスが交流する…
とても刺激的な時間でした♪

イグアナやゾウガメなど、大きな爬虫類がいない東洋のガラパゴス・小笠原ですが、
自然の背景は冒頭で書いたように良く似ています。

しかし、今回特に面白いと思ったのはガラパゴスと小笠原が似ている部分が自然以外にもあったことでした。


■南米の孤島でもあるガラパゴス。
そこは生物の楽園ですが、飲み水に乏しく、
インカ人が過去に来た石器などはあったようですが、
永続的な定住には至らなかったようです。
人の定住はエクアドルが領有を宣言する(1832年)せいぜい200年程度とのこと。

小笠原は石器時代に人が住んだ名残はありますが、
現在に繋がる人の暮らしは江戸時代(1593年)に小笠原貞頼が発見してから、
ナサニエル・セーボレーが最初に定住(1830年)して今に至る約200年。
ここも似通っています。

※母島の南崎・小富士で水を飲むガラパゴスの高校生☆

小笠原は戦後の強制疎開で伝統的な文化や芸能の多くを失っていますが、
ガラパゴスもスペイン人が移住してからの歴史で、独自な伝統や文化がないそうです。
自給率も低く、生活物資はほとんどが輸入に頼っている部分も同じです。

飲み水のほとんどをペットボトルの輸入に頼っているガラパゴス。
しかし、そこの子供たちの環境意識の高さは目を見張るものがありました。


■僕は主催者の関係者として母島の受け入れの一部を手伝わせて頂きました。
冒頭に載せた長女力作の横断幕。

せっかくの機会なので「学業優先で出迎えを認めない」学校に対し、
無理やり港に出迎えをすることにしました(笑)。

遠路はるばる南米からやって来た、同じような世代の仲間に、できるだけのおもてなしをしたい心。
長女が作った横断幕にいたく感動してくれて、長女はとても嬉しそうでした♡


良く見ると、ガラパゴスのアオアシカツオドリや
スペイン語でようこそ!の意味、
国旗やイグアナやゾウガメなど色々凝っています♪

英語が大好きな長女。
先日のTV会議で繋がった質疑応答でも特異な英語で質問したりして、
果敢に交流し、自分の英語が通じる嬉しさと自信を感じていました♪


■ガラパゴスの子供たちは母島の自然も十分に満喫していました☆

遊歩道で終始歌って踊り続けるラテン系のノリには驚きました♪
いや~なんて楽しい雰囲気(#^.^#)
長女と同じ匂いがします(笑)!!!!


クジラの跳ねる大海原と乳房山をバックに記念撮影☆

また、驚いたのは海岸に行くと自然と海のプラスティックゴミを拾う姿勢です。

いつも僕も海洋生物に対する影響を知り、何かできないかと思い、
海岸に行くたびに無理のない範囲で拾ってはいるのですが、
当たり前に拾うガラパゴスの子供たちの精神性に驚かされました。

講演会では小笠原からの質問で
「子供たちにどのような授業で環境教育を行っていますか?」
という質問があり、
チャールズ・ダーヴィン研究所所長は、
「すべての授業に環境保全のエッセンスが入っています」
という回答をしていました。

あまりのレベルの差に圧倒されましたが、
子供たちのこの自然な関心と動きに、
頷かされました。

ガラパゴスではゴミの60%をリサイクルしているそうです。
リサイクルは莫大なエネルギーを消費するし、
リユースが理想ですが、
それだけの意識が素晴らしい。

世界危機遺産にもなったことで、
新たな意識も沢山生れたことでしょう。


南崎ではこんなに沢山のゴミをみんなで分担して遊歩道を運びました。

海ゴミを体にまとい、ジャングルを歩く姿、

なんだか素敵な飾りみたいに見えてしまいます。


第2次世界大戦の戦跡を見て、圧倒されていました。
こんなものを山の中腹に作らせてしまう戦争の惨さが伝わったと思います。


夜には宿に駆けつけ、
小2の妹、宿のお友達も一緒に島のフラを披露し、
最後は南半球ではあまり綺麗に見えないという満点の星空を見に行って、母島最期の夜を一緒に過ごしました。


■母島最終日には母島の子供たちが参加しているサッカーチームFCフォルサで交流をしました♪


島の子供たちは予想以上に積極的に交流していました!
子ども同士に言葉の壁はあまりないようです(笑)。


中学生はその後、一緒に海の見えるレストランで食事をし、
名残惜しいですが、お別れの見送りです。


最後は島の子どもが作ったレイをかけて、
別れに涙を流すほど、良い滞在になって良かったと思います♪

親にとっても長女が自分の英語が通用し、
外国の人とうまくコミュニケーションが取れる自信が持てたようで、
とても嬉しかったです。


■世界自然遺産でもある東洋と西洋のガラパゴス。
そこは自然以外にも人の暮らしに多くの共通項がありました。

資源やエネルギー問題(ガラパゴスは30~40%は自然エネルギーとのこと)、
貴重な野生動物との共存、
観光の在り方、
人間の暮らし方、
ゴミの問題、
それぞれにいいものがあり、学ぶものがあると感じました。

小笠原もガラパゴスも治安がいいそうです(エクアドル本土は危ない地域アリとのこと)。
小笠原は町中もゴミが少ないと言われました。

今年は日本とガラパゴスが交流を開始して丁度100年の節目の年だそうです。

小笠原の人口は約2500人で年間観光客数が約2万5000人。
ガラパゴスの人口は25000人で年間観光客数が25万人。
絶対数は圧倒的に違いますが、
比率的には同じなんですね~

この機会にお互いの想いを交錯し、
自然に負荷をかけすぎない、より持続可能な暮らしを模索するきっかけになれば幸いです。

子供たちも2週間以上、長い移動と活動の連続でクタクタだと思います。
関わった関係者の皆様もどうもありがとうございました♪

夏には小笠原の子供たちがガラパゴスに交流に行くそうです。
よりお互いにとって実りある交流になると嬉しいです(#^.^#)

こうなったら姉妹都市になっちゃえばいいのにと思います♡


小笠原凧作り!!(為朝凧)

2018年01月29日 | 島のイベント
■今年は小笠原諸島がアメリカから日本に返還されて50年の節目の年になります。
それに向けて様々なイベントが企画されているのですが、
今回実施された「小笠原凧作り教室」に僕と次女で参加してきました!

小笠原凧は戦前から島で作られていた伝統的な凧で、
八丈島から小笠原に伝わってきた為朝凧(ためともたこ)が基礎となっています。

「源為朝(みなもとの ためとも)」は平安時代末期に活躍した武将のひとりです。
古今無双の弓の名手として知られ、勇士として様々な伝説などを残しています。(結構すごいです!)

しかし、【保元の乱】 に破れ、伊豆大島に流されてしまいます。
ですが、さすがの為朝。
そこでも国司に従わず、自慢の武力で伊豆諸島を事実上、すべて支配下においてしまいます。
そして乱暴狼藉が訴えられ、追討を受け、最後は自害した伝説の武士です。

為朝凧は、八丈実記をあらわした流人・近藤富蔵 が図案を考案したものとのこと。
今も伊豆諸島で慕われている為朝を凧に描いたのが始まりのようです。
強弓の名手であることから、背中に矢が見えるのも特徴です。

※これは母島に残っていた小笠原凧です。為朝の絵が描かれていますね☆


凧の形は、風力にあった縦横の絶妙な寸法、
軽くて丈夫な竹の骨組み、
糸目の長さが緻密に計算されていて、
尾なしの色鮮やかな凧として芸術的にも評価が高くなっているそうです♪

島のおじいちゃんやおばあちゃんに聞くと、
昔は島のあちこちで作られ、
正月にはみんなが凧揚げをし、
小剣先の頂上で凧を揚げては、木に縛ってそのままにして、
集落からみんなで見上げていたといいます。

今回は島で10年ぶりに凧作りが企画されたので、
ずっとやりたいと思っていた僕は娘を誘い、参加してみました!

これは子供たちが作った凧を母島小中学校の学習発表会で展示してもらった写真です☆(完成の翌日!!)


■まずは凧作りは3日間の予定で作成から揚げるまでを組まれてありました。
が、母島小中学校の授業参観と日程が重なってしまい、
なんと金曜の夜と土曜の1日で仕上げることに!

そもそもこんなに時間をかけるのに、
大人も子供も集中力を維持し耐えられるのか心配でしたが、
結果を見ると見事、素晴らしい仕上がりだったのです!

準備、運営をしてくれたスタッフの皆さん、
本当にありがとうございます♪


■そんなこんなで早速金曜の夕方に集まり、
早速制作が始まりました。


まずはのりしろを含めた線を寸法を測りながら和紙に書いていきます。
今回は40cm×90cmの凧を作ります。
のりしろは3cm~3.5cmを周りに書きます。
まっすぐに描かないと後で困るので、
2年生の次女も必死に線を引いていきます。


線を引いた後は表に好きな絵を描きます。

次女は大好きなシロハラミズナギドリ、ヤツガシラ、りんごを描き、


僕はカツオドリを書いてみました。

とにかく、他の子どもたちの絵もほんとうに素晴らしい!!

下書きをした後、墨と筆でラインを引き、
その後は色塗りをする前に色の混ざりを防ぐために、
熱して溶かした蝋を墨で描いた周囲に塗ります。

この蝋はその後、透明に近くなるので、
凧から光が透けて綺麗に見えるラインにもなるのです♪

とても熱いので注意が必要です!

蝋をぬった後は、楽しい色塗りです☆


みんなおもいおもいの色を塗って仕上げていきます。

そのあとは竹を組んでいきます。
以前は竹を削るところもやっていたそうですが、
それをやると1週間はかかってしまうので、
今回は用意してもらいました。

この竹組みは、出来上がり後の折れや破損に繋がるシビアな部分です。

竹の固さや節を良く見極めて、
長さをよく合わせながら組んでいきます。
今回はグルーガンを使って繋いでいきました。

竹を組んだ後は、
周囲の竹の合わさったところを和紙で補強して(竹が絵を突き抜けない様にするため)、
その後、描いた和紙とドッキングさせていきます。

ペタペタと糊付けをしていく作業です。
速く塗らないと先に塗った糊が乾いてしまいます!

周囲を糊付けしたら、
今度は中心付近の竹の合わさっている部分を和紙と糊で補強して行きます。


補強したあとは千枚通しで糸を通す穴を空けていきます。

これが結構気持ちがいい♪

そのあとは凧に付ける糸を作っていきます。
凧から伸びる糸は凧の長辺の6倍の糸を6本作ります。
一つ一つ長さが異ならない様に慎重に作っていきます。
糸は伸びるので、張って測るのではなく、
たるませて、同じたるみで見極めるのがミソでした!

組穴(糸穴)を空けたら、
今度は糸を通し、結びながら、
凧を湾曲させていきます。
強引にしては折れてしまうし、
へたにバランスが悪いと、
凧はまっすぐ飛ばなくなるので、
ここも難しい所です。

結ぶ時の約束ごとは、2本の糸のうち長い糸を持っている手は糸から離さないで、
短い糸の方を2回巻いて、長い糸を引き、
根元を締めていくことが大切です。


上は狭く、
下は広めに絶妙に調整していきます。
(上の部分は凧を空高く揚げる為に必要な風を受ける部分です)

個人的にはこの作業が難しかったのですが、一番好きでした♡

このあとが一番職人芸な部分。
凧から伸びる12本の糸の調整です。

均等にしなるように、
集めた時に凧の3分の2の高さで、しかも中心に来るように、
そして張った時に凧がまっすぐ斜めに上昇するのを確かめながら、
糸を一組ずつ調整していきます。

これが本当に職人芸で難しい!!
父島から教えに来てくれた講師さんが最終調整やらないと、
なかなか凧はうまく上がってくれないらしいです☆
※これは馴れと感です!←講師・談

なんやかんやして、
2日間かけて無事に凧は完成しました!

左が僕が作った凧で、右が小2の次女が作った凧です。
本当にお疲れ様でした!

みんなの凧を並べると、ほんとうに素敵な光景でした♪

最後に感想や挨拶をして、
長い長い2日間がこれで終わりました。

作っても想像以上に大変で難しく、
びっくりしましたが、
それを教える側はもっと大変だったと思います。

貴重な経験をさせていただき、本当に有難うございました!!


■翌日は学校の学習発表会&授業参観だったのですが、
急きょ凧の展示もさせてもらうことになり、
子どもたちの凧をみんなにお披露目することが出来ました!

そして、参加したパパ達は授業で来れない子供たちに代わって、
こっそり凧揚げを習う機会を得ました!

講師のAさんはこの日に父島に帰ってしまうので、
今日習わないといけない!と数人が評議平グラウンドに集まり、
ビックリするほど冬なのに風がない中、
最低限、凧を揚げて、壊さないコツを習う事が出来ました。

自分の凧がまっすぐ空に向かって上がった時は、
凄く嬉しく、
何とも言えない感動がありました♪

その日の夕方、
次女はなんと発熱してしまい(インフルではなかったです)、
まだ次女が作った凧は揚げれていませんが、
元気になった次の休日にはぜひ凧を揚げたいと思います♡

わ~い!!小笠原凧万歳!!
どうもありがとうございました!!!

月ヶ岡神社例大祭2017

2017年11月25日 | 島のイベント
■11月23日は母島の月ヶ岡神社の例大祭が執り行われました☆
島で別名・大神宮と言われるこの神社のお祭り、
朝のチンドン屋に始まり、山車、神輿、演芸大会と盛り沢山な一日となります。


まずは我らが子供会の恒例のチンドン屋が集落を演奏しながら、
この日お祭りがあることを告知します。

今年は長女(中2)が子供会の会長となり、
みんなを引っ張る役を務めていました♪

小学1年生から中学3年生までが属して活動している子供会。
みんなをまとめるのはなかなか大変です。
良く頑張っていました(*^_^*)

僕も育成会の会長として、
一応頑張ったつもりです(笑)。

チンドン屋は密かに島の人たちが温かく見守ってくれ、
愛されて続いている素敵なイベントです。
いつまでも続いてほしいなと思っています。

■お昼過ぎからはまずは低学年&未就学児による山車の巡業です☆

「わっしょい!わっしょい!」
のかけ声で元気に集落を周ります♪

次女(小2)はこの山車が大好き♡
楽しそうに綱を引いてはかけ声をかけていました!


高学年と中学生は子供神輿。
集落を練りながら、道行くお客さん目がけて神輿を振りまくります(笑)。


迫力は大人の神輿には適いませんが、
一生懸命担いで声をあげています♪

宮司さん曰く、
お祭りというものは神様がこの世界に降りて来る日。
「私たちはこんなにも元気にしています!だからご安心ください!」
とアピールするために賑やかに騒ぐことに意味があるそうです。

オトナも子供もそれに便乗し、
この日とばかりは騒ぎに騒ぎます(笑)。


大人の神輿はかけ声も「せいや!」となり、迫力があります♪
僕も祭も神輿も大好きなので、
子どもの山車を見守りつつ、
少しだけ担がせて頂きました(*^_^*)

腕を神輿に回して、
リズムを合わせて、
力いっぱい担ぐ。

それだけで、なんだかとても気持ちがいいのです♪


父島からも多くの人が担ぎに来ていて、
和気あいあいと楽しかったです☆


最後に神社の境内に戻ってきて、
奉納の担ぎを行い、無事に終了♪


年に一度のこのお祭りを無事に終える事が出来ました!
事前の準備や草刈り、
当日の休憩所の振る舞いや運営など、
多くの皆様の支援のお蔭で楽しませて頂いています。
本当にありがとうございます!

写真はないですが夜は演芸大会もあり、
僕も娘も南洋踊りに出て、
あとはミズナギドリの保護巡視に行き、
あわただしい11月もこれで終えようとしています。

明日は母島初開催のアイランド・ジャズ・フェスティバル!!
3時過ぎからの集落初のパレードからライヴは始まります♪
こちらもスタッフとして関わらせて頂いています(*^_^*)
さあいっぱい楽しむぞ~!!

母島属島・平島 無人島の海岸清掃!

2017年07月09日 | 島のイベント
■昨日は母島・属島の平島という無人島で海岸清掃を行いました♪


平島は母島の集落から見えて、美しい白砂の砂浜が広がる無人島です。
母島との距離は約4km程度。

この島は小笠原諸島で最大のアオウミガメの産卵地で、
砂浜には無数のカメの上陸跡が無数にありました!


夏には母島小学1年生が1泊で無人島キャンプを行います。
長女も去年参加して、
無人島で1夜を明かしてきて、
遠く見える母島の集落の明かりや、
かすかに聞こえる太鼓の音、
夜に産卵に上がってくるアオウミガメの産卵を観察したりと、
島ならではの体験をしてきたようです♪

■今回、私たちはクラブノア母島を改め「ダイブステーション母島」主催で海岸清掃に行ってきました!

まずは漁船で平島へ!
今回、子供たちは参加できない為に母島でお留守番です。


目下、碧く美しい海と綺麗な砂浜が広がります!


今回は上陸の際、T船長のカヤック姿というレアな姿が拝めました(笑)!!
人生初だったそうで、かなりハマってました♪


■美しい浜に立ち、海ゴミを拾い始めます。

印象としては北港や東港、南京浜に比べれば
ゴミの絶対量は少なく、小さめなプラスティックゴミが多かったです。
(と言っても、トン袋2袋半はありました!)



森の中にも発砲スチロールゴミが沢山落ちていました。


集めてみんなで漁船に載せると、
こんなに集まりました!

本当にお疲れ様でした!


■海ゴミは景観を損なうだけでなく、
現在、野生動物の脅威としても知られています。


最近は5mm以下のマイクロプラスチックのごみの問題もクローズアップされています。


■海を漂うプラステックゴミは、
有害物質を含み、
生き物はその漂着した藻が発するオキアミと同じ匂いを嗅いで捕食してしまう様です。

私たちはこの自然の恩恵を受けて生きていけます。
その自然をこうして破壊しているのも私たち人間です。

平島の海の中です。

美しいサンゴや


美しい海底


海に降り注ぐ太陽の光。

この美しい自然に恩返しするためにも、
できる限りのことをしていこうと思います☆

今回の海岸清掃では島の人とスタッフ以外にも漁業体験で来島している方も参加していました。
漁師を志す同世代の人、
二十歳の若者、
十代の漁師見習い、
普段なかなか話さない人と出逢い、
色々話せたこともとてもいい刺激になりました!

予算を出してくれた東京都、
運営、準備してくれたダイブステーション母島、
自ら艀舟を出してくれたNやん、
そして参加した皆さん、
ほんとうにありがとうございました♪
とても楽しい海岸清掃でした!!



母島の返還祭 (第44回母島返還祭2017)

2017年06月28日 | 島のイベント
■母島の島民に「島で一番のお祭りは?」と聞いたら、
多くの人が「返還祭!!」と答えると思います。

それもそのはず、
母島では6月は返還祭イベントで目白押しなのですから☆

6月に入り、バトミントン大会の1週間、駅伝大会、ゲートボール大会、
そして月末の土日に行われる返還祭の前夜祭と当夜祭。

母島ではただ単に最後の2日間のお祭りではなく、
1か月を通じて、様々な行事が行われる激動の1か月なのです!


■昭和43年6月26日、戦争でアメリカに占領されていた小笠原諸島が日本に返還がされました。(沖縄返還は昭和47年5月)
欧米系住民はその前に帰島が許されていましたが、
戦後23年間の空白を経て、島民が戻ってきました。

アメリカ統治時代、父島には米軍基地もあり、
欧米系住民が住んでいたこともあり、
人が住んでいましたが、母島はその間無人島となり、
ジャングルに戻っていたそうです。

8ミリフィルムが語る昭和の小笠原諸島 ~母島~


そして父島から遅れて5年。
どうにかインフラを整備し、定住がはじまったそうです。

なので返還49周年の今年の母島返還祭は「第44回」になるのです。

返還祭は、その頃から続いており、
島の先人の皆さんが、
今と違い娯楽のない島の暮らしを盛り上げる、
とても大切なお祭りなのです♪




■そんな島の一大イベント、我が家もずっと参加しています。
今年も職場チームでゲートボール大会に参加し、

娘二人はバトミントン大会にも出場し、大いに楽しみました♪

毎年、僕も娘も参加している駅伝大会は、
1kmの集落を走るコースを6名のチームで走る大会。
小学1年生から50代までが参加する地域挙げての駅伝です♪

次女は小学2年生チームで出場!

毎日の練習もそうですが、
ゴール後は頑張り過ぎて大泣きするほどのいいタイムでした♪


長女は中2と小6+大人の混合チームで頑張りました!
女子は中学生になると成長の問題で足が遅くなりがちですが、去年のタイムを超える頑張りでした!


駅伝後はみんなでそのまま岸壁から海に飛び込み、
頑張った汗を流します♡

これがまた気持ちいい♪


■そしてフィナーレは返還祭の前夜祭と当夜祭です!
子どもたちは子ども会で屋台を出店したり、
フラや太鼓、ダンスと大忙し!

みんなで島の返還を祝い、盛り上げます。

前夜祭は島の色んなサークルの発表が多く見られ、
娘二人もフラで参加しました!

秋のフラの祭典、フラオハナでもそうですが、
フラ人口の多さにはビックリします!

この日はみんな日頃の練習を活かして、見事な舞いを披露してくれます。
着飾った美しい装飾や衣装で、
みんな可愛く、美しく見えます♡

毎年トリとして恒例の青年会の今年のダンスは
「DJ OZMA - アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」でした☆

すごい楽しかったです♪

当夜祭は八丈からの太鼓やカラオケ、南洋踊りなど伝統芸能が多く見ることができます。

僕と次女は南洋踊りに参加しました。
今回、踊りながら最前列で踊る次女を見ていたのですが、
とても気持ちが入っていて、集中したいい南洋踊りになったと思います♪

返還祭と言えば間近でみる花火!!

内地の花火大会に比べたら大きさは小さいのでしょうが、
とても近い距離で、
人混みも少ないので、ゆっくり楽しんで見ることができます。

そして、花火と花火の間に見える満点の星空!!
これが母島の花火の醍醐味かもしれません。


フィナーレは壮大な海に落ちるナイアガラ!!

返還当初は内地から花火師を呼んで上げていたそうですが、
今は島の人が何人も資格を持っていて、
島の人たちが事前にしっかり準備して、
危険を顧みず上げてくれます。
どうもありがとうございます!

最後は大好きな盆踊りで締めます☆
曲は炭坑節、大東京音頭、大漁節、東京音頭、小笠原音頭、母島音頭です。
僕のお気に入りは小笠原音頭と母島音頭です。
特に母島音頭の振りの気持ち良さ、美しさは最高です♡


中学生の長女は浴衣を楽しんでおりました♪


そんなこんなで母島の返還祭も今年も無事に終わりを迎えることができました。
準備から運営、出場、応援に関わった皆様、本当にありがとうございました!
来年は返還50周年の大きな節目の年になります。

この大きな節目を期に小笠原のこれまでを振り返り、
これからを見直す、よりよい島づくりを目指していけたらと思います♪





映画「ある精肉店のはなし」の上映を終えて

2016年12月07日 | 島のイベント
■先日、父島と母島で自主上映会がありました。
映画のタイトルは「ある精肉店のはなし」。

父島の友人が主催で行うと聞いて、ぜひ母島でもと手を挙げ実現しました。

映画について詳しくは映画のサイトをご覧ください。

映画の予告はこちら


上映会をしてみて、
こうした素晴らしい映画を島の人と共有できて良かったなぁと思いました。

この映画を島まで繋げてくれたSちゃん、
参加してくれた皆さん、
2回の上映会に色々フォローしてくれた家族、

そして、この素晴らしい映画を作ってくれた製作者の皆さん、
北出ファミリーの皆さん、
どうもありがとうございました!


上映後、次女が書いたイラストです。



■牛を育て、家族4世代が一緒に頑張り、
自ら屠畜し、丁寧にさばき、
その肉を販売する…

そして家族のひとりが、
牛の皮をなめして太鼓の革にしていく。

地域での家族の在り方、
有名な大阪のだんじり祭りにその太鼓が使われ、その場面も描かれています。

とある番組にも紹介されていました↓


監督の纐纈(はなふさ)あやさんは言います。
「生き物を食べて、人は生きる。
その命を奪う行為が日常の暮らしの礎にあることを知ってほしい」と。

■僕が映画を見て思ったことは、
牛に対する気持ち、
職人としての心構えとても素晴らしく、
と殺の手際の良さ、
家族の分業が素晴らしく美しく見えました。

ほぼ1本のナイフで1頭の牛を解体していく業は、
圧巻でした。

冒頭と最後の牛の眉間に最後の一撃を打つ場面、
あえて淡々とこなし、
映像も血や斬首の場面をカットしていて制作側の意図に好感がもてました。

自分が鶏をさばくときも思いますが、
全部無駄にすることなく、
有難くいのちを頂こうと思うのです。

そして、その手間がほんとうにかかります。
自分でさばいた後にスーパーで、
1匹に1個しかない砂肝が8個で248円で売られていて、
これは本当に正当な価格なのだろうかと疑問を抱きました。

命を頂く、
そしてそれをと殺する仕事の人の報酬として
あまりに価格が見合っていない気がしたのです。


映画ではと殺のシーンだけでなく、
家族の4世代の温かい場面が数多く描かれています。
この主役の北出ファミリーがとても素敵なんです♪

孫の結婚式への服を探して、足を骨折してしまいますが、
退院して戻ってきた時の家族の対応がユーモアと温かさに溢れていて、ほんわかしました。

やはりいのちと向き合い、常に関わるからなのでしょうか?
文字通り「いのちを食べて、いのちは生きる」ことを心から理解している人たちなのでしょう。

102年続いたと殺場が閉鎖を迎える時の
一抹の寂しさは何とも言えませんでいた。

牛を飼わなくなった来た井出さんは、
そこで太鼓を作る方にシフトするという柔軟さをもっていたのです。
そこに素直に感動しました。

そして、
大阪のだんじり祭り、
太鼓の制作も初めて見れて良かったです。

江戸時代から使われている太鼓は、
内側に張り換えの時の職人の名前が書かれていました。

こんなにも手間をかけて、
牛の皮も使われていくのが見れたのがとても良かったです。

上映後に次女が書いてくれたイラストです。

小学1年生はこの映画でどんなことを学んだのでしょう?
下のアンケートにも鋭い部分を見出していて、驚かされました。


■上映会で参加してくれた方が書いてくれたアンケートを紹介します。
・最初は精肉店の話と聞いていたので、想像していた話とちがっていて、ビックリした。命のこと、まわりとのつながりなど色々と考えさせられた映画でした。(20、女性)

・命をいただくとそのための手段をして差別が発生することが生きることの多面性をあらわしていると思いました。ありがとうございました(50代、女性)

・牛を割るのも、太鼓を張るのも初めて見ました。屠畜場が動いているのも初めて見ました。最後の話を聞いて、やっぱり仕事はトータルな方がいいんだなと改めて感じました。(50代、男性)

・とても深い作品で感動しました。(50代、男性)

・食の大切さを知りました(60代、男性)

・ていねいに仕事をする、ていねいに生きる姿とても心地の良いこと。この家族にたくされた牛は幸せだな…。肉が苦手な私はわぁ…と思うシーンもありましたが、しっかり見ました。ありがとうございました(50代、女性)

・最初の方は衝撃的でしたが、色々と繋がっていること。人柄や人生観が伝わってすごくよかったと思います。(30代、男性)

・うしのいのちをもらうときくるしそうにならないようにきをつけて、すごいな~とおもいました。どうもありがとうございました。(小学生)

・時代の流れで家業でできる仕事がなくなるのはさびしい。とてもいい家族でした(40代、女性)

・食べののが食卓に並ぶまでに、生きものやそれに関わる人々の背景、ストーリーがあって、生々しく、活々としていて、印象深かった。タイコ作りもふくめて、命のダイレクトなつながりを感じました。(30代、男性)

・と殺シーンはショッキングだったけど、今私たちがこうしてお肉を普通に食べれているのは 差別、偏見などをうけながらも加工してくれる人たち、そして牛さんたちだということをリアルに知ることができた。こういうものは普通お肉を食べていても見たがらない人が多いけど、少しでも多くの人がこういうのをみて、心を動かされるといいと思った(中学生)

・「いただきます」「ごちそうさまでした」には料理を作ってくれた人だけでなく、食べられる状態にして届けてくれる人、何より生き物に感謝の気持ちを込めるという意味を改めて実感しました。何気なく言っていたこの言葉の本当の意味を分かることが出来ました。ありがとうございました。(20代、女性)

・前から見たいと思っていた映画なので機会をいただけて良かったです。ありがとうございました。またお願いします。(20代、男性)

・問題を改めて知った。タイコの張り替えに感動。(60代、男性)

・思いがけず、とっても素晴らしい映画に出会えてうれしかったです。この映画を作っていただいて、観ることができた出会いに感謝です。終了した時、拍手したくなった映画でした。色々な内容をもりこんであり、ゆっくりとうけとめて考えて、生きていこうと思います。日々の生活にとても結びついた大切な話だったと思います。(40代、女性)

・牛に対するスタンスがとても素晴らしく、太鼓の制作も初めて見れて良かったです。北出ファミリーがとても素敵でした♪孫の結婚式への服を探して、足を骨折してしまいますが、退院して戻ってきた時の家族の対応がユーモアと温かさに溢れていて、ほんわかしました。牛の眉間に最後の一撃を打つ場面、あえて淡々とこなし、映像も血や斬首の場面をカットしていて制作側の意図に好感がもてました。(30代、男性)



母島フラオハナ2016

2016年10月22日 | 島のイベント
■少し前の事になりますが、10月8日(土)、母島のフラの祭典、フラ・オハナ2016が開催されました♪
今年も沢山の島の踊り手が参加し、
華やかな一夜を盛り上げました☆

僕も男フラとして、
娘二人も踊り手として参加しました♡

踊り手の女性陣による美しいステージの装飾は目を見張るものがあります♪

序盤は保育園~中学年クラスの可愛いフラ。

その後は高学年~中学生の素敵なフラと続きます。


この時は妻が内地だったので、
お母さんに見せる姉の踊る姿を動画で撮影している次女♡


う~ん中学生たち、どんどん素敵になります(*^_^*)
子供のころからずっと自然にフラをしている島の子供たちは、
ごく自然にしなやかなフラの動きが身に付いていて、
大人から始めたそれとは根底から違う、
自然体のフラを見せてくれます☆


父島から高校生達も参戦してくれ、
より素敵になった姿を見せてくれました。
思春期を乗り越え、
存分に楽しんでいる姿になんだか嬉しくなってしまいます♪

父島の中学生たちも可愛くキメてくれました♡

■そしていよいよ男フラの番です!
今年も人気の古典フラ(カヒコ)のサワラを披露しました!

今年はなんと12名でのカヒコ!
過去最多です!

なんとここまでに進化するとは!!
子供たちもバッチリ決まってきています♪


ド素人で始めた母島男フラですが、
数年間続けたお蔭で、今年はさらに素晴らしい出来栄えでした♪


サワラは伝統カヌーによるサワラ漁を表現する小笠原オリジナルのフラです。
フラの根源ともなるカヒコ=古典フラ。
歌はなく、パーカッションとかけ声で踊ります。

演奏は「トヨスクードーズ」の皆さんでした(毎年名前が変わりますw)♪


今年のサワラの動画です。
背後にいる白いワイシャツのミスターが気になります(笑)。


その後、着替えて男フラは華やかなハワイアンカウボーイも披露しました♪
こちらは古典フラのカヒコとは違い、楽しく笑って踊れるアウアナ(現代フラ)です。

元々は3年前に「父島でやったことのないフラをやりたい!」というメンバーの発案から始まった曲でした。

踊ってみると、難しいのですが、
こりゃまた楽しいのです♪


美しい女性を乗る馬に例えた、
悲しい男の性(さが)が溢れるユーモアたっぷりのこの曲。
3年前はすべて日本語に意訳したのですが、
今回はサビのみハワイ語で歌ってくれています☆


最高に楽しく踊れたハワイアンカウボーイでした♪


■その後も進み、上級クラスの女性のフラに酔いしれます♡


落ち着いて微笑を湛えた大人のフラは、とても気持ちが良く、素敵です♪


終盤には恒例の来春島を離れる中学生女子のフラ。

今年度は一人の中三の女の子が踊り、
その母が共に踊り、
涙のフィナーレを迎えました。
今年は特にグッとくるものがありました。
うちの長女はもう大泣きで大変でした(笑)。


■こうして台風シーズンにも関わらず、
無事に今年も母島フラオハナを大盛況の中終えることができました。

毎年のことですが、
こうしてフラを続けていれること、
オハナを無事に開催し終えれることは、
家族をはじめ、
運営、準備、演奏、売店etc...多くの人の支えの元に成り立っています。

そんな人たちに精いっぱいの感謝の気持ちを込めて、
今年のオハナも終えたいと思います。
どうもありがとうございました!


■今年の曲順です☆
1.Tutuki
2.世界中の子どもたち
3.ププヒヌヒヌ
4.ボニンアイランド
5.カヴァイレフア
6.レイン
7.カウルヴェオケカイ
8.カピリナ
9.カイマナヒラ
10.丸木舟
11.プアナニ?
12.涙そうそう
13.コアリ
14.プアリリレフア

15.ドキドキアイランド
16.サワラ
16.パイナップルプリンセス
17.プアナニ?
18.海の声
19.メレオハナ
20.ランデブー
21.ハワイアンカウボーイ
22.プアナニ?
23.イアリィノオエ
24.たいせつなもの
25.アオウミガメの旅

アンコール
26.海の声
27.Te Wahine Tahiti