朝から加奈っちが「掃除をしろ!」とうるさい。僕の机が縁側の片隅にあるのだが、完全に物置と化していて、全く使っていない。僕は「物置」でいいと思うのだが、「私は許せない」とガミガミ言い、徐々に切れはじめた。
あまりに言うので逆ギレしたら、小源太を連れて家出してしまった。仕方なく、昼ご飯は玉子焼きそばを作り、テレビを観ながらボチボチ片付けることにした。
片付けをすると必ずアルバムや本に見入ってしまうものだ。机の上に「四方豊蔵翁を偲ぶ」という本が置いてあった。豊蔵とは僕の祖母の父、曽祖父だ。略歴をじっくり読んでいたら、明治9年生まれで、先日書いた新庄倉之助は明治元年生まれなので9歳下だが、同じように何鹿郡蚕糸同業組合の書記を務め、後には波多野鶴吉の下で副組合長を務めて、波多野が退任した後は組合長となっている。新庄倉之助の後輩になるようだ。
縁というのは、いろんなところでつながっているなあと感じた。
夜は並松町自治会5組の懇親会に参加した。去年は組長だったが、火事があって参加できなかったなあと思い出していた。
家に帰ると「家出母子」は、すでに寝ていた。