玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ペータース×スクイテン『闇の国々』

2016年06月17日 | ゴシック論

 ある男にフランスのBD(bande dessinée)の代表作『闇の国々』がすごいから読んでみろ、と言われて素直に読んでみることにした。バンド・デシネとはフランス語圏の漫画のことで、原作のブノア・ペータースはパリ生まれの作家・出版業者、ジャック・デリダの伝記を書いたこともあるという超インテリである。画を担当するフランソワ・スクイテンはベルギーのブリュッセル生まれで、世界の漫画界を代表するアーティストだそうである。
 漫画を読まなくなって久しいし、漫画といえば日本のものしか読んだことがないので、非常に違和感がある。絵は綺麗だが、動きというものがほとんど感じられない極めて絵画的な世界である。吹き出しも固定的かつ定型的で、日本の漫画の複雑さとはまったく違う。絵と科白がシンクロしていない。科白は何か解説を読んでいるような気にさせられる。
『闇の国々』には二人の代表作3編が収載されているが、その中で「傾いた少女」という作品が、一番理屈っぽくなくて、情感に訴える所があり、好ましいと思った。「狂騒のユルビカンド」は幾何学的な図形に支配されていて、人物の表情まで幾何学的でついて行けない。


 もう1編「塔」という作品がピラネージの《幻想の牢獄》に関係している。というよりも、ほとんど《幻想の牢獄》の漫画化作品と言ってもよい。サンプルに掲げた画は(漫画の一こまを引用することは許されているから、ここは引用ということでお許しを)、まったく《幻想の牢獄》そのものであるし、主人公の名はジョバンニ・バティスタというので、言うまでもなくジョバンニ・バティスタ・ピラネージへのオマージュを読み取ることが出来る。
 ジョバンニ・バティスタは誰もその全貌を知ることのない、巨大な石の塔の下部に住む修復士(老朽化した石の修復を行う技術者)である。塔下部の崩壊の危険を危惧し、いつまでもやってこない巡察使に業を煮やして、地階を探りに出掛ける。
 しかし、「下に降りようという強い願いが、しばしば人を上へと導くことになる」(第2章のタイトル)という理由で、ジョバンニは塔を登り始めるのである。そこにはピラネージの《幻想の牢獄》からの引用がしきりに行われ、ピラネージ風の階段や石組みのアーチ、石につたう植物や装飾的な石像まで描かれている。
 ジョバンニはド・クインシーが夢想したように階段を登っていくだけではなくて、石にへばりついて垂直の壁面を登り続ける。この上昇への止むに止まれぬ希求こそ、ド・クインシーが《幻想の牢獄》に読み取ったものであり、《幻想の牢獄》が我々のうちに喚起するものに他ならない。
 ペータースは多分、ユルスナールの『ピラネージの黒い脳髄』に引用されているド・クインシーの文章を読んで触発されたのであろう、正しく《幻想の牢獄》の基調を捉えていると思う。
 だからこの「塔」という作品は上昇する物語となる。どこへ導かれるとも知れぬ、世界そのもののような牢獄の塔の頂点目指して、ジョバンニ・バティスタはひたすら登っていく。それは塔の秘密を探るためでもあり、塔によって構成された世界そのものを理解するためでもある。
 しかし、彼の期待はことごとく裏切られ続け、それでも彼は無益にも塔の頂点目指して登っていく。このあたり、ペータース自身が言っているように、カフカの『城』を思わせる部分であり、この塔という作品は、様々な文学作品や絵画作品を寄せ集めたつぎはぎのような印象を与える。
 ピーテル・ブリューゲルの《バベルの塔》の引用まであって、これはバベルの塔の崩壊の物語でさえある。つまりは《幻想の牢獄》と《バベルの塔》を融合させて、創り上げた物語とも言えるのだ。
 そこにもう一つSF的なタイムトラベルの要素が混入してくる。上に登るほど時代は新しくなっていく。中世からルネッサンスまで、そして近代から世界の崩壊の時代へ。世界を理解するために塔を登り続けるジョバンニは、最後には決定的に裏切られるというわけである。
 いささかペダンティスムが鼻につく作品であるが、ピラネージの夢想の裏に隠された希求(ド・クインシーにとっては隠されてなどいないそれ)を描いた、意欲的で良質な作品であるとは思う。でも、私はもう『闇の国々』を読むことはないだろう。

ブノワ・ペータース=作、フランソワ・スクイテン=画『闇の国々』(2011、小学館集英社プロダクション)古永真一、原正人訳

(この項おわり)

 


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