玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

C・B・ブラウン『ウィーランド』(2)

2015年06月11日 | ゴシック論
 推理小説の創始者はエドガー・アラン・ポオだとされているが、ポオより以前の『ウィーランド』もまた推理小説的な構成をもっている。この小説は全部で27章からできているが、第1章から第18章までは、連続して起きる超自然的な現象と、その中での主人公クララの恐怖を描き、第19章から第26章ではその超自然的現象が、カーウィンという男の腹話術によるものであったことが、カーウィン自身による告白によって明かされるという構成になっている(第27章は単なる蛇足にすぎない)。
 だからこの小説では、超自然現象は発生しない。その点でブラウンは彼が最も高く評価したというウィリアム・ゴドウィンの『ケイレブ・ウィリアムズ』に習ったのであろう。ただし、超常現象が起きる(この方が多いのだが)ゴシック小説においても、最初に謎が提出され、どうしてそんなことが起きたのかが次第に明らかにされていくという構成の作品も多くある。
 だからゴシック小説は推理小説の源流にあるのであって、ブラウンの作品はその中間地点にある作品だとも言える。ストーリーを引っ張っていき、読者の興味を煽っていくのは、ブラウンの場合いつでも謎とその謎の解明への期待であって、『ウィーランド』に探偵は登場しないが、基本的に推理小説的な構成をもった作品と言える。
 しかし、推理小説が好きではない人間(私はその典型だと自分自身思っている)にとって、謎の解明がいかにつじつまを合わせて行われようが、そんなものはすべて“つくりもの”であって、小説にとって重要な要素となりうるはずもない。
ましてや事件の犯人が誰であるかなどということはどうでもいい話であって、そんなことに一喜一憂するのは時間の無駄に過ぎない。
 だから第19章から始まるカーウィンの告白はちっとも面白くないし、ブラウンがカーウィンという人物を登場させたのは、推理小説的な興味で読者を引っ張るためだったとしか思えない。ブラウンはこのカーウィンを主人公とした『腹話術師カーウィンの回想録』なる作品を書こうとしたが、途中で投げ出したと伝えられているが、当然のことであろう。
 カーウィンのような中途半端な人物が主人公となる回想録など、書かれようはずもないのである。そして『ウィーランド』の魅力を減殺しているのも、このカーウィンという登場人物なのに他ならない。

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