玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

志村正雄編『アメリカ幻想小説傑作集』(5)

2016年05月20日 | ゴシック論

 ポール・ボールズの「私ではない」について書くと約束していたので、そうすることにする。実はこの『アメリカ幻想小説傑作集』は、1973年に同じ白水社から出た『現代アメリカ幻想小説』に収められた16編の作品から、4編を残し、新たに6編を加えて編集されたものである。
 解説で編者の志村正雄が「3編残して7編加えた」と書いているのは明らかに誤りである。で、残された3編というと、コンラッド・エイケンの「ひそかな雪、ひめやかな雪」、トルーマン・カポーティの「ミリアム」、セオドア・ドライサーの「亡き妻フィービー」と、ポール・ボールズの「私ではない」なのである。
 4編ともすでに『現代アメリカ幻想小説』で読んでいたわけだが、3編はほとんど印象に残っていなかった。しかし、ポール・ボールズの「私ではない」だけは、そのあまりにも強烈な印象によって強く記憶に残っていたのである。
 原題はYou Are Not I。直訳すれば「あなたは私ではない」ということ。いきなり「私ではない。私以外のだれも私であるはずがない」という書き出しになっていて、意表をつく。この言葉が作品の後半で効いてくる。
 分裂病の女の一人称で書かれた作品である。分裂病とは"言葉の病"に他ならないから、本来は理路整然とした文章構造を保てるはずがないのだが、それでは小説にならないから、主人公の分裂病者に語らせるタイプの小説の多くは正常な文章を維持している(内容ではなく形式として正常という意味)。
 ボールズのこの作品もそうなのだが、女主人公の発想とその行動は大きく正常とはかけ離れている。簡単に筋を辿ると以下のようになる。
 精神病の療養施設に入っている女が、近くで起きた列車事故のどさくさにまぎれて施設を脱走、事故で死に地面に並べられた死体の口に次々と石を詰め込んでいく。救急車がやってきて彼女も収容されるが、女が姉の住所を告げると運転手は女を姉の家まで送り届ける。
 姉は分裂病の妹を恐れていて、施設に電話して連れ戻してもらうことになる。施設の職員に取り押さえられた女は、いきなり姉の口に石を詰め込むが、その時姉と妹がそっくり入れ替わる。姉は分裂病者として施設に収容され、妹は姉としてその家に止まる。
 おかしな文章がたくさん出てくる。

「門の外の歩道のわきに黒塗りの自動車が止まっていて男がひとり運転席でタバコを吸っていた。私はこの男に話しかけて私がだれだか訊いてみようと思ったけれどやめた。」

「あなたは私ではない」ということを自覚しているのだが、この女は自分が誰であるのか本当には分かっていない。分裂病が自己同一性障害であるならば当然のことであろう("統合失調症"という言葉にはそのことが十分に表現されていない。だから、分裂病という言葉を使う)。
 しかし、では本当に姉と妹は入れ替わってしまったのだろうか。分裂病の妹は自身の妄想による"魔術"によってそれを行うのだが、口に石を詰め込む行為がその手段であり、彼女はその後「ここが変わり目だ」と思って目を閉じるのだ。魔術を完成させる儀式である。

「私はしっかり目を閉じた。目をあけたとき何もかもが変わっていて勝ったことがわかった。」

というふうに魔術は勝利を収める。しかし、本当に入れ替わっているのではない。妹が姉に入れ替わったと思っているだけであり、その証拠にこの一編の手記は「私になったと思っている」姉によって書かれているとされている。
 だから本当は逆に姉になったと思っている私によって手記は書かれているのであって、You Are Not Iというタイトルは逆説的な意味を持つことになる。書くのはいつでも"私"でなければならない。"彼女"が"私"の意識をもって書くなどということはありえないからである。
 それにしても石を死体の口に詰め込んでいく場面には鬼気迫るものがあり、この即物性ゆえにこの作品は強烈な印象を残すのであるが、それだけではないということを私は言いたかったのである。
 ポール・ボールズはジョン・マルコビッチが主演した「シェルタリング・スカイ」という映画の原作The Sheltering Skyを書いた作家として知られている。私も見たが、一種異常な映画であったことを思い出す。
 志村正雄はこの作家を高く評価していて、解説で「五十年後には然るべき評価を受けるであろう優れた小説家だと私は思います」と書いている。
(この項おわり)

 



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