玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『この日曜日』(1)

2015年10月21日 | ゴシック論

 ホセ・ドノソの作品について続けて書いていくことにしよう。友人から筑摩世界文学大系の83巻、ギマランエス=ローザの『大いなる奥地』とホセ・ドノソの『この日曜日』の巻を借りたので、ドノソだけさっそく読んだ。これで短編アンソロジーに含まれる作品を除いて、日本で翻訳されている作品をすべて読破したことになる。
 筑摩の世界文学大系は1958年から1968年にかけて出されたものと、1971年から1982年にかけてのものと2種類あるが、2回目の方にドノソの『この日曜日』は入っている。全89巻の巨大な文学全集であった。その中にギマラエンス・ローザの作品が、ブラジル現代文学を代表する作品として入っているのはよく分かるような気がする。
 しかしスペイン語圏の現代文学から選ばれているのは、ボルヘスの『伝奇集』とドノソの『この日曜日』の二作だけである。ボルヘスが選ばれているのは、いち早く日本に紹介され高い評価をされていたことからも納得できる。しかし、まだ日本でラテン・アメリカ文学のブームが起きる前の1976年に、名前さえ知られていなかっただろうドノソの作品が選ばれていることは不可解な現象である。
 1967年に出版され世界的なベストセラーになり、日本でも1972年に翻訳された、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が入っていないのに、どうしてなのだろう。多分それは後に『夜のみだらな鳥』を翻訳することになる、鼓直の推薦によるものだったのだろう。
 鼓はこの巻の解説として「ラテン・アメリカの現代小説」という文章を書いていて、1970年に出版された『夜のみだらな鳥』を高く評価し、多くの紙幅を割いている。ということで『大いなる奥地』では一巻に満たないため、『夜のみだらな鳥』を書いたドノソの比較的短い作品が選ばれたのだろう。鼓直の先見の明に敬意を表したい。
『この日曜日』は『境界なき土地』や『ロリア侯爵夫人の失踪』よりもやや長めの中編小説であるが、一気に読ませる。初期の作品で、ドノソの作品としてはおとなしいものであるが、後に書かれることになる作品、特に『別荘』を予感させる部分がたくさんある。
『別荘』と同じように読みやすい。それは『境界なき土地』や『ロリア侯爵夫人の失踪』にも言えることで、迷宮に迷い込んでいくような『夜のみだらな鳥』の晦渋さの方がむしろ例外なのかも知れない。
 だから、ホセ・ドノソの作品に最初に触れるとしたら、『夜のみだらな鳥』は避けた方がいい。いちばん凄い作品は最後に取っておいて、『この日曜日』か『別荘』から入っていくのがいいだろう。
『この日曜日』は筑摩世界文学大系という手に入りにくい本であるし、8ポ3段組という恐ろしく読みづらい体裁になっているので、一時も早い復刊が望まれる。『別荘』の刊行でようやく日本にもドノソのファンが増えてきているので、今がチャンスだろう。