玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ブラウリオ・アレナス『パースの城』(1)

2015年10月14日 | ゴシック論

 チリの作家といえば他にイサベル・アジェンデがいて、その『精霊たちの家』は日本でもよく読まれている。しかし私は、この人のガルシア・マルケスの『百年の孤独』を通俗化したような作風を好まない。また新しいところでは2003年に50歳で亡くなったロベルト・ボラーニョがいるが、まだ読んだことがない。
 もう一人、ブラウリオ・アレナスという人の『パースの城』という小説が、1990年に国書刊行会の「文学の冒険」の一冊として紹介されている。この作品の紹介文に、「チリのシュルレアリストの書いたゴシック小説」とあったので、参考のために読んでみることにした。
『パースの城』は第一に"夢の物語"である。幼なじみのベアトリスが死んだという記事を新聞で読んだ主人公ダゴベルトが、1134年のパースの城に導かれて、そこで様々な怪異な事件に遭遇するという物語だが、いつでもそれがダゴベルトの夢であることが示唆されている。ダゴベルトが寝ていた長椅子が繰り返し出てきて、そこが夢を見る場所であることが強調される。
 この小説には沢山のゴシック的道具立てが使用されている。中世の古城=パースの城はその筆頭に挙げられるものだし、魔法の鏡、地下牢とそこで行われる拷問、抜け道、底なし沼、また鎖帷子をつけた騎士、女妖術師の亡霊、硝子の体をもった悪魔、好色な龍、狼、鷹……等々。
 作中にはホレース・ウォルポールやアン・ラドクリフの作品についての言及もあるし、ビクトル・ユーゴーやギュスターヴ・ドレの名も援用されている。アレナスのゴシック趣味は直接にヨーロッパのゴシック世界に結びついているし、彼はそのゴシック趣味をこの作品の中で全面展開しようとしているのだ。
 アレナスは1913年に生まれて1988年に亡くなっている。ドノソよりも10歳ほど年長の作家であり、マンドラゴラ派というシュルレアリスト・グループのリーダーであったという。アレナスはヨーロッパのシュルレアリスムを通してゴシック小説に触れていたのである。
 このような文学状況はアルゼンチンやウルグアイのそれとほとんど違いがない。チリという国もまたヨーロッパと地続きであったことが、アレナスの作品やその経歴からうかがい知ることが出来るのである。
 アレナスには別の側面もある。エピグラフにルイス・キャロルの「なあんだ、鏡の国の本じゃない、だったら、鏡のところに持っていけば、もとどおりのちゃんとした言葉になるわ」という『鏡の国のアリス』からの一節が掲げられている。
 この一節は、パースの城の魔法の鏡の中にダゴベルトがさまざまな幻影を見る場面につながっているし、ルイス・キャロルから拝借したようなチェスの部屋も登場するのみならず、チェスの女王やトランプの王様といったキャロル的形容表現さえ現れている。
 また、中世の騎士道物語に対する愛着を見せているのも『パースの城』の特徴のひとつである。こうした二つの要素が『パースの城』を、血なまぐさいゴシック小説ではなく、ファンタジックな要素の強い小説にしている。ゴシック的な形式を借りた夢の物語なのである。

ブラウリオ・アレナス『パースの城』(1990、国書刊行会)平田渡訳