玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

伊藤若冲をみた

2006年02月05日 | 日記
 所用で上京のついでに、上野の東京都美術館で開かれている「ニューヨーク・バーク・コレクション展」を覗いてきた。その名前とは裏腹に、日本の古典美術百点以上を展示する展覧会で、縄文土器から平安時代の仏像、桃山時代の茶器から江戸時代の文人画まで、ほとんど脈絡のない作品が並んでいて面食らった。
 大金持ちのバークおばさんが、金にあかして日本美術を買い集めてつくったのが、「バーク・コレクション」だそうで、総点数は一千点を超え、その一部が里帰り公演を果たしたというわけだ。日本人として、とても悔しい思いを禁じ得なかった。
 ド近眼のため、ガラス越しに展示された屏風絵や絵巻を見ても、その細部を鑑賞することがほとんどできない。いかに貴重なコレクションとはいえ、もう少し展示方法を考えてほしかった。
 展覧会のポスターには、近年MIHO MUSEUM館長の辻惟雄氏の著書などでもてはやされるようになった曾我蕭白の「石橋図」(しゃっきょうず)がつかわれている。無数の獅子が断崖を這いのぼっていく奇想に満ちた水墨画である。
 期待は蕭白と、もう一人伊藤若冲の作品にあった。蕭白の二点を見て、「あ、やっぱりゲテモノかな……」と思わざるを得なかった。異端の画狂ということだが、いささか品位を欠く。
 一方、若冲の二点は圧巻だった。うち「月下白梅図」は、無数の梅の花を“これでもか”といわんばかりに描いた作品で、そこに異様なリアリズムを感じ、現実にはあり得ないその構図で、本物の“異界”というものを実現しているように思った。若冲のほとんどマニアックなリアリズムは、見るものを逆に幻想美の世界に誘うのだった。
 若冲は正徳六年(一七一六)、京都の漬物問屋の生まれ。道楽で絵を描き始め、ついに家業を放棄して描きまくった。代表作は「動植綵絵」、(どうしょくさいえ)三十幅。もの狂おしい作品群だ。

越後タイムス2月3日「週末点描」より)