新潟市の詩人・鈴木良一さんの新詩集『母への履歴』を玄文社より刊行した。詩集は2部に別れていて、前半は鈴木さんが父親や知人の死を通して考えたことを「野の草など(戦後民主主義へ)」としてまとめたもの。先日紹介した旧川西町の詩人・五十川庚平さんへの追悼詩を巻頭におく。作家・中上健次の7回忌で熊野を訪れたときの「新宮で蝉と遊ぶ」も含んでいる。他者の死への強い感受性を次のような詩句にみることができる。
いまここで
死者であれ
生者であれ
見知った人が去ると
おまえは虚空に居ると告げられているようで淋しい。(「花匂う」)
後半は詩集のタイトルと同じく「母への履歴」と題され、高齢の母親との日々を歌う。母親に対する自責の念、あるいは罪障感を読み取る思いがするが、その辺の事情についてつまびらかにしない。
「あとがき」に鈴木さんは父母が北蒲原郡木崎村の生まれであったことを記す。木崎村は大正12年に始まり10年間続いた「木崎争議」で知られる。母方の祖父はその「木崎争議」に関わった1人であったという。
団塊の世代の1人として全共闘運動を体験している鈴木さんにとって、祖父の履歴が心のどこかでこだましているのだろう。死んでしまって今は存在しない多くの人達との交感の詩集である。詩集が出来た翌日、鈴木さんの母・巴さんが亡くなった。なんとか刊行を間に合わせることが出来たことを嬉しく思っている。
『母への履歴』A5判、72頁、定価1000円+税。申し込みは著者の鈴木良一さんへ。〒950-0865、新潟市本馬越1丁目16-6。 r-suzuki@amber.plala.or.jp
いまここで
死者であれ
生者であれ
見知った人が去ると
おまえは虚空に居ると告げられているようで淋しい。(「花匂う」)
後半は詩集のタイトルと同じく「母への履歴」と題され、高齢の母親との日々を歌う。母親に対する自責の念、あるいは罪障感を読み取る思いがするが、その辺の事情についてつまびらかにしない。
「あとがき」に鈴木さんは父母が北蒲原郡木崎村の生まれであったことを記す。木崎村は大正12年に始まり10年間続いた「木崎争議」で知られる。母方の祖父はその「木崎争議」に関わった1人であったという。
団塊の世代の1人として全共闘運動を体験している鈴木さんにとって、祖父の履歴が心のどこかでこだましているのだろう。死んでしまって今は存在しない多くの人達との交感の詩集である。詩集が出来た翌日、鈴木さんの母・巴さんが亡くなった。なんとか刊行を間に合わせることが出来たことを嬉しく思っている。
『母への履歴』A5判、72頁、定価1000円+税。申し込みは著者の鈴木良一さんへ。〒950-0865、新潟市本馬越1丁目16-6。 r-suzuki@amber.plala.or.jp