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検察菅の人事に政治家が介入した事例はある

2020-05-20 06:36:56 | 現代日本政治
 このたびの検察庁法改正案について、検察官の政治家からの独立を侵すものだという批判がある。
 例えば、朝日新聞デジタルで三輪さち子記者は次のように説明している(太字は引用者による)。

 Q:検察幹部の任命権は今も内閣にあるのだから、法改正をしても大して変わらないのでは?
 A:検察庁は行政機関の一つであり、検事総長と次長検事、検事長は現行法でも内閣が任免権を持つと定めている。その理由について、森雅子法相は15日の衆院内閣委で、「国民主権の見地から、公務員である検察官に民主的な統制を及ぼすため」と説明した。
 一方で、検察官は強大な起訴権限に加え、政治家の不正を捜査し、逮捕・起訴することもあるため、政治に対する中立性と一定の緊張関係が求められる。そこで戦後の日本では、内閣が任命権を持ちながらも、検察側が決めた人事案を尊重する慣例が続いてきた
 検察OBも15日の意見書で「政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例がきちんと守られてきた」と指摘した。
 だが、法改正されれば、内閣は任命という「入り口」だけではなく、定年という「出口」にも関わることになる。政治家の疑惑を追及した検察官の定年は延長せず、捜査しなかったり、不起訴にしたりした検察官の延長を認めることも可能になる。
 森氏は「時の政権に都合のいい者を選ぶということがあってはならない。検察官の独立性は害さない」と強調。安倍首相も「恣意的な人事はしない」と語り、延長を認める判断基準を事前に明確化する、とも訴えている。


 しかし、政治家が検察官の人事に介入した事例は、過去にある。
 例えば、宮沢内閣の後藤田正晴法相は、ロッキード事件で主任検事を務めた吉永祐介を検事総長にする道を開いたとされる〔註〕。
 保阪正康『後藤田正晴』(文春文庫、1998、親本は1993)はこう書いている。

平成五年に入ると、後藤田は、「実務肌の者が遠ざけられているので正した方がいい」という方針で、検察人事に手をつけた。ロッキード事件で田中逮捕を進めた吉永祐介大阪高等検察庁検事長を東京高等検察庁検事長に呼び戻したりもした〔引用者註:東京高検検事長は次期検事総長候補が就くポストとされている〕。
 〔中略〕法務、検察の人事は、この十年ほど捜査重視より政治重視になっていた。それは法務行政と政治家人脈にくわしい法務、検察官僚が幅をきかすという意味でもあった。現に、東京地検特捜部で捜査畑を歩いてきた実務肌の吉永や山口悠介、松田昇、石川達紘などは、地方にだされていた。これまでの検察人事は、ほとんど法務省の大臣官房や人事課が行なっていて、法務大臣が口を挟むことはなかった。
 〔中略〕後藤田は捜査畑で地方にでている検事正を次々に東京に戻した。中央で彼らに存分に力を発揮させようとしたのだ。吉永を補佐する東京地検検事正に北島敬介、東京地検特捜部長には宗像紀夫という布陣を布いた。(p.369-370)


 私は、Twitterで、ある検察庁法改正反対論者に、この後藤田の話についてどう思うか尋ねてみたが、返答はなかった。

 また、元共同通信記者の渡邉文幸が書いた『検事総長』(中公新書ラクレ、2009)によると、第3次吉田内閣で、大橋武夫・法務総裁(現在の法務大臣)が、木内曽益・次長検事を札幌高検検事長に転出させ、後任に岸本義広・広島高検検事長を据えようとしたところ、木内が抵抗し、結局木内が辞任するに至ったこともあるという(p.87-89)。

 朝日新聞の三浦英之記者は、「#検察庁法改正に抗議します」のハッシュタグを付けたツイートでこう書いた。

この法案が通れば、政治家の不正を取り締まる検察庁が「満州国」みたいになってしまう。枠組みは存在すれど、まるで日本政府の傀儡(操り人形)に。満州国を牛耳った「弐キ参スケ」の1人・岸信介は、現首相の祖父にあたります


 私は、検察官の人事に内閣が関与すべきではないという主張を聞いて、「関東軍」という言葉を思い出す。そして「統帥権干犯」という言葉も思い出す。

 「内閣が任命権を持ちながらも、検察側が決めた人事案を尊重する慣例が続いてきた」のなら、それは内閣に実質的な任命権がないということになる。
 民意により選ばれた政治家が手出しすることのできない、強大な権限をもつ官の集団が存在することになる。
 それで本当にいいのだろうか。

 検察に政治に対する中立性や一定の緊張関係が求められるのは当然だ。だが、内閣が一切検察の人事に関与すべきでないとは度が過ぎている。
 もし本気でそうしたいのなら、制度の運用によるのではなく、法律によって、例えば検察庁を法務省からも内閣からも独立させるなど、検察制度そのものを変えるべきだろう。
 そうなった場合、検察が暴走したときには誰が歯止め役となるのか疑問だが。

〔註〕
 もっとも、これには異説もある。
 前掲の渡邉『検事総長』にはこう書かれている。
 岡村〔泰孝。吉永の前任の総長〕は、自分の後継には同期で特捜部長の先任だった吉永を充てることを、早くから固めていた。この年四月、関西を回った岡村は、奈良で大阪高検の検事長となっていた吉永と会った。この会談で、吉永が七月に東京高検に上がり、年末に総長を交代することで合意する。「吉永起用は検察建て直しを図った後藤田人事」との風評が流れた。だがロッキード事件での嘱託尋問に疑義を唱える後藤田と吉永では水と油だ。後藤田はもともと検察嫌いだった。これも後藤田神話のひとつにすぎない。(p.260-261)