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終戦の日の産経「主張」がひどすぎる

2013-08-17 15:00:12 | 「保守」系言説への疑問
 MSN産経ニュースの8月15日付「主張」(各紙の社説に相当)「終戦の日 憲法改正で「靖国」決着を 参拝反対論は根拠を失った」の後半部分。

 憲法論争以外にも、総理大臣の靖国参拝に反対の人たちは、さまざまなことに主張のよりどころを見いだそうとする。政治的思惑で異議を唱える勢力も存在する。

 反対論の論拠の一つに、いわゆる「A級戦犯」14人の合祀(ごうし)がある。昭和天皇がそれを機に親拝を中止されたのだから、総理大臣も参拝を控えるべしとの主張だ。

 「昭和天皇が合祀に不快感を示されていた」とする富田朝彦元宮内庁長官の日記など「富田メモ」が根拠の一つになっている。

 しかし、昭和天皇がA級戦犯の何人かを批判されていたとの記述があったとしても、いわば断片情報のメモからだけで、合祀そのものを「不快」に感じておられたと断定するには疑問が残る。

 むしろ、昭和50年のきょう、三木武夫首相(当時)が参拝した後、国会でご親拝についての質問が出たことから、宮内庁が政治問題化するのを恐れたのではないかという論考が説得力を持つ。

 合祀がご親拝とりやめの原因なら、その後も春秋例大祭に勅使が派遣され、現在に至っていることや、皇族方が参拝されていた事実を、どう説明するのか。


 「富田メモ」は、単なる「昭和天皇がA級戦犯の何人かを批判されていたとの記述」ではない。
 問題になった箇所を引用する。

私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ


 これを、「松岡(洋右)、白取(=白鳥敏夫)」に対する不快感の表明にすぎないとする見方が、メモが報じられた当時にもあったが、「その上」「までもが」とあるのだから、この2人に限った話ではないことは明白だ。
 そして、筑波と松平の子の対処の違い、つまり筑波藤麿宮司がA級戦犯の合祀を宮司預かりとして保留しており、1978年の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳がひそかに合祀したことに触れているのだから、「合祀そのものを「不快」に感じておられた」としか考えようがない。
 「富田メモ」の報道後に公刊された『卜部亮吾侍従日記』にも2001年7月31日付で「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」との記述があることもこれを裏付けている。
 もともと、A級戦犯の合祀を昭和天皇が不快に感じて靖国に参拝しなくなったという説は、合祀の経緯や、侍従長を務めた入江相政の日記、徳川義寛の回想録に基づいて、かねてから主張されていたことである(例えば秦郁彦『現代史の対決』(文藝春秋、2003)所収の「靖国神社「鎮霊社」のミステリー」)。それが「富田メモ」によって明確となり、さらに卜部日記により補強されたのだ。産経が言うように、断片情報の「メモからだけで」「断定」されているのではない。

 産経が挙げる、1975年の三木首相の参拝後に国会で天皇の参拝が問題視されたことは事実だ。しかし、三木が「一私人として」参拝したのは8月15日であり、それを機に参拝者は公人か私人かが問われることになったにもかかわらず、その年の11月21日に昭和天皇は参拝している。参議院内閣委員会で天皇参拝が取り上げられたのはその前日の11月20日のことで、当時宮内庁次長を務めていた富田朝彦は、終戦30周年を機に靖国神社からの要請を受けて私的行為として参拝することとなった、これまでの戦後の天皇の参拝も全て私的行為であったと答弁している。
 その後も首相の参拝は私人として続けられたのだから、天皇の参拝が同様の理屈で続けられてもおかしくない。

 確かに「政治問題化するのを恐れた」ことも考えられる。しかし、それを裏付ける証拠は現在のところ示されていない。そして「恐れた」主体が宮内庁なのか、昭和天皇なのかはなおのことわからない。それを「宮内庁が」と断じてしまう論考が「説得力を持」つとは私には思えない。

 「春秋例大祭に勅使が派遣され、現在に至っている」のは、参拝はしないが勅使の派遣までは停止する必要がないと考えてのことだろう。何も説明のつかない話ではない。
 誰だったか忘れたが、この勅使の派遣をアピールすることは、かえって派遣を政治問題化し、中止となる恐れもあるから、アピールすべきではないという主張があった。
 そんな配慮もなく、勅使派遣が天皇のA級戦犯合祀支持の証左であるように語る産経の愚かさには呆れるばかりだ。

 皇族の参拝についても、昭和天皇の意向がどうであれ、他の皇族が参拝を続けるのはその皇族独自の判断によるもので、これも説明のつかない話ではない。
 産経は、皇族の発言や行動は全て天皇の意向と完全に一致しているはずだとでも考えているのだろうか。
 産経の論法では、天皇は専制君主や独裁者ではないのではなかったか。
 
 ところで、今、靖国神社のホームページを見てみると、以前には写真も合わせて詳しく記されていた過去の皇族の参拝についての記事がなくなっている。
 これは何を意味するのだろうか。

 さらに産経「主張」はこんなことまで持ち出す。

 ≪我国にとりては功労者≫

 昭和天皇の側近だった木戸幸一元内大臣の「木戸日記」も、大きな示唆を与えてくれる。

 昭和20年12月10日の項、昭和天皇が、A級戦犯に指定され、収監を控えた氏について、「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」といわれたとの記述がある。昭和天皇のお気持ちの一端がうかがえる。

 そもそも、昭和天皇のご胸中を忖度(そんたく)し、総理大臣らの参拝の是非を論じること自体、天皇の政治利用であり許されまい。


「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」
 しかしこれは日記の当人木戸幸一を指しての言葉であり、A級戦犯全般を指しての言葉ではない(なお、木戸は東京裁判で死刑に処されず獄死もしていないので、靖国神社には祭られていない)。
 ましてやまだ裁判も始まっていなかった時点での発言である。

 「昭和天皇のお気持ち」を言うなら、いわゆる『昭和天皇独白録』で松岡は酷評されているが、東條英機は高く評価されており、そんな天皇が東條らの合祀を不快に思うはずがないという批判も「富田メモ」の報道当時にあった。
 しかし、人物に対する評価は、数十年経っても変わらないものだろうか。
 仮にそうであったとしても、人物の評価と合祀の是非は別問題ではないだろうか。
 A級戦犯の合祀が松平永芳によってひそかに行われたことからもわかるように、戦争に殉じた国民と、その戦争を指導した者とを同列に祭ること自体がそもそも問題なのだ。
 仮に合祀当時の昭和天皇が東條を忠臣と認めていたとしても、それが合祀への不快感と矛盾するとは言えない。

 そして、昭和天皇の胸中を忖度することは天皇の政治利用であると批判するならば、産経は木戸日記など引用すべきではないだろう。

 産経新聞とは立場が異なる朝日新聞の調査を紹介しよう。

 参院選直後の7月23日付によると、同紙と東大が共同で非改選を含む全参院議員に聞いたところ、「首相の靖国参拝」に賛成が48%、反対は33%だった。憲法改正の是非では「賛成」「どちらかといえば賛成」が計75%と改正の発議に必要な3分の2を超えた。

 直近の選挙で国民の信託を受けた新議員を含む全参院議員の回答だ。憲法改正、公式参拝の道は開けた、とみるべきだろう。


 そもそも調査に「立場」は関係ない。産経は自社の調査に「立場」によるバイアスをかけてもらってかまわないと考えているのか。

 「賛成が48%、反対は33%」なら、賛成は半数に満たず、結構な割合で反対派がいるということではないのか。何故それがタイトルのように「参拝反対論は根拠を失った」となるのか。
 しかも、調査は「首相の靖国参拝」について問うたものなのに、何故「公式参拝の道は開けた」となるのか。
 「主張」前半で取り上げられている産経の改憲案では公式参拝で問題はないからか。しかし、3分の2超の「賛成」「どちらかといえば賛成」を得たのは、一般論としての憲法改正であって、産経の改憲案に対してではない。
 自社で国会議員に対して、産経の改憲案に対する賛否を問い、それが3分の2超の賛成を得てから「主張」すべきではないか。

 産経が首相の靖国公式参拝を主張しようが、独自の改憲案を出そうが、大東亜戦争肯定史観に立とうが、それは自由だ。
 しかし、そうした主張を補強するために、事実を歪曲してはならない。
 同紙で最近櫻井よしこも述べていたように、新聞は「公器」なのだから。政治団体の機関紙ではないのだ。

 いや、事実を歪曲しないと、産経流の歴史観、政治観は維持できないのかもしれないが。


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