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井上薫説への疑問(3)――裁判員制度は違憲か

2008-05-15 23:15:34 | 事件・犯罪・裁判・司法
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 井上薫『市民のための裁判入門』(PHP新書、2008)によると、裁判員制度は違憲なのだそうである。

《以上のとおり、裁判員制度は、憲法に違反するので、法律上実施することができません。あえて実施すれば、予測不可能な大混乱を引き起こします。
 裁判員制度が憲法違反ということは、今さら、この制度が妥当かどうかを論じる余地はなく、残された道は、制度を廃止するしかありません。これは、裁判員制度の反対あるいは消極という国民の意思にも合致します。裁判員制度の欠陥はたくさんありますが、これらを一々検討するまでもなく、廃止する以外道はないのです。詳しくは、井上薫著『つぶせ!裁判員制度』(新潮新書、平成二〇年)を参照してください。》(p.267)

 しかし、どのように憲法に違反しているのか、その説明が本書では不十分であるとの印象を受けた。
 井上は、裁判員制度の欠陥として、次のような点を挙げる。

1.法令に基づく裁判はできない

《裁判所の構成員九人のうち六人を占める裁判員は、法律の素人なので、この裁判所は、法令に基づく裁判はできません。法律の知識は、裁判員は知らなくても、裁判官が教えてくれるから心配いらないという当局の宣伝文句を耳にしたことがあるでしょう。でも、これは間違いです。なぜなら、裁判員は、法律により、独立して職権を行使することとされている以上、裁判官の説明に従う義務を負わないからです。〔中略〕だから、裁判員制度の下では、法令に基づくことなく死刑に処されることもあるのです。》(p.264)

2.被告人の人権が保障されない

《憲法が手厚く被疑者や被告人の人権を守ろうとしても、裁判員がこれを理解していないのでは、裁判所において、実際にこれら憲法の配慮が活かされることが期待できないのは、火を見るより明らかです。被疑者や被告人の人権は、裁判員制度の下では有名無実となります。〔中略〕被告人は、このような裁判員裁判を拒否し、裁判官だけの裁判所に裁いてもらいたいと願っても、一切許されないのが今の裁判員制度なのです。》(p.265)

3.基準なき裁判

《裁判員の参加した裁判所は、法令に基づく裁判をすることが期待できない以上、裁判の基準を喪失したというほかありません。なぜなら、元来、裁判官も裁判員も、法令に拘束される以外、職権の独立が規定されています。今、法令の拘束を事実上脱したとすると、ほかに裁判の基準は一切ないのです。このような裁判所は、死刑判決を含むあらゆる判決を、一切の基準なしに、思うがまま出すようになるしかありません。ここに、司法権による新たな人権侵害が始まるのです。》(p.265-266)

 しかし、上記のいずれにも、裁判員制度が憲法のどの条文にどう違反しているから違憲だといった具体的指摘はない。

 例えば、憲法は、司法における国民参加といった事態を一切想定していない。もし想定していたとすれば、その点についての言及があるはずだ。日本国憲法制定時に、既に米国では陪審員制度が実施されていた。にもかかわらず、憲法にその旨の規定がないのは、憲法が国民の司法参加を想定していなかったからであり、それを敢えて新設するならば、改憲が必要になるはずである。故に裁判員制度は違憲である――このような見解があると聞く。私はこの見解には与しないが、そういう違憲論が成立しうること自体は否定しない。
 しかし、井上の裁判員制度違憲論は、どうもそういったものですらないように思える。これでは、

《これらを一々検討するまでもなく、廃止する以外道はないのです》

とまでは到底言えないのではないか。

 井上は、上記のように、

《詳しくは、井上薫著『つぶせ!裁判員制度』(新潮新書、平成二〇年)を参照してください。》

と書いている。しかし私は、同書を立ち読みしてみたが、本書における裁判員制度批判を水増ししたものに過ぎないとの印象しか受けなかった。たかがブログ上での批判のためだけに本1冊を購入するほどの金銭的・時間的余裕は私にはないので、以下、本書の記述のみに基づいて、井上の裁判員制度違憲論への批判を試みる。

 井上は、裁判員制度の欠陥として、上記の3点を指摘するが、これには嘘が含まれている。これは、裁判員制度についてある程度の知識がある方なら、誰でも気付くことだろうが。

 裁判員制度を創設した「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」には、たしかに井上が言うように、次のような条文がある。
 
(裁判員の職権行使の独立)
第八条  裁判員は、独立してその職権を行う。

 しかし、このような条文もある。

(裁判官及び裁判員の権限)
第六条  第二条第一項の合議体で事件を取り扱う場合において、刑事訴訟法第三百三十三条の規定による刑の言渡しの判決、同法第三百三十四条の規定による刑の免除の判決若しくは同法第三百三十六条の規定による無罪の判決又は少年法(昭和二十三年法律第百六十八号)第五十五条の規定による家庭裁判所への移送の決定に係る裁判所の判断(次項第一号及び第二号に掲げるものを除く。)のうち次に掲げるもの(以下「裁判員の関与する判断」という。)は、第二条第一項の合議体の構成員である裁判官(以下「構成裁判官」という。)及び裁判員の合議による
一  事実の認定
二  法令の適用
三  刑の量定
2  前項に規定する場合において、次に掲げる裁判所の判断は、構成裁判官の合議による。
一  法令の解釈に係る判断
二  訴訟手続に関する判断(少年法第五十五条の決定を除く。)
三  その他裁判員の関与する判断以外の判断
3  裁判員の関与する判断をするための審理は構成裁判官及び裁判員で行い、それ以外の審理は構成裁判官のみで行う。

 「第二条第一項」とは次のとおり。

(対象事件及び合議体の構成)
第二条  地方裁判所は、次に掲げる事件については、次条の決定があった場合を除き、この法律の定めるところにより裁判員の参加する合議体が構成された後は、裁判所法第二十六条の規定にかかわらず、裁判員の参加する合議体でこれを取り扱う。
一  死刑又は無期の懲役若しくは禁錮に当たる罪に係る事件
二  裁判所法第二十六条第二項第二号に掲げる事件であって、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪に係るもの(前号に該当するものを除く。)

 さらに、次のような条文もある。

(評議)
第六十六条  第二条第一項の合議体における裁判員の関与する判断のための評議は、構成裁判官及び裁判員が行う。
2  裁判員は、前項の評議に出席し、意見を述べなければならない。
3  裁判長は、必要と認めるときは、第一項の評議において、裁判員に対し、構成裁判官の合議による法令の解釈に係る判断及び訴訟手続に関する判断を示さなければならない。
4  裁判員は、前項の判断が示された場合には、これに従ってその職務を行わなければならない。
5  裁判長は、第一項の評議において、裁判員に対して必要な法令に関する説明を丁寧に行うとともに、評議を裁判員に分かりやすいものとなるように整理し、裁判員が発言する機会を十分に設けるなど、裁判員がその職責を十分に果たすことができるように配慮しなければならない。

 つまり、法令の適用はともかく、法令の解釈及び訴訟手続については、裁判員は職業裁判官の判断に従わなくてはならないとされている。
 従って、裁判員が全くのフリーハンドで判決を下せるかのような井上の説明は誤りである。

 さらに、井上は「法令に基づくことなく死刑に処されることもあるのです」と述べるが、そのような事態もありえない。
 まず、次のような条文がある。

(裁判員の義務)
第九条  裁判員は、法令に従い公平誠実にその職務を行わなければならない。

 それでも、裁判員が法令に従わずに重罰を科そうとする場合はどうするのか。
 それは、評決が、職業裁判官を含む過半数の意見により決められるとされていることで防止される。

(評決)
第六十七条  前条第一項の評議における裁判員の関与する判断は、裁判所法第七十七条の規定にかかわらず、構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見による。
2  刑の量定について意見が分かれ、その説が各々、構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見にならないときは、その合議体の判断は、構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見になるまで、被告人に最も不利な意見の数を順次利益な意見の数に加え、その中で最も利益な意見による。

 したがって、仮に裁判員5名が死刑を主張し、裁判官3名+裁判員1名が死刑に反対したとしたら、それだけで多数決により死刑判決が言い渡されるということにはならない。

 さらに、井上は全く触れていないが、裁判員制度による裁判が行われるのは、1審だけである。控訴審、上告審は職業裁判官だけで行われる。
 だから、井上が言うような、「被告人は、このような裁判員裁判を拒否し、裁判官だけの裁判所に裁いてもらいたいと願っても、一切許されない」ということはない。

 井上は、裁判員は職業裁判官と違って法令を知らないから、法令に従うことは期待できない。だから裁判員を拘束するものは事実上何もなく、違法判決が有り得ると説く。
 しかし、法令を知っている職業裁判官が、法令に従わずに違法判決を下さないという根拠は何処にあるのか。
 現に、法令違反を理由に控訴審で覆るケースは多々あるのではないか。

 裁判員制度に様々な問題点があるというのは確かだろう。しかし、とりあえずはやってみても差し支えないレベルには達していると私は思う。
 裁判員制度導入の背景には、主要先進国の中で、国民の司法参加制度が設けられていないのはわが国だけであるという批判があったと聞いている。井上はこの点についても何も触れていない。
 他の国々で行われているからといって、必ずしもその全てをわが国でも同様に実施しなければならないとは思わない(例えば、死刑廃止は世界の大勢だと聞くが、私は死刑に賛成だ)。だからといって、わが国の国情に合致しないとは言い切れないものを、むやみに排撃するというのもどうかと思う。
 やってみて、不具合があれば改めればいいのではないかというのが、私の考えだ。
 それではその不具合により人権侵害を被った者はどうなるという批判があるだろう。それはそれなりの補償をすればよい。そんなリスクを恐れて現状維持に留まるだけでは改革はできない。
 同じ自由民主主義体制を採る他の先進国にできて、何でわが国にできないことがあろうかという思いから、私は裁判員裁判制度導入を支持している。
 そして、井上の裁判員制度批判とは、いわゆる「ためにする批判」ではないかとの印象が強い。