先日、Jinne Lou さんのブログ「半哲学談笑」の「青少年“健全”育成条例」という記事を読んで、次のようにコメントした。
http://blogs.yahoo.co.jp/jinne_lou/60989355.html
すると、Jinne Lou さんから次のような返答をいただいた。
もう少し付言したかったのだが、若干長くなるのと、当該コメント欄で本筋からズレた話がどんどん展開されており時機を逸した感があるため、自分のブログに書くことにする。
20年ほど前に「有害コミック」騒動があったことを、Jinne Lou さんはご存じでしょうか。
その時も、ちばてつやや里中満智子は規制反対の論陣を張りました。
ちばは、自作「螢三七子」のキスシーン(ちばマンガ唯一のキスシーンと言われる)を取り上げ、ひとたび規制を許したら、こうしたシーンも規制されてしまう社会になりはしないかと述べました。
戦中期のような言論弾圧がまかりとおる社会になってしまうのではないかと煽りました。
しかし、実際問題、誰がちばマンガのキスシーンの規制を唱えるというのでしょうか。
あまりにも例えが現実離れしすぎているのではないかと当時思いました。
今回、竹宮恵子が、少年愛を描いた「風と木の詩」も規制の対象とされるのではないかと述べていると報道で読みました。
Jinne Lou さんが挙げたURLにも、永井豪が「この条例があったら、『ハレンチ学園』が世に出ることはなかった」という趣旨のことを述べたと保坂展人が書いています。
しかし、現在、誰が「風と木の詩」や「ハレンチ学園」を18禁として規制すべきだと唱えているというのでしょうか。
そもそも今回の青少年健全育成条例の改正案とはどのようなものなのか、それを確認しようと東京都のサイトを検索しましたが、不思議なことに見当たりませんでした。法律の改正なら、所管官庁が改正案を掲載するのが普通ですが……。
しかし、この条例改正案に対する指摘と、それに対する都の反論が下記のURLに掲載されているのを確認しました。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3i601.htm
これを読む限り、私にはこの改正案がちばや竹宮や里中や永井豪や藤本由加里が言うほど危険なものだとは思えないのですが。
Jinne Lou さんが挙げている呉智英の発言とされているものに対しても、疑問に思います。
いいかどうかも何も、行政や司法は「一般の社会」に介入するものなんじゃないですか。「一般の社会」と一体となっているんじゃないですか。
Jinne Lou さんも記事本文で似たようなことをおっしゃっています。
しかしその前にJinne Lou さんが、
とおっしゃっているように、表現そのものは禁じられていないのだから、呉智英の言う「これは書くな」「出すことはまかりならない」という批判は当たらないでしょう。
Jinne Lou さんは、業界による自主規制なら良いとおっしゃる。コメント欄でも、成人向け作品は現状でもゾーニングされていると述べている方がおられます。
しかし、そのゾーニングは自主規制によって行われるようになったものなのでしょうか。
違うでしょう。「有害コミック」騒動の産物でしょう。
現在のゾーニングが公権力による規制によるものなのか、それとも自主規制によるものなのか、正確には知りません。しかし、公権力による規制の動きが影響して導入されたものであることは事実です。
それまでは野放しだったじゃないですか。少年コミックの隣に成人向けコミックが並んでいて、容易に手に取れるようになっていたじゃないですか。
マンガ業界がこういった規制に対して過剰に反発するのは、それが業界の権益を侵すものである以上、仕方のないことかと思います。それは例えば、郵政民営化に特定郵便局長の団体が反発したのと同じようなものでしょう。
しかし読者がそれを額面どおり真に受けて、過剰反応を連鎖させることはないと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/jinne_lou/60989355.html
「自分で決めろ」とおっしゃいますが、知識や判断力に乏しい青少年にその能力があるのでしょうか。
ポルノを一般のものと峻別して取り扱うことはそれほどおかしいことでしょうか。
とにかく権力による規制はいっさいまかりならぬという反権力原理主義のようなものをこのマンガ家たちやJinne さんからは感じます。
すると、Jinne Lou さんから次のような返答をいただいた。
久々に盛況ですね。今夜は時間がないので、反対意見の深沢明人さんにだけ取り急ぎ返信を。
おっしゃる通り私は、創作表現に対する権力側の規制には一切反対する立場の原理主義者です。
ポルノを一般のものと峻別して流通させることは、出版する主体の側の自主規制としてはあっていい。また青少年の判断能力云々といった問題は、文中でも書いた通り「多様な個人が作り上げる社会のネットワークの中で、世代間や個人間の価値観のぶつかり合いを経て解決されるべき事柄だ」と考えます。
しかし多様な表現内容に対して、行政機関が「許容される表現」「許容されない表現」を一律に線引きすることは越権行為です。
呉智英氏の発言に賛同します。
「行政や司法が『一般の社会』に介入していいかどうか。国や行政が、いい作品について多くの人に推薦したり、奨励することはあっていい。だが、『これは書くな』『出すことはまかりならない』ということは警戒をしなければならない」
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/3fd482add6a9654e3aba34a589328a3c?fm=rss
もう少し付言したかったのだが、若干長くなるのと、当該コメント欄で本筋からズレた話がどんどん展開されており時機を逸した感があるため、自分のブログに書くことにする。
20年ほど前に「有害コミック」騒動があったことを、Jinne Lou さんはご存じでしょうか。
その時も、ちばてつやや里中満智子は規制反対の論陣を張りました。
ちばは、自作「螢三七子」のキスシーン(ちばマンガ唯一のキスシーンと言われる)を取り上げ、ひとたび規制を許したら、こうしたシーンも規制されてしまう社会になりはしないかと述べました。
戦中期のような言論弾圧がまかりとおる社会になってしまうのではないかと煽りました。
しかし、実際問題、誰がちばマンガのキスシーンの規制を唱えるというのでしょうか。
あまりにも例えが現実離れしすぎているのではないかと当時思いました。
今回、竹宮恵子が、少年愛を描いた「風と木の詩」も規制の対象とされるのではないかと述べていると報道で読みました。
Jinne Lou さんが挙げたURLにも、永井豪が「この条例があったら、『ハレンチ学園』が世に出ることはなかった」という趣旨のことを述べたと保坂展人が書いています。
しかし、現在、誰が「風と木の詩」や「ハレンチ学園」を18禁として規制すべきだと唱えているというのでしょうか。
そもそも今回の青少年健全育成条例の改正案とはどのようなものなのか、それを確認しようと東京都のサイトを検索しましたが、不思議なことに見当たりませんでした。法律の改正なら、所管官庁が改正案を掲載するのが普通ですが……。
しかし、この条例改正案に対する指摘と、それに対する都の反論が下記のURLに掲載されているのを確認しました。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3i601.htm
これを読む限り、私にはこの改正案がちばや竹宮や里中や永井豪や藤本由加里が言うほど危険なものだとは思えないのですが。
Jinne Lou さんが挙げている呉智英の発言とされているものに対しても、疑問に思います。
行政や司法が『一般の社会』に介入していいかどうか。
いいかどうかも何も、行政や司法は「一般の社会」に介入するものなんじゃないですか。「一般の社会」と一体となっているんじゃないですか。
国や行政が、いい作品について多くの人に推薦したり、奨励することはあっていい。だが、『これは書くな』『出すことはまかりならない』ということは警戒をしなければならない
Jinne Lou さんも記事本文で似たようなことをおっしゃっています。
しかしここで重大だと思うのは、単なる一行政機関にすぎない都に、多種多様な創作表現について「これは可」「これは不可」と線引きを行う裁量権を与えることになる点だ。
しかしその前にJinne Lou さんが、
表現そのものが禁じられようとしているわけではない。禁じられるのは青少年への流通である。
とおっしゃっているように、表現そのものは禁じられていないのだから、呉智英の言う「これは書くな」「出すことはまかりならない」という批判は当たらないでしょう。
Jinne Lou さんは、業界による自主規制なら良いとおっしゃる。コメント欄でも、成人向け作品は現状でもゾーニングされていると述べている方がおられます。
しかし、そのゾーニングは自主規制によって行われるようになったものなのでしょうか。
違うでしょう。「有害コミック」騒動の産物でしょう。
現在のゾーニングが公権力による規制によるものなのか、それとも自主規制によるものなのか、正確には知りません。しかし、公権力による規制の動きが影響して導入されたものであることは事実です。
それまでは野放しだったじゃないですか。少年コミックの隣に成人向けコミックが並んでいて、容易に手に取れるようになっていたじゃないですか。
マンガ業界がこういった規制に対して過剰に反発するのは、それが業界の権益を侵すものである以上、仕方のないことかと思います。それは例えば、郵政民営化に特定郵便局長の団体が反発したのと同じようなものでしょう。
しかし読者がそれを額面どおり真に受けて、過剰反応を連鎖させることはないと思います。







しかし、そういう主張は法の発生についても思考を停止させている。私法と公法の関係についてのスターリン主義的教条に呪縛されてもいるんでしょうかねw
自分の頭を使った具体的事実の具体的分析も出来ないくせに他人の見解を陰謀論呼ばわりする男です。ああいうのは「拉致事件は右翼勢力のデマ宣伝だ」と公言して憚らなかった狂信者の同類です。困ったものですw
でもね、現代の市場経済の下では殆どの言論・表現媒体が商品形態を取っているんだよね。
つまり、図書は商品でもある。それどころか、消費者センターに泣き込むべき悪徳商品である可能性さえあるんですよね。
Jinne Louのような一知半解の教科書丸暗記エセサヨは、そんなことにもお構いなしの片目思考しかできない。
結果、表現の自由の衣を被った悪徳商品から消費者を保護することも出来なくなる。
むかしレーニンという男が「バカな唯物論者(味方)より利口な観念論者(敵)の方が望ましい」と言ったそうだけど、オレは反共主義者を自認する靖国史観信徒の貴方の方が自称進歩派より期待出来るように感じるわw
私は反共主義者ではありますが靖国史観信徒ではありません。
反共であることと靖国神社とは何の関係もないと思います。どうしてこんな発言が飛び出してくるのか不思議です。
ありゃりゃりゃ、失礼しました。
排外主義について討論出来そうな靖国主義者を捜していたんで、つい、願望と現実を混同してしまったようです。
ただ、真の共産主義とは、超国家主義でもあるはずなんで、靖国主義と反共主義が全く無縁ということにもならないと思いますよ。