トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

トニーたけざき『トニーたけざきのガンダム漫画II』(角川書店、2007) 感想

2007-05-08 00:36:39 | マンガ・アニメ・特撮
 『ガンダムエース』などに掲載された、ファーストガンダムのパロディマンガの第2集。
 絵は安彦良和のマンガタッチで、安彦が『ガンダムエース』で連載中の『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』のパロディでもある。
 142頁と薄いのに価格は680円とやや割高感がある。しかし、3分の2ほどをカラーページが占めている。しかも、そのカラーページの内容たるやすさまじいものだ。
 帯にはカトキハジメの「トニーさんて“手を抜く”ということを知らないんじゃないの?」との言葉が載っている。まさにそのとおり。

 短編集なので、どこからでも読める(ただし、前巻を読んでいないとわからないネタも一部ある)。
 第1話には冒頭に、
「事前に! 断っておこう! 今回のこのマンガは! リアルタイムで初代ガンダムを見ていた人達のためのモノだというコトを!!」 
というナレーションがあり、確かにこの話はそういうモノなのだが、基本的に全編そんな感じのように思う。

 「1日ザク」というネタは「さよなら絶望先生」にもあったが、どっちが先だろうか。細かい初出が載っていないのでよくわからない。

『超人バロム・1』第33話 感想

2007-04-30 22:56:49 | マンガ・アニメ・特撮
 「スカパー!」の「東映チャンネル」で先日放映していたのをたまたま見てみた。

 「バロム・1」は、子供の頃何度も何度も再放送されていたので、強く印象に残っている。
 「クチビルゲ」など、同世代の男子なら、知らない者はいないだろう。「ヤゴゲルゲの子守歌」とか・・・。
 「仮面ライダー」などよりも怪奇色が強かった。ドルゲ魔人の造型が子供心によく出来ていたように思う。

 冒頭、黒地に白い文字で
「このドラマにでてくるドルゲはかくうのものでじつざいのひととはかんけいありません」
とのテロップが出る。
 これは、有名なドルゲ君事件への対応策として設けられたものなのだろう。子供にもわかるようにひらがなで。こんなんだったか。全然覚えていなかった。
 各種ドラマでの「このドラマはフィクションであり実在の人物・団体等とは関係ありません」といったテロップのはしりだとも聞いたことがあるが、本当だろうか。
 しかしこの事件、当時の感覚でも、現代の感覚でも、こんなことが問題になるとは本当におかしな話だと思うがなあ。
 出典は忘れたが、ドルゲ君サイドとしては、近年になっても、この措置にも必ずしも納得していないとどこかで表明していたように思う。
 ドルゲ君が欧米系外国人でなければ、果たしてこれほどの問題にまで至っていただろうか。
 
 この33話「魔人マユゲルゲは地獄の糸で焼き殺す!!」に登場するマユゲルゲは、単体で登場する最後のドルゲ魔人。
 「バロム・1」は全35話だが、続く34話と35話は前後編でドルゲとの最終決戦を描き、オリジナルの魔人は登場しない。
 「マユゲルゲ! お前は最後のドルゲ魔人だ!」といったドルゲのセリフがあったような気がしていたのだが、全くなかった。私の単なる思い込みだったようだ。
 ただ、

ドルゲ「マユゲルゲよ、バロム・1をお前の力で倒すのだ! あいつの死ぬのを夢見てきたこの私の願いを、今日こそかなえてくれ」
マユゲルゲ「バロム・1に負けて倒れていった魔人たちのために、そして我が名誉のために」
ドルゲ「お前の命にかけて!」
マユゲルゲ「我が命にかけて!」
ドルゲ「必ず成功させるのだ・・・」

といったセリフはあった。それと最後の魔人であることから、私が勝手に上記のようなセリフを空想していたものらしい。
 しかし、ラストのナレーションには、
「マユゲルゲの恐ろしいたくらみは破られた。だが、ドルゲは次のドルゲ魔人を作り、地球の平和を乱そうとしている。ゆけ、バロム・1、正義のために」
とあり、まだ単体のドルゲ魔人が登場する予定であったようにもうかがえる。
 「バロム・1」はドルゲ君事件が原因で打ち切られたという説を見ることがあるが、上記のようなテロップで対策も取っているし、何度も再放送されている人気番組でもあったので(そんな問題があるなら再放送も困難だろう)、ガセではないかと疑っていた。しかし、33話をきちんと見る限り、打ち切り説が正しいようにも思える。
(事件と打ち切りとの関係については、こちらのコメント欄が参考になりました)
 マユゲルゲのデザインや造型も実に良く出来ている。

 マユゲルゲは赤い糸を吐く。その糸で作られた服を着た人間は溶けてしまう。冒頭で、ファンから贈られたという赤い服女を着た女性歌手が、歌っている途中で溶けてしまう(さらに燃えてしまう)。犯人を捜すその弟(小学生)。それを助けるバロム・1。マユゲルゲを倒したら、姉は甦った。
 あやつられていた人間が元どおりになるとか、病気にさせられていたのが治るといった描写は、当時の子供番組によくあったと思うが、溶けてしまった人間が元どおりになるとは!(しかも、復活する描写はない) ある種のお約束とはいえ、さすがは子供番組だ。
 そういえば、何年か前にも、「バロム・1」の初期の話を何本か見たが、あまりにも子供向けすぎて、途中で見るのをやめてしまったことがあった。
 同じ1972年放映の「人造人間キカイダー」や「アイアンキング」、少し後の「イナズマンF」なんかは、大人になってから見てもなかなか面白かった覚えがあるのだが。
 これらの作品がドラマ性を重視し、ある程度の年長者の視聴にも堪え得るものを志向したのに対し、徹底的に子供向けであることを重視したのが「バロム・1」だと言えるだろう。

映画「機動戦士ΖガンダムIII 星の鼓動は愛」感想

2007-04-22 17:51:21 | マンガ・アニメ・特撮
 今日の天声人語がカミーユ・クローデルについて書いていたので、少し前に観た本作のことを思い出した。

 映画館へは行かなかったが、ラストが改変されたと聞いて気になっていたので、レンタルDVDで観てみた。

 「Ζガンダム」の劇場版が作られると聞いて私がまず思ったのは、完全新作として、全く新しい「Ζ」が見られるのだろうな、ということだった。
 企画段階では「逆襲のシャア」とのサブタイトルが付けられていたと聞く。とすれば、雌伏から逆襲に転じるシャア像が描かれる予定だったのではないだろうか。また、テレビ版の、シロッコを倒すもハマーンは生き延びるというラストは、「ΖΖ」へ続く都合上そうなったのだろうから、本来はハマーンも倒される予定だったのではないだろうか。そうした本来の?ストーリーが新作で描かれるのだろうと勝手に期待していた。
 そして、新作カットを加えつつも、基本的にはテレビ版の再編集であることを知り、失望した。予告編を見てその失望は決定的となり、映画館へ行く気は失せた。
 ただ、3作目の「星の鼓動は愛」で、テレビ版ラストのカミーユの崩壊はなくなると聞いたので、ではどのようなラストを迎えたのか、ラストを変えるとすればそこに至るまでの経緯も多少は変えざるを得ないだろう、どう変えたのかと気になっていた。
 そこで、3部作のうち3作目だけを観てみるという、やや無謀な行為をしてみた。





(以下ネタバレしまくっていますので、未見の方はご注意ください)





 テレビ版では、ラストのカミーユの崩壊は、直接にはシロッコの最後の怨念が引き起こしたように見えるが、放映当時の出版物で、富野監督らスタッフが、人間としての限界を超えたカミーユは崩壊せざるを得なかったという趣旨のことを述べていたので、シロッコはきっかけにすぎず、ストーリー上カミーユの崩壊は必然だったと解釈していた。事実、48話の「出来ることと言ったら、人殺しくらいかな」や「気にしてたら、ニュータイプなんてやってられませんからね」といったカミーユのセリフや、49話のバイザーを開けるシーンなど、崩壊が迫っていることを暗示するシーンもいくつか見られる。
 そのラストを改変するとすれば、かなりそれまでの流れを変更しなければならないはずだ。そこがどうなっているかが気になっていたのだが・・・。

 結局、大まかな流れはテレビ版のままだった。サラの死、ハマーンとの接触と拒絶、カツ、ヘンケン、ジェリド、レコア、エマの死といった、カミーユの崩壊に影響したであろうシーンは全てそのままだ。シロッコの最後の念の放出?までそのままとは。
 人物から発せられるオーラの描写や、モビルスーツのハイパー化?には、放映当時も批判があったようだし、ガンダムシリーズを通しても違和感が否めないのだが、それらも全てそのままだった。
 そして、ラストだけが、崩壊しないカミーユに変更されている。そうした、唐突な印象を受けた。

 映像は同じでも、セリフは微妙に変えられている。
 テレビ版での
「ハマーン・カーン、わかった! お前は生きていてはいけない人間なんだ!」
「貴様のような奴はクズだ! 生きていちゃいけない奴なんだ!」
「許せない! 俺の命に代えても、体に代えても、こいつだけは!」
「わかるはずだ! こういう奴は、生かしておいちゃいけないって!」
といった、カミーユの明確な殺意を示すセリフがなくなっている。
 ジェリドの
「俺は貴様ほど、人を殺しちゃいない!」
もなくなっている。
 全般的に、セリフがマイルドになっていると感じる。キャラクター同士の軋轢も、テレビ版ほど強くはないようだ。それが、富野監督の「新訳」なのだろう。
 
 しかし、セリフが少々変わっていても、やっていること(映像)は同じだから、テレビ版をよく知る者としては、大して変わらないようにしか見えない。
 だから、崩壊しないカミーユを見ても、しっくりこない。ラストだけが唐突にすげ替えられたとの印象が強い。
 テレビ版を知らずに初めて劇場版3部作を見れば、また違った感想を持つかもしれない。しかし、劇場版は所詮はダイジェストであり(よくこうもまとめられたものだと感心はするが)、予備知識なしにいきなり劇場版を見て、そのストーリーが理解できるとも思えない。
 これはやはり、完全新作で作るべきではなかったろうか。
 富野監督によると、旧作のフィルムも使わないと、「Ζ」ではなくなってしまうからといった理由があったというが。

 数年前、スカパーで「∀ガンダム」を観たときには、富野氏もまだまだやるなと感服したものだが。
 中途半端なリメイクより、新作で勝負してほしい。

 あと、一部の声優の変貌ぶり(声の)が、往時を知る者としては辛かった。
 特に、ブライト役の故・鈴置洋孝が(体調悪かったのかな・・・)。ヘンケン役の小杉十郎太も。
 逆に、経年を感じさせない方も多数おられたが。

不知火プロ編『妖怪人間ベム大全』(双葉社、2007.3)

2007-04-03 00:02:01 | マンガ・アニメ・特撮
 双葉社の大全シリーズは当たり外れが結構激しいが、これは当たりだろう。
 「妖怪人間ベム」といえば、私やその前後の世代では知らぬ者がない有名作品だが、人気が高いにもかかわらず、あまり顧みられてこなかったように思う。
 おそらく、初の「ベム」本ではないかろうか。
 私はさしてファンではないのだが、興味深い記述が多かったのでつい買ってしまった。

 「ベム」は、当時の他のアニメ作品と比べて、非常に異質だった。子供心に、これは海外のアニメを輸入したものではないかと漠然と思っていた。のちに国産作品であると知ったが、しかし私が感じた違和感も全く根拠のないものではなかったらしい。
 本書によると、1965年の日韓基本条約後、文化交流の一側面としてアニメーションの技術交流の計画が浮上し、広告代理店である第一企画にアニメーション部門として第一動画が設立され、韓国の放送局と組んでアニメを制作したのだという。その第一弾が「黄金バット」で、第二弾が本作だという。

《日韓交流という文化事業的側面もあり、制作的には特殊な体制が組まれることになる。まず第一動画はアニメ制作の主だったスタッフを韓国に派遣。そして日本で作った脚本や絵コンテを空輸してもらい、韓国のスタッフで中割、トレース、色づけ、背景といった一連の仕上げを行う、という体制を取った。》(p.13)

 子供心に感じた違和感は、そうした制作体制によるものだったのだろうか。

 韓国に派遣されたスタッフが当時を回想した講演も収録されている。大変興味深い内容だ。

 また、本作のキャラクターデザインの独特さも昔から不思議だったのだが、のちに桑田次郎というマンガ家を知り、彼こそが本作のキャラデザを担当したのではないかと勝手に思っていた。
 本書により、それは単なる勘違いであることがわかった。キャラデザは、アニメ制作会社である株式会社TJC〔←TCJの誤りでした。ご指摘多謝〕(エイケンの前身)を退社してマンガ家を志していた若林忠生という人物によるものだという。
 私が桑田次郎のデザインだと誤解していたのは、ベム、ベラ、ベロの妖怪人間態のデザインやベムの人間態、それにゲストキャラのデザインに桑田タッチを想起したからなのだが、考えてみれば、ベラやベロの人間態は桑田タッチではないし、今、本書に収録されたゲストキャラの映像を見てみても、あんまり桑田風ではないなあ。なんでそう思ったんだか。

 1968年制作の最初のアニメだけでなく、1982年にパイロットフィルムが制作されながらも放映には至らなかった「妖怪人間ベムPARTII」(パイロットフィルムはのちビデオ化された)、1993~95年に『少年ガンガン』で連載されたマンガ『妖怪人間ベムRETURNS』、それに2006年にANIMAXで放映された新作アニメ「妖怪人間ベム」についても詳細に触れられている。

鴨志田穣さんが死去

2007-03-21 23:15:27 | マンガ・アニメ・特撮
 マンガ家、西原理恵子の元夫。

カメラマンの鴨志田穣さんが死去(朝日新聞) - goo ニュース

 他の記事によると、最近復縁していたそうですね。

 私は古くからのサイバラファンでしたが、鴨志田氏のエッセイの良い読者ではありませんでした(『アジアパー伝』も途中で読むのをやめました)し、正直言って、鴨志田氏にはあまり良い印象を抱いていませんでした。サイバラのマンガの中の「鴨ちゃん」は愛すべきキャラクターでしたが・・・。しかし、あの(元)夫婦をマンガで見ることももうないのですね・・・。ご冥福をお祈りします。

伊藤理佐『おんなの窓』(文藝春秋、2007)

2007-01-15 00:01:14 | マンガ・アニメ・特撮
 『週刊文春』のモノクロ最終頁に連載されている1コママンガの単行本。
 最新号でもう149回なので、約3年続いている。まだまだ続くだろう。
 このうち、2004年1月から2006年7月までの分を収録。1コマずつにコメントが付されている。
 さらに、同社の『オール讀物』に連載されたマンガ「妙齢おねいさん道」と、著者が『週刊文春』記者を体験した「るぽまん 文春で一週間」を併録。
 『週刊文春』はほぼ毎号読んでいるので、このマンガもだいたい読んだものばかりなのだが、ファンであるためか、それでも楽しめた。

 p.100の「妙齢おねいさん道 その5」が強く印象に残った。

《30過ぎるとふと年がたっている
 ふとなんです》(太字は原文では傍点)

 最近私もそんな気分になることがよくある。
 『週刊文春』誌上で「るぽまん 文春で一週間」を読んだのは昨年のことだったような気がしていたが、本書末尾で確認すると、一昨年!
 あれから1年半経った!? いつの間に!?

 こうやって加速度的に年をとっていくのかな。

 それはさておき、著者のファンなら、たとえ1コママンガでも、「買い」だと思いました。

宇宙戦艦ヤマト 「ありふれた表現」??

2007-01-03 00:45:00 | マンガ・アニメ・特撮
 昨年10月に槇原敬之に対して歌詞が盗作だと主張していた松本零士だが、自身はこんなことをやっていたのか。
 松本零士が近年著作権がらみでおかしな行動をしているとは聞いていたが、例えばこういうことか。知らなかった。

宇宙戦艦ヤマト「ありふれた表現」 著作権侵害認めず(朝日新聞) - goo ニュース

《アニメ「宇宙戦艦ヤマト」に登場する戦艦や人物に似たキャラクターを配したパチンコなどの映像が著作権を侵害しているかどうかが争われた訴訟で、東京地裁は27日、販売差し止めなどを求めた映像制作会社側の訴えを退け、遊技具メーカー側の勝訴判決を言い渡した。清水節裁判長は「宇宙空間を背景に先端部の発射口から光線を発する飛行物体を描いた映像などは、特に目新しい表現ということはできない」と述べた。

 問題となったのは、遊技具製造大手の三共(群馬県桐生市)などが製造したパチンコやパチスロなどに使用された映像。「大ヤマト」のタイトルで、宇宙空間を飛行する戦艦や軍帽を目深にかぶった熟年の艦長が登場する。原告側は「宇宙戦艦ヤマトや沖田十三艦長をまねたものだ」と主張していた。

 清水裁判長は「宇宙を戦艦が飛行することはアイデアにすぎず、著作権法の保護対象ではない」と指摘。宇宙戦艦ヤマトの外観は、艦首に発射口があることを除けば、戦艦大和のプラモデルにも似ているとして、「ありふれた表現だ」と述べた。

 また、乗組員などの人物について「アニメの登場人物は顔や服装などの細部の違いで相当に異なった印象を受ける」と指摘し、著作権の侵害は認められないとした。
(後略)》


 新聞報道には松本零士の名はないが、「大ヤマト」には松本零士が関与している。
 というより、著作権問題で自分の自由にならない「宇宙戦艦ヤマト」に代わる、松本版ヤマトが「大ヤマト」と考えてよいようだ。
 もともと、松本零士の「新宇宙戦艦ヤマト」というマンガを原作としてアニメ化が予定されていたが、それが諸般の事情で頓挫したため、代わりに、「宇宙戦艦ヤマト」とは全くの別作品である、松本零士オリジナルの「ヤマト」として「大ヤマト零号」というアニメが制作されたという。そしてこの作品を三共がパチンコで使用した。この三共を、現在「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を持つ東北新社(上記記事の「映像制作会社」)が訴えたのがこの裁判だそうだ。
 以前、「ヤマト車検」の看板を見て驚いたことがあるが、あれもこの「大ヤマト」のキャラクターだそうだ。

 「大ヤマト零号オフィシャルサイト」を見る限り、確かに別作品なのだろう。キャラクターもメカニックも、似ていることは似ているが・・・。

 「大ヤマト零号」のアニメ(DVDで3巻まで出て、中断しているという)の内容については、「ビバ! びでお」というサイトにレビューがある。

 今回の裁判は、三共のパチンコ「大ヤマト」が「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を侵害しているか否かが問われたもの。
 「ありふれた表現」という言葉には大変違和感を覚えるが、一応別物である以上、たしかに著作権侵害を認めるには難しいのだろう。
 しかし、どうにも釈然としない。というか見苦しいふるまいだと思う。
 これって、例えば大河原邦男が「ザ・アニメージ」のメカデザインをするようなもんじゃないのか?(古いたとえだが)
 こんなことをしていては、古くからのファンを遠のかせるばかりだと思うがなあ。

 いろいろ調べていると、「きむずか」というブログの「松本零士は自分の作品をパクったのか? 」という記事に、この件について私などよりはるかに詳しくかつわかりやすく書かれているので、興味のある方は参照してください。三共の「大ヤマト」の画像もこちらで見られます。

 この「きむずか」の記事に興味深い箇所がある。


《◆東北新社 敗訴

この敗訴の内容が東北新社にとっては痛いです。

WEB 上では、トンデモ判決のみに焦点が当たっていますが、
判決は、
「ちょっと違うんだからパクリではない」
「SF作品なんだから少しくらい似るだろう」
という主旨ではありません。

西崎氏が「旧ヤマト」の製作者であるか否か。
否→オフィス・アカデミーという会社の製作であり、
西崎氏個人の製作ではない。

西崎氏から譲渡された権利は有効か無効か。
無効→製作会社を差し置いて、そもそも製作者でない
一個人からの譲渡はありえない。

パクリかどうかの審議はおまけです。

遊戯台の回収・損害賠償どころか、権利がないと判決が下りました。
やぶへびです。上告必須でしょう。》


 だとすると、確定していたはずの、東北新社が「宇宙戦艦ヤマト」の著作権を有するということ自体が、揺らいでいるということになる。判決文は読んでいないので、詳細はわからないが。
 今後の松本零士や西崎義展による「ヤマト」の展開にはさして興味はないが、版権問題がこじれると、過去の作品までが「封印作品」になりかねないので、注目していく必要はありそうだ。

 なお、「宇宙戦艦ヤマト」自体の著作権については、これも経緯が大変複雑なようだが、「「宇宙戦艦ヤマト」の権利関係」というサイトがとても参考になる。特にこの中の 「「宇宙戦艦ヤマト」著作者裁判の関連リンク集」は秀逸。

その他参考にしたサイト
ポリスジャパン「日本が誇る巨匠松本零士を巡る噂話 2
ウィキペディアの「松本零士」「宇宙戦艦ヤマト」「新宇宙戦艦ヤマト」「YAMATO2520」の項

福本伸行『最強伝説黒沢』10巻、11巻(最終巻)(小学館、2006)

2006-12-02 18:55:45 | マンガ・アニメ・特撮
 以前にも書いた『最強伝説黒沢』の最終巻が発売されたので、早速買ってみた。
 当初10月末発売予定だったが、延期されて11月末となった。延期された分、何か書き下ろしでもあるかと期待したが、そのような様子はない(雑誌掲載時は見ていないので詳細はわからないが)。

 終盤に至るまで、最終回が迫っているとの感触はない。黒沢伝説の1エピソードという感じに過ぎない。
 最終2話に至って、まるで、突然編集者から「あと2回で終わらせてください」とでも言われたかのような急展開を見せる。
 といっても、何の根拠もない話で、もっと以前から、終わらせることは決まっていたのかもしれないが。

 最終話の蟻のエピソードは、おそらく以前から落としどころのひとつとして考えられていたものではないだろうか。この話に限らず、どの話で用いられても通用する話だ。打ち切り感はあるが、一応きれいにまとめたという感じだ。

 最近読んだマンガの中では、大変強く印象に残った作品だった。作者のこれまでの読者層の枠を超えて、その作品の魅力を知らしめることに貢献した良作だと思う。連載終了はやはり残念でならない。

秋本治『超こち亀』(集英社、2006)

2006-12-01 23:16:02 | マンガ・アニメ・特撮
 「著者 秋本治」となっているが、「こち亀」30周年記念の豪華本。
 地元の書店の店頭で目について、別にそれほどファンでもないのだが、つい買ってしまった。ちなみに私はアニメは見たことがない。
 30年に及ぶ歴史の紹介のほか、他のマンガ家による1頁「こち亀」や、秋本と他のマンガ家との合作、ジャンプ出身マンガ家ほか著名人と秋本との対談、秋本のロングインタビュー、CD-ROMデータベースなどで構成。読んでいて楽しい。Amazonの評価が非常に高いのもうなずける。9月に発売されたのだが、未だに売れ続けているようだ。
 印象深かったのが、ロングインタビューで秋本が次のように述べている点。
「ジャンプ自体は絶えず変化していて、(中略)今のジャンプだと絵が上手でかわいいキャラも多くて、その中での『こち亀』の絵に対する違和感は常に意識していて、かわいい子を入れよう、線を細くしよう、と思ったりもしますね。(中略)決して意固地に自分のやりたいのをやるんじゃなく全体を通してみて、『こち亀』だけ異様にならないようにもやってますね。そこはジャンプと足並みを揃えて、スタイルを合わせていきたいとも思ってます。」(p.315)
 なるほどなあ。
 どんなマンガでも、連載が長期になるにつれ絵柄が変わっていくものだが、私はバカだから、ああいうのは自然に変化していくものだとばかり思っていた。しかし、このように戦略として変化させていく場合もあるのだなあ。このへんの配慮も長寿マンガの秘訣なのかな。
 「こち亀」については、昔の、劇画であることにこだわっていたころの絵柄が好きだった。しかしそれは、昔からの読者であるからそう思うので、現役読者の主力である現在の少年層にはまた別の好みがあるのだろうし、それに合わせていくのは当然だろう。
 15周年くらいのころから少年マンガを読むこともほとんどなくなり、この作品とも遠ざかっていたのだが、いろいろ設定も変わっているというし、その後の作品もちょっと読んでみようかなという気持ちにさせられた。

実相寺昭雄氏死去

2006-11-30 23:09:34 | マンガ・アニメ・特撮
「ウルトラマン」「帝都物語」の実相寺昭雄さん死去(朝日新聞) - goo ニュース
 私はウルトラシリーズ以外の氏の仕事にはあまり詳しくないのだが、ちょっと確認してみたら、ウルトラシリーズでもそれほど多くの作品を残しているわけでもない。しかし、「マン」「セブン」のものは、いずれも印象的な作品ばかりだった。
 氏がいなければ、ウルトラシリーズはこんにちこれほどまでに評価されてはいなかったかもしれない。
 とは言い過ぎか。
 「シルバー仮面」がスカパーのファミリー劇場で始まったので、録画を始めたばかりでした。
 ご冥福をお祈りします。