徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

飛鳥路を行く ① -亀石ー

2009年10月22日 08時42分55秒 | 西国三十三ヶ所巡礼の旅

西国七番札所の岡寺とその周辺の飛鳥路をサイクリングをすることを思い立ち、秋の飛鳥路を巡ることにしました。

岡寺には、最寄駅近鉄岡寺駅から4Kmほどあり、歩いても良かったのですが、行動範囲を広げようと、自転車で回るのも悪くないと思い、駅前にレンタルサイクル屋があることを調べました。
が、レンタルサイクルは休みで、仕方がなく歩くことにしました。
休業日をも事前に調べなかったのがいけなかったのですが、あとで分かったのですが、岡寺駅だけではなく、その前後の駅(橿原神宮前駅とか飛鳥駅)にもレンタル屋がありました。

地図を片手に、15分歩いたところでレンタルサイクリ屋亀石営業所があり、ここで初期の目的通りに、自転車を借り、岡寺だけではなく、周辺の旧跡、遺跡、お寺を廻ることに再度計画変更しました。

  
  ”亀石” 何に見えますか?         飛鳥路 川原寺から橘寺を望む

まず、レンタル屋の近くの、”亀石”を訪れました。
ここ飛鳥路には、古墳や古くからの伝説のある遺構が多くあるそうです。
その一つがこの”亀石”で、亀というより”カエル”のようにも見えました。
いつ、なんの目的で造られたのかは不明ですが、伝説が伝わっています。
奈良盆地は、かって湖だったころ、蛇とナマズの争いで、湖が干し上がり、湖にいた亀が全滅したそうです。その亀を供養するため、村人が「亀石」を造って供養したそうです。

天気も良く、サイクリングには、最適で、サイクリングを楽しんでいる人や遠足で来ている小学生など、多くの人出でした。 

「亀石」を後のして、あと橘寺、石舞台古墳、岡寺、飛鳥寺を回る予定で、出発しました。
橘寺以下については、後日述べてゆきます。 

 


江戸時代の生活 ② ー長屋ー

2009年10月21日 12時08分01秒 | 江戸時代とは・・・・・

江戸庶民の住居といえば、長屋、それも裏長屋を思い浮かべます。
当時、江戸の人口を100万人として、半分の50万人が武士で、残りが町人の人口になります。 がそのうち約30万人が長屋に住んでいたと考えられています。

長屋というのは、歴史的に見て、伝統的な都市住居として広く見られる形態でした。
お城でも多門櫓と称して長屋を塁上に造り、防衛の建物として威力を発揮していました。
又、城内や大名屋敷の敷地内のも長屋が作られ、家臣などが住んでいました。
御殿女中の住居も長局と呼ばれ、江戸城大奥での長局は戸別にトイレ・キッチン付きで2階建てで、長さは80mもありました。

  
    神田明神下の風景 遠くに長屋も   彦根城の多門櫓 お城の長屋
  明治初めの撮影です・・・

町民でも中層階級の商家などは、表通りに独立した店を構えていましたが、それ以外の町人や職人は、ほとんどが裏長屋の借家住まいでした。

落語などでも知られているように、裏町の長屋で密集した中での生活であったのですが、人情こまやかで、相互扶助的な生活をおくっていたようです。

江戸時代の長屋は、ほとんどが平屋建てで、玄関を入るとすぐ台所(土間、約1畳半)であり、部屋はせいぜい4畳半程度でした。

   島津家、大名屋敷の長屋門
                 現在は、品川駅前のホテルがあります

1棟分の間口が9間、奥行きが2間半を6等分したのが、1世帯の住居となります。
これが、江戸の「九尺二間」の棟割6軒長屋といわれるものです。
一所帯の面積は間口が9尺、奥行きが2間半、面積は約3.7坪(12.4㎡)

路地に共同トイレがあり、風呂はありません。(火事の危険性が高く、防災上の理由で禁止されており、入浴は銭湯を利用)
水は、共同井戸がありましたが、この井戸は地下水を汲み上げるものではなく、神田上水から供給されていた水道水の取り口なのです。

江戸での水道等については、次回に掲載します。


江戸時代の生活 ①-庶民の1日ー

2009年10月19日 15時32分22秒 | 江戸時代とは・・・・・

これまでにも江戸時代について色々と述べてきました。
(当ブログのカテゴリーの”江戸時代とは・・・”を参照してください)

2007年4月~6月にかけて江戸時代は、なにも特異な時代ではなく、世界的に見てもごく普通の国であったことを書いてきました。
2007年12月~2008年1月にかけては、庶民生活を、また2008年11月~2009年1月にかけては江戸幕府の中枢として江戸城の仕組みについて書いてきました。

今回のシリーズでは、江戸での生活は、庶民だけではなく、一般的にどうだったのか? 日本人の生活の基盤が、江戸時代に、特に当時の大都会江戸では、どのような生活を送っていたのかを調べてみました。

  
  若い商人の談笑・・・           茶屋でおしゃべり・・・今の喫茶店か?


今日は、簡単に庶民の一日について述べます。
江戸に住む庶民の生活は、現在の人が考えるほど、身分制度や儀礼に捉われない暮らしだったようです。

一般的に特権階級である武家社会で、いわゆる切り捨て御免の時代と思われがちですが、実際はそうではないそうです。
理由なく斬れば罰せられるのは当然で、幕府は、勝手に斬ってはいけないという触れを出しています。

ただし、大名行列を横切ったりすれば、斬られても文句は言えないそうです。
道端で土下座をする必要はなく、庶民は見学するのを楽しみにしていたそうで、現在のイメージとは随分異なります。

江戸での、一般庶民の一日は、父親は仕事に行き、子供は寺子屋に行くのが一般的で、昼食は、家に帰り、現在より軽食で簡単に済まし、夕食は、その日の稼ぎで米を買って、魚などのおかずを付けていたようです。

労働時間も今よりは短かったようです。
天候によって、仕事に行かず、日が暮れれば、そこで仕事が終わりとなります。
賃金は、日払いが一般的で、夜は灯り代が勿体ないのでさっさと眠ってしまいます。

では、住まいや着るものや、そして娯楽などはどうだったのでしょうか?
追々と書いてゆきたいと思います。

 


”貧困率”ってどないなん!!!!

2009年10月13日 15時28分19秒 | 独り言・社会・ニュース

去る4日、長妻厚生労働相は、格差問題解決に本格的に取り組むため国民の「貧困率」を政府として調査すると発表しました。
特に貧困状態で生活する子供の割合を示す「子供の貧困率」の調査をも指示したそうです。

現在、政府が公式に示しているデータはなく、民主党がマニフエストに貧困実施調査を実施し、それに基づいた対策を講ずると明記していました。

では、その「貧困率」ってどんなものなのでしょうか?
貧困率は、「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」とに大別されるようです。

「絶対的貧困率」とは・・・・
その国や地域で生活していける最低水準を下回る収入しか得られない国民が全国民に占める割合のこと。

「相対的貧困率」とは・・・・
国民の経済格差を表す指標で「年収が全国民の収入の中央値の半分しか満たない国民の割合」のこと。

絶対的・・・の方が実状を反映しやすいという特徴がありますが、「生活していける水準」の設定によって様々な基準が出来、設定者の主観が入りやすいという欠点があり、相対的・・・は、国によって「貧困」のレベルが大きく異なってしまうという欠点があります。
つまり、ある国では貧困であっても、貧困の人が多い国に住む人々よりもずっと豊かな暮らしをしているということにもなります。

 
  2005年 OECD(経済協力開発機構)資料による

2008年の国民生活基礎調査では、日本の一世帯当たり年間所得の中央値(448万円)の半分(224万円)以下が相対的貧困率の対象となり、その割合は18.5%だったそうです。

また、OECDの最新のデータ(2000年)によれば、日本の貧困率は13.5%で、アメリカの13,7%に次いで2番目に格差が大きかったそうです。
ちなみに、OECD加盟国の平均は8.4%で、西欧諸国の大半は、10%以下だそうです。

相対的貧困率は、1980年代半ばから上昇しているそうです。
原因として「高齢化」や「単身世帯の増加」、それに加えて「勤労者層の格差拡大」が挙げられています。

  今日の絵は、”猫のくろちゃん”F8号

なぜ、日本の貧困率が高いのでしょうか?
所得の平均値ではなく、中央値で算出しているところがミソなのです。
つまり、飛びぬけて所得の多い人が少ない人数でも、中央値は、単純に高くなるのです。
どちらにしても、日本は、貧困率が高い国であり、貧しい国なのです。
このことを、自覚しなくてはならないのですが、貧困率は、あまり実情に合っていないのかもしれません。

所得分配の不平等さを測る指標に「ジニ係数」というのもありますが、この指標も同じようなことが、言えると思います。

 


”東京スカイツリー”ってどないなん!!!

2009年10月12日 11時04分38秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

        
         完成予想図    

地上デジタル放送自体は、現在の東京タワーを少し高く(25mで40億かかるそうです)すれば放送出来るそうですが、問題はワンセグで、より確実に受信するには、600m級のタワーが必要だそうです。

超高層ビルの増加に伴い東京タワーの電波障害を低減することを目的として、2003年12月にNHKと在京民放5社が600m級の新しい電波塔を求めて「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足したのがきっかけで、2006年3月に建設予定地を決めました。

  
 今年9月17日現在   世界のタワー  どこのタワーでしょうか? 答えは下記


関西では、あまり話題にならなかったのですが、名称は公募され「東京スカイツリー」と決められ、建築主は東武鉄道㈱で別会社「東武タワースカイツリー㈱」を設立して2008年7月に工事が始められ、2011年12月に竣工の予定だそうです。
計画では、高さは610m、費用は500億円だそうです。

2011年7月24日をもって地上アナログテレビ放送が終了するのに備えて着工されたのですが、竣工が2011年12月となり、試験放送などを経て開業は2012年春の予定で、半年間のブランクが開くのですが、その間はどうするのか、気にかかることです。

デザインは、日本の伝統美と近未来的デザインの融合し、日本古来の建築「五重の塔」に通じる新たな構造システムだそうですが、完成図を見る限り、五重の塔とは思えないのですが・・・・

場所は、墨田区押上1丁目で、東武電鉄業平橋駅の空き地で、浅草から東へ隅田川を渡ったところです。

大阪でも、最近、高層ビルが建ってきておりますが、大阪だけではなく、近畿一円は、現在生駒テレビ・FM放送所で電波を出しており、これで、十分なのでしょう。
2006年4月に地上デジタルテレビ放送が開始されています。
ただ、ここからワンセグ放送をより確実に受信できる電波が出せるのかどうかは分かりませんが・・・・

 ○世界のタワー  左から 通天閣 103m  横浜マリンタワー 106m
  神戸ポートタワー 108m  京都タワー  131m  札幌テレビ塔  147m
  名古屋テレビ塔  180m  エッフェル塔 324m  東京タワー    333m
  独ベルリンタワー 368m  上海 東方明珠タワー  468m
  モスクワ オスタンキノタワー  540m   カナダ トロント CNタワー 553m
  東京スカイタワー(完成後予定) 610m 


とら、CS出場出来ず、ヤクルトに気合負け

2009年10月09日 22時01分31秒 | 野球・タイガース

ヤクルトに気合で負けていました。
3対1で、トラの良いところは全くありませんでした。
ラジオでしか聞いていないので、表情は分かりませんが、試合展開から察して、感じました。


先発の岩田は、初回に1点を先制され、6回まで2点に押えますが、ここ1本が出ず援護がなく、敗退しました。
攻撃面で言えば、ここ1本が出ない、特にそれがクリーンアップでも打てないとなれば、試合の流れは、こちらに引き寄せることは、出来ません。
今年は、これが多すぎました。
来期、若手の台頭とクリーンアップを含む打順の再考をも含め、打棒の向上を期待したいものです。
なにしろ、3割打者がいませんから・・・・

                   


試合後、真弓監督が実力以上のことは出来ないと言ったそうですが、負けたということは実力がないということであり、瀬戸際に立てば、実力以上の力を出るのが、勝負なのです。 だから、試合が面白くなるのです。
火事場のクソ力が出ないのは、勝負事では、致命傷になりかねないのではないでしょうか?  つまり、面白くない試合が多かったということなのです。
気合はもちろん、気概、気持ちも足りなかったようです。

投手陣に、この気概がなかったのが残念でした。
特に、この気概や気持ちが希薄と映ったのが、安藤でした。
このCS進出をかけての3位争いに負けたのは、すべて安藤の気概、気持ちが足りなかったと言っても過言ではないのです。

昨日までの、最近の10試合は、6勝4敗でしたが、そのうち3敗が安藤でした。
もっとスタンスを長くして9月1日から昨日までの勝敗は17勝14敗でしたが、そのうち先発投手で勝敗が付いたのは、安藤が1勝5敗  久保が2勝3敗  福原は2敗で、この3人で10敗しています。
その他に、能見は5勝1敗、  岩田4勝1敗  下柳2勝1敗 ・・・・・

と言っても、安藤一人が悪い訳ではないのですが、数字に表れている結果がすべてを語っています。  調子が悪かったのなら、その悪いなりに乗り切るのが真のエースなのですが、残念ながら、その様子が表れませんでした。
来期は、これを乗り越えて、真のエースならん事を念願します。

とらの、新任監督の初年度は、星野も岡田も4位でした。
だからと言って、4位でよかったのではありませんが、2年目は、より厳しい環境になると覚悟して、来期の構想をはっきりして、フアンの期待に応えて欲しいものです。 

 


とら、雨中戦を制し、3位死守

2009年10月07日 21時15分03秒 | 野球・タイガース

先発、能見が6回まで無難なく投げ、アッツソン、藤川とつないで5対1で勝ちました。

         

打っては、4回に鳥谷と新井の2ベースでまず1点、ブラゼルの16号2ランで、この回3点を先取し、試合を有利に展開します。

  
   4回 ブラゼル 16号2ラン       9回 鳥谷 20号2ラン

6回に、新井のトンネルエラーで1点を入れられますが、2点差を8回までキープし、9回に留めの鳥谷20号2ランが飛び出し、セーブがつきませんが、予定?通り藤川で締めました。

ヤクルトが横浜に逆転勝ちしたので、ゲーム差は、0.5のままですが、明日、明後日の決戦の2試合をとって欲しいものです。

     

台風の影響で、今日も広島でも、雨が降り続いていましたが、明日の神宮は、台風は通過した後となり、天候の心配はないと思いますが・・・・


とら、甲子園の最終戦を飾る

2009年10月04日 19時15分23秒 | 野球・タイガース

やはり、先発投手が安定しておれば、見る方も安心して見ていられます。
甲子園の最終戦というのに、地上波でもBSでも放送はなく、スカイAのみの放映でした。

  

3回に桜井の12号ソロが出て、それを守って岩田は7回を2被安打、2四死四球、5奪三振で、ゼロ封に押えます。

その7回の裏、新井のセンター前を足がかりに、満塁と攻め、代打桧山は三振で2アウトとなりますが、平野のレフト前でまず1点、大和の代打葛城の2点タイムリーでこの回3点を入れ、勝利を近づけます。

  
  
3回 桜井の先制12号ソロ        8回 関本、ダメ押し3号ソロ


後は、8回をアッチソン、9回を藤川ではなく、久保が投げ、8回に関本の3号ソロも飛び出し、5対0として、完封リレーとしました。
9回は、てっきり藤川と思っていました。
今季、甲子園最後の試合であり、セーブがつかないと言っても、お客さんは、藤川が見たいと思ったのではないでしょうか・・・・ 明日、明後日と試合もないことなので、ファンサービスがあっても良かったのでは・・・・・
久保は、後残り試合で先発と思っていたのですが、まさか安藤がどこかで先発ではないでしょうね。

  

試合後、立浪に桧山から花束が贈呈されましたが、その後は、甲子園最終戦というのに、プレートに整列して頭を下げ、その後ナインがボールを観客席に投げただけで、首脳陣の挨拶がありませんでした。 まだペナントが終わっていないとは云え、甲子園最後ともなれば、観客に一言挨拶があってしかるべきではなかったのでないでしょうか?
そう言えば、ヒーローインタビューもなかった。
折しも、立浪の引退式の様相となりました。

惜しむらくは、昨日の敗戦が、シーズン終了時点で、あの試合に勝っておればと言われるのではないかと、思われてなりません。 


とら、安藤、試合をまたまたぶっ壊す・・・

2009年10月03日 22時08分43秒 | 野球・タイガース

ジンクスは生きていました。
トラは、土曜日は5連敗中で、今季土曜の成績は5勝19敗と、土曜日は厄病神が憑いているようです。
果たして、今日、土曜日も例外ではありませんでした。

最近3連敗している安藤をあえて、先発に起用したのは、単に過去にヤクルトに分が良く、防御率も1点代だったからでしょうか?
今日の試合の大切さが分かっていたのでしょうか?

試合開始前から危惧していた通りの結果になってしまいました。

      

安藤の最近の不調は、素人でも目を覆うばかりの出来だったはずです。
点を入れた後にすぐに逆転されたり、コントロールが定まらず四球を出しては、ボールが高めに浮いて痛打されるというのを、何回も見てきました。

今日も例外では、有りませんでした。
折角、逆転しても、試合のリズムを壊したのでは、守備も打撃も、本来の調子が出せません。

その安藤を3回で降板させなくてはならない事態になったのは、この試合の先発に送り出した監督や投手コーチの責任でもあるのです。

4回以降の救援投手も、ガタガタで、2回と持たない出来では、試合の主導権など持てる訳がありません。

今日の試合の大切さは、十分分かっているはずなのですが、打つ手が甘いの一言です。
救援投手の不出来というより、押えるという気概が感じられないのですが・・・・
打撃陣も、5回から完全に押さえられ、塁に誰一人と出塁出来ないのも、ぶざまに逆転された、安藤やその後を継いだ投手陣のぶざまな出来が、このようになしたと思います。

投手と野手の信頼関係が崩壊するのは、目に見えてはっきりします。

 

試合には、流れや勢いが必要なのです。
これが、あれば、少々劣勢になっても、試合としては、面白い展開が期待出来るのですが・・・・・

もう、せめて今年は、安藤の先発は、避けてほしいのですが・・・・
5割は、出来ませんでしたが、残り4試合は、納得のゆく、試合をしてほしいものです。


明日は、「中秋の名月」 (2009年10月3日)

2009年10月02日 10時21分49秒 | 今日は、何の日

明日(10月3日)の夕方に昇る月を中秋の名月と呼ばれています。
この日は、旧暦の8月15日なので「十五夜」の月と言われています。
また、「芋名月」とも言われています。

月見は、秋の収穫に感謝する行事で、月に供えられる芋や団子は、収穫物の象徴なのです。

            
  「食欲の秋」「運動の秋」「芸術の秋」そして「読書の秋」 F6号

「八月十五日」と書いて「なかあき=中秋」と読む苗字があるそうです。

旧暦では、1~3月を春4~6月を夏、7~9月を秋10~12月を冬と四季を分けていました。
で、それぞれの季節に属する月には、「初」「中」「晩」、あるいは「孟」「仲」「李」と呼んでいます。
つまり、旧暦の8月は、秋の真ん中で、「中秋」あるいは「仲秋」となります。

実は、実際の旧暦の8月15日の中秋の名月は、満月でない日が多いそうです。
これは、月の軌道が円でなく、新月(朔)から満月(望)までの平均日数が約14.76日で15日でないことからだそうです。

今年の満月は、10月4日です。
でも「中秋の名月」は、10月3日なのですが、これを一々詮索しないのが、昔からの行事であり、習慣であり、風習であり、歴史なのですから・・・・
ちなみに、来年の中秋の名月は9月22日ですが、満月は9月23日です。

「十三夜」というのも言われていますが、これは、「十五夜」とどう違うのでしょうか?
「十三夜」は、日本独特の風習で、旧暦の9月13日で、今年は10月30日です。

「後の月見」と呼ばれ、宇多天皇が9月13日の月を愛でたことが始まりとされ、それを醍醐天皇(919年)に、観月の宴をひらき、それ以後風習化したものだそうです。