徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

座席の座り方

2008年03月07日 09時41分17秒 | 独り言・社会・ニュース

日本民営鉄道協会の発表によれば、電車の利用者が最も迷惑に感じるのが「座席の座り方」だそうです。
同協会が昨年アンケートを実施した結果、「座席の座り方」が15.2%を占め、4年連続のワーストワン行為となりました。

  


参考までに、2位以下は次の通りです。
2位、携帯電話の使用    12.2%、  3位 泥酔状態で乗車 12.2%
4位 乗降時のマナー    12.2%   5位 電車内で騒ぐ   10.8%
6位 ヘッドホーンの音漏れ  8.1%   7位 荷物の持ち方・置き方  7.8%
8位 女性の化粧        5.9%   9位 電車の床に座る      5.7%

車内では「出来るだけ多くの方にご利用いただけるよう、譲り合ってお座りください」などの表示があるにもかかわらず、足を大きく広げたり座席に荷物を置いたりと、その傍若無人ぶりはあきれるばかりです。

ところで「譲り合って」という表現について、「譲る」とは「自らの所有権を人に与える」ことだから、席を譲り合っても座る人の数は同じでなんら変化しないという人がいるそうです。
理屈では確かにその通りですが、これは本来の目的とは違うと言うことになります。
では、どんな表現がよいのでしょうか?
「座ったまま膝で順々に身を送り、座れない人のために席を空けてください」ということになるのでしょうか?

「譲る」は「寄せる」から来たとの語源説があるそうです。
「譲り合う」ことは「寄せ合う」事に他ならず、身体や心を寄せ合えば温もりや思いやりがお互いに伝わるようにしたいものです。

 


野球はなぜ?9回なの?

2008年03月06日 09時36分45秒 | 野球・タイガース

野球は1839年にアメリカのダブルデー少将と言う人が考案したスポーツだそうです。
当時のルールとは大分違っていたようです。

先に21点を取った方が勝ちで四球はありませんでした。
そのためゲームが長くなりすぎて弊害があるので点数先取制からイニング制に移行しました。

その当時アメリカでは12進法が流行っていた影響で3の倍数の中からと思われる9回が選択され、それが定着したようです。
守備数、三振、スリーアウトなど野球には、この3の倍数が基本になっているようです。
ただし、四球は後年に追加されたルールなので、この影響は受けていません。

  
  昨日の島野元コーチの追悼試合で1打席限定のDH4番として、1回2死3塁で左  越え本塁打を放つ金本。


昨日の甲子園球場

2008年03月05日 09時48分06秒 | 野球・タイガース

昨日、甲子園球場に行ってきました。
ただし、外から見るだけですが・・・・・・・

高い塀に囲まれていて、中を窺うことが出来ません。
しかし、新聞などでは、第1期工事はほぼ完成したと報道されていますが、外から見る限りこれで22日の選抜高校野球に間に合うのか心配です。

  


内野席部分をフアウルグランドにせり出す形で拡張され、よりグランドに近くなった。
座席の幅や間隔が広くなり、内野席数は約1万9500から約1万6000に減少します。

第2期工事は、今秋に始まり、アルプス席や外野席の改修、銀傘の架け替えなどが行なわれ、外観などすべての工事は平成22年3月に終了します。

  


続・ひな祭り

2008年03月04日 11時02分40秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日の続きです。
お雛さまが3月3日の行事となっていくのはだいたい江戸時代初期の頃というのを昨日書きました。
元々3月3日は「桃の節句」と言われており、旧暦の3月3日頃が桃の花が咲く時期に当るためで、別の言い方では「上巳」ともいい中国伝来の5節句の一つです。

つまり、1月7日 人日(じんじつ)、3月3日 上巳(じょうし)、 5月5日 端午(たん
     ご)、 7月7日 七夕(ひちせき)、 9月9日 重陽(ちょうよう)

寛永6年(1629年)の3月3日に後水尾天皇の中宮東福門院和子が、娘の興子内親王(後の明正天皇)のために雛遊びを催したという記録があり、記録されている最古のひな祭りとされているそうです。

ひな祭りが3月3日に定着したのは延宝年間(1673~1681年)のころのようです。
この頃から俳句の歳時記に「ひな」が3月3日の言葉として取り上げられるようになったのですが、それより後に出た同種の本では全く触れていないものもありますので、その頃はまだ民間では定着には至ってなかったようです。

   江戸中期の御殿雛

雛人形も初期の頃は非常に簡素なもので多くは立ち雛の形式だったようです。
それが江戸時代中期に入ると立派な飾りつけをするようになり、雛人形も豪華な衣装の座り雛が登場します。
これを寛永雛といわれ、それが享保雛になると大きさも40~60cmくらいの巨大なものも作られるようになりました。

明和・安永年間(1764~1781年)頃は江戸で流行りはじめ、道具が沢山加わり、人形の容貌は写実的で装束は益々複雑になってきました。


ひな祭り

2008年03月03日 10時06分14秒 | 今日は、何の日

源氏物語にも「ひいな遊び」というのが出てきますので、ひな人形というのはかなり古くからあったようです。
でも当時の「ひいな遊び」というのは今で言えばおままごとのようなもので、人形もずいぶんシンプルなものだったようです。

お雛様のもう一つの起源は「流しびな」です。
人間の「ひな型」の紙人形や土人形に諸々の罪・汚れ・病魔などを封じて川に流すもので、初期の頃は単純な形しろであったのが後に顔を描き簡単な服を着たものなどが作られました。

        

お雛様が3月3日の行事となっていくのはだいたい江戸時代の初期の頃だそうです
元々3月3日は上巳(桃の節句)といい、曲水の宴が行なわれとともにお祓いをする習慣があり、これに流し雛が結ぶついて長い間にひな祭りの下地ができてきたようです。

3月3日を「桃の節句」ともいいます。
この頃が桃の花の咲く時期に当るためで、今は梅しか咲いていません。
そこで月遅れで4月3日に行なうところもあります。

中国伝来思想として、梅には魔よけの力があるという考え方があり、この日は禊ぎ祓いの日とも考えられました。
ひなまつりに白酒が出るのは、桃のお酒と合わせて紅白にするためでしょうか?
菱餅の赤い餅はくちなしが含まれていて解毒作用があり、白い部分は血圧降下作用、そして緑の餅のよもぎは造血作用があって、古の健康食品でした。

          

このように一つの行事も長い間に色々と人間の知恵が集まって出来たものなのですが、現代においてその良さが無くなり、華美になってゆくのは寂しいものです。


とらのプレイバック

2008年03月02日 15時07分30秒 | 野球・タイガース

2月のビッグニュースと言えば、イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故、と27年前のロス銃撃事件で三浦和義元社長がサイパンで逮捕されたことでしょう。
そして、中国のギョーザを代表する殺虫剤混入事件の中国側の会見も理解に苦しむ内容でした。

これら、どれをとっても自己保身にやっきになり、自分のことばかり考えているようです。 我々がいくら考えても解決できる問題ではありませんが、もっと政府関係者や当事者が信念をもって当ってほしいものです。

     この絵は1月に描いたものです。
                      季節はずれの向日葵  F6

難しいことを考えるより、今は、プロ野球オープン戦がたけなわとなっており、再開後初めての記事は、虎の23年前(1985年)にプレイバックしてみたいと思います。

1985年は、開幕戦で広島に負け、1勝1敗で甲子園にもどって巨人を向かえての3連戦が、この年21年ぶりの優勝を占った試合だったようです。
巨人に3連勝しますが、その3戦目4月17日、巨人の先発は槙原で7回に追加点を取られて1対3の2点のビハインドのまま、虎のラーキーセブンが始まりました。
ランナー1,2塁でツーアウト、バッターはバース、そのバースがバックスクリーンにぶち込んで4対3と逆転します。
次の掛布も、その次の岡田もバックスクリーンに3連発して、今年のペナントを勝ち取り、日本一への布石となりました。

阪神フアンの伝説であり、誇りであり、これからも1985年に度々プレイバックしたいと思います。


再開します。

2008年03月01日 11時32分41秒 | 独り言・社会・ニュース

1ヶ月の御無沙汰でした。
長いお休みでしたが、本日から再開してゆきたいと思っています。

この1ヶ月の間も沢山の方々が閲覧されており、その方々には厚く御礼申し上げます。
2月の1ヶ月間のアクセス数は4366件、1日平均150.5件もありました。
ちなみに1月の1ヶ月間は10316件、1日平均332.7件でした。

この1ヶ月間、非常に長く感じました。
2月1日に母が亡くなり、告別式のあと、高熱が出て腎盂炎を患い連日点滴を受けていました。
完治後、毎日のペースが狂ってしまい、体調がすぐれず、中々いつものペースが取り戻すことが出来ませんでした。

季節も3月、気分一新して再開してゆきますので、今後もご愛読頂ければ幸甚です。