徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

続・ひな祭り

2008年03月04日 11時02分40秒 | 独り言・社会・ニュース

昨日の続きです。
お雛さまが3月3日の行事となっていくのはだいたい江戸時代初期の頃というのを昨日書きました。
元々3月3日は「桃の節句」と言われており、旧暦の3月3日頃が桃の花が咲く時期に当るためで、別の言い方では「上巳」ともいい中国伝来の5節句の一つです。

つまり、1月7日 人日(じんじつ)、3月3日 上巳(じょうし)、 5月5日 端午(たん
     ご)、 7月7日 七夕(ひちせき)、 9月9日 重陽(ちょうよう)

寛永6年(1629年)の3月3日に後水尾天皇の中宮東福門院和子が、娘の興子内親王(後の明正天皇)のために雛遊びを催したという記録があり、記録されている最古のひな祭りとされているそうです。

ひな祭りが3月3日に定着したのは延宝年間(1673~1681年)のころのようです。
この頃から俳句の歳時記に「ひな」が3月3日の言葉として取り上げられるようになったのですが、それより後に出た同種の本では全く触れていないものもありますので、その頃はまだ民間では定着には至ってなかったようです。

   江戸中期の御殿雛

雛人形も初期の頃は非常に簡素なもので多くは立ち雛の形式だったようです。
それが江戸時代中期に入ると立派な飾りつけをするようになり、雛人形も豪華な衣装の座り雛が登場します。
これを寛永雛といわれ、それが享保雛になると大きさも40~60cmくらいの巨大なものも作られるようになりました。

明和・安永年間(1764~1781年)頃は江戸で流行りはじめ、道具が沢山加わり、人形の容貌は写実的で装束は益々複雑になってきました。