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日本人の宗教感・・・

2007年03月28日 09時39分16秒 | 今日は、何の日

1868年(慶応4年)の今日、明治新政府は、神仏混同を禁止し、寺院と神社を分離するように命じる神仏判然令なるものを出しました。

神仏混同は、元々神道を信仰する一般大衆に仏教を広めるために仏教の末端の伝道師たちが、「神様も仏様も実は同じもの」などと言って進めたのが始まりであると言われています。

八百万(やおよろず)の神様を信仰していた日本人はそこに少々別系統の神様達が加わっても霊験さえあれば比較的容易に受け入れました。

  今日の絵は、”東寺” F6号

日本人にとって「宗教」とは西洋の「eligion」とはかなり異なった性格を持っています
奈良の東大寺の大仏を建造する際、八幡神を信仰する帰化人の一派が技術協力をし、このため八幡神は仏教側から「八幡大菩薩」の号を受け、代わりに八幡神も東大寺の鎮守に入りました。
現在でも東大寺の境内にはいくつかの神社が祭られています。

又弘法大師の時代に東寺のために稲荷山の山の木を切ったところ祟りがあったため、東寺側が稲荷の神にお詫びをし、その後真言宗と稲荷信仰とは一緒に全国に広まったとも言われています。

平安時代の末期頃には、仏教界と神道界も共存のための妥協を行なうようになっていました。
お正月を神道中心にお祭りする代わりにお盆は仏教中心にお祭りするようになり、子供が生まれれば神社にお参りして、人が亡くなった時は坊さんがきてお経をあげるなどといった形で両者は宗教的行事を折半してゆきました。

しかし、昭和になって「国家神道」は仏教側にも深刻な打撃を与えましたが、神道側にも打撃を与えていますが、要は政府が欲しかったのは政府の政策に忠実に成ってくれる国民ですから多様な信仰はむしろ邪魔で、一つの村に神社は一つだけにしたりして、国策として宗教を支配しました。

宗教の自由化は戦後に訪れますが、戦前の忌まわしい思いから宗教的には無関心になりましたが、生活の中には根強く神仏共存習慣として、文化として残っています。


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