10月11日付けの本欄では、東京首都でなくなるということを書きました。
今日は、その東京について、”うんちく”を述べてみようと思います。
近畿地方、特に関西から見た関東は、昔から野蛮で粗野な国柄とされていました。
が、しかし、鎌倉時代以降は、豊臣時代を除いてズーと政治の中心が関東にありました。
東京が江戸と言われていた時代は、日比谷公園あたりが船着場だったし、今の上野の不忍通りや白山通りあたりは、谷のようになっていということだそうです。
品川駅は、海浜であったようです。
江戸時代(1856年・安政3年)の今の品川駅界隈
今の品川駅あたりは、大名・有馬家の下屋敷がありました。
明治時代の品川駅界隈 海岸を埋め立てて品川駅を作ったようです。
品川駅の一等地には、公爵毛利家の屋敷がありました。
現在の品川駅界隈 品川駅は、港区にあります。
伝統的な江戸の食べ物で人気なのは、寿司、蕎麦、うなぎ、天婦羅があります。
特に寿司と天婦羅は国際的にも人気のある日本料理の筆頭格です。
ただ、これらはいずれも下町のファーストフードだということです。
この時代には、大奥料理とか旗本料理などは聞いたことがありません。
つまり、江戸っ子で総称される江戸の庶民のバイタリティの方が、この地方の特色をあらわしているといことでしょう。
宵越しの金を持たないという刹那主義、人情家でおせっかい、物事をあまり深く考えないといったところが、典型的な江戸っ子の気質のようです。
関東大震災のあとには、後藤新平による大都市改造が計画され、反対も多くあり、すべて実現したわけではないが、今日の東京がとも角も近代都市として機能しているのは、彼のお陰なのです。
しかし、戦災復興にあたっては「生き延びることが大事」という当時の安井知事の方針で、大胆な改造が行なわれなかったのが悔いを残しています。
東京は、明治以降は、薩長土肥を筆頭に多くの人が西日本から、戦後は、東北地方から集団就職でやってきた人達が多く、現在の東京は、日本の縮図的な人達の集まりで、江戸の気風も希薄になってきています。
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