旧愚だくさんブログ

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城下町真壁探索

2008年11月02日 | カメ見聞録・レトロな街編

一昨日、茨城県桜川市真壁に行って来た。

かねてから、限りなく天才に近い変人の友人より「真壁は良いらしいよ~」と聞いており、この夏成田に行く道中で真壁を通過した時、ふる~い石造りの店や土蔵を目にして、「真壁!一度は行かねば!」と思っていた。

『真壁は、戦国時代に真壁城の城下町として形成され、江戸時代初期完成を見た。それからは、この地方の商業の中心地として栄え、江戸末期から明治・大正期にかけて沢山の蔵や門が建てられ、それが現在も残っている。』・・・と、観光マップの説明を要約すると、こんな感じ。

確かに古い!そして数が多い!
ではでは、GO !

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↑奉安殿。
街の中心部からちょっと外れた駐車場に車を停めると、近くにこれがあった。
奉安殿とは、戦前戦中にかけて全国の学校に作られた、天皇皇后両陛下の御写真と教育勅語を納めていた建物。
終戦後は殆どが解体撤去されてしまったそうで、これは貴重な戦争遺跡であるらしい。

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↑真壁のシンボリックな建物、旧真壁郵便局。
昭和2年建設。

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↑旧郵便局前の赤ポスト~♪

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↑潮田家住宅。
明治時代。
かつて「関東の三越」とまで言われた豪商屋敷。

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↑村井醸造外観。
長く続く板塀横を歩きながら、塀から見える古い住宅や蔵の連なりを見ているうちに「マジ、平成?」ってな気持ちになって来る。

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↑塚本家住宅。
明治・大正時代。
かつて酒造業を営んでいた旧家。

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↑猪瀬家住宅の薬医門。
明治時代。
大きな旧家揃いのこの街の中で、一際大きく立派なお屋敷。
猪瀬家は、かつて県議や町長を務めて来た家柄だそう。

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↑猪瀬家薬医門の木鼻。
木鼻が二重になっており、下段の木鼻には精巧な彫刻が施されている。

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↑酒屋さん。
指定を受けておらず、散策マップにも載っていないので詳細、分からず。
でも、良いよね~。

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↑橋本旅館。
昭和時代。

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↑とある民家の名もなき蔵。

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↑中村家住宅。
大正時代。

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↑街中にあった薬師堂。
お参りしてから、中をのぞかせてもらうと・・・何と、木彫の薬師如来像&十二神将がお揃いだった。
普通、この手のお堂には石仏が安置されているものなのに、それが木彫像!それも十二神将まで!と、カメ大興奮。

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↑川島書店の見世蔵。
江戸末期。

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↑川島書店見世蔵に飾られていたお雛さま。
この見世蔵は、中に自由に入れ、親切なことにお茶の用意までされていた。
お雛さまの他に、かつて薬屋を営んでいた時の薬弦やガラス瓶、家具も展示され、ちょっとした博物館の様子。

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↑「旅籠ふるかわ」と仲町休憩所。
この「旅籠ふるかわ」は、1日1組限定だそうで・・・。

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↑「旅籠ふるかわ」前に流れる小さな堀。

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↑歩きながら見つけたレトロなゴミ箱。
未だ現役だよ!凄いな~。

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↑上宿の薬師堂。
貞享5年建立。
先の薬師堂と違って、こちらは若干由緒正しき、と言うか。
このお薬師さまは「上宿の薬師様」と呼ばれ、真壁に伝わる民話の中にも登場する。
お参りさせて頂き、中をのぞくと・・・むむ?何やら数体の木彫像が安置されており、「これが民話の薬師さまか!それも日光月光両菩薩を従えて!」と、思わず胸躍ったものの、良く見りゃ何れも阿弥陀如来。
それも、何処からかの寄せ集め的な阿弥陀さまだった。
先の無名の薬師堂の御像の方が素晴らしかったな~。
で、ちょっと前までこの境内で「輪投げ」に興じていたオバチャン達の輪投げセットが、お堂の中に無造作に置かれているのだわ!
どうやらこの薬師堂、レクリエーション用具収納庫として自由に開閉されているらしい。(泣)

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↑「母子健康センター」廃墟。
これは文化財でも何でもなく、正真正銘廃墟。
昭和中期の典型的コンクリ建築で、この辺のテイストに郷愁を感じるね~。
きっと、この建物が現役バリバリだった頃は、カメ母年代の女性が子供(カメ年代)の予防接種や検診に訪れたのだろうな・・。

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↑またまた歩く途中で、こんなのを見つけた。
大八車、長柄杓、消防ホース・・・って、もしやむか~しの消防車?

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↑無指定だけど、かなり味わいのある薬局。

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↑小林商店。
手前が米蔵(明治時代)で、奥が店舗(昭和時代)。
代々米穀店を営んで来、かつては水車を利用して精米を行っていたそう。

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土谷家の土蔵。
江戸末期。
土谷家は、かつて酒造業を営んでいたそう。
なまこ壁の蔵で、単なる意匠としての平坦ななまこ壁が多い中、この蔵はしっかりとなまこ型に盛り上がった壁を四方に有する贅沢な造りをしている。

以上、紹介しないのも含め全部で30軒以上もの住宅・蔵・門などを見て回った。

素晴らしい・・・のだけど、何軒か見て歩くうちに「どれも似たようなものばっか」と、少々飽きてしまった。
それと、街の人が観光客慣れしておらず、そこに多少の不便を感じた。
先ず、車の往来が激しく、通りの反対側からの撮影が難しかったこと、如何にも余所者を見るような目でシゲシゲと見られたこと。
シャッターポイントに軽自動車や自転車が停められ、カメラを構える前を平気で通り過ぎる人も多数。
それと、トイレ数が少ない。
まあ、土地の人にすりゃ「生活の場」なのだから仕方がないとは思うものの、観光客誘致で町おこしを狙うのであれば、もうちょっと観光地たる弁えを持とうよ~、と思ってしまった。
それと、国の登録有形文化財に指定された家屋を持ちながら一般公開や街の観光化に協力的じゃないお宅も結構見受けられ、古い街は古い街なりに抱えるジレンマってものがあるのだろうなぁ・・・などと、余計なことまで考えつつ街を散策していた。

ちなみに、真壁の特産品は「真壁米」ブランドの美味しいお米と、「真壁石」ブランドの御影石で、街中には古くからの醸造業、米穀店、石材店が数多く存在する。

それにしてもさ、戦火にさえ遭わなければ、日本の至る所に真壁や栃木市のような「身近な古都」が残っていたはずなのだよね。
それをバカスカと焼きやがって、言った言葉が「京都・奈良は残してやった」だと、ふざけるな。
自作自演の9.11にあれだけヒステリックになれるのも、一度たりとも自国が戦場になったことがないからであろう。
例の航空幕僚長の投稿文、ちょっとは「うんうん」と頷いた人、多いんじゃないかな・・実際のところ。

・・と、最後のつぶやきはさて置き(笑)、身近な古都散策を楽しんだ一日だった。
明治時代の土蔵も良いが、やはり明治は赤レンガ・・・と、今度は隣県群馬の富岡製糸工場跡や丸山変電所跡を見に行くぞ!