それはかなわなかったのですが、江戸東京博物館で行われていたモース展を見たいと思っていました。モースだけ見てもつまらんし時間もあるから、東京で何を見るかと考えた時、江戸城と皇居というものを今まで見たことがないことに気づきました。江戸城は明治維新の後、天皇家のものとなり天皇家の住まいとなってしまいましたので、一般人が見ることはできない、つまり近寄れないし、天皇フェチの人以外は、つまりあらかじめ申し出るような面倒をいとわない人でなければ中に入れないものと思っていました。ところが、調べてみると、多分そんなことは知ってる人には当たり前なのかもしれませんが、自由に入れる部分もあるんですね。もっとも、江戸城のどこまでを皇居といって天皇家の財産で、どこの部分は単なる国有地なのか知りませんが、国有地の部分に入れるという事でしょうか。このことを考えてみますと、徳川家の末裔の人たちは皇居についてどう思っているんでしょうかね。イスラエルは紀元前の所有にもとづいて、約束の地だといってパレスチナ人を追い出したのですから、皇居などといって一般人を締め出して占有していることに対して、何か特別な感情があるかもしれません。それで、天皇家の皆さんはどこに住んでいるのか、もう少し調べてみると、今更ながら面白いことがわかりました。それは、写真などで3世代同居する大家族の象徴みたいに思っていた天皇家は、全くの核家族であったということです。夫婦と結婚しない子どもで1つ屋根の下に暮らし、結婚すると新しい建物を建てるか、過去に皇族が使っていた建物に引き移る。天皇以外は、赤坂に住んでいるんですね。しかも、敷地が広大だからか家々の交流、飯を食べに行ったりお茶を飲みに行ったり、物を借りに行ったりなんてことはもちろんないですが、一般に考えられるようなおつきあいというものがない(?)みたいですね。これは、面白いことです。象徴天皇制は、家族のモデルを国民に示すという意味もあると思うのですが、天皇家が核家族でありながら、国民には家庭での介護をおしつけ、あたかもそれがこの国の美風であるかのようにいう自民党の皆さんは、天皇家に対して本当は快くは思えないはずですが。
ということで、思いついた問題意識ですが、土地に記憶があるとして、江戸城時代の土地利用の記憶が、宮城=皇居となってから、どのような痕跡となってあるいは底流となって生きているのか、象徴の住む場所を象徴的に分析してみるというのはどうでしょうか。