民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

上村程野の霜月祭

2013-12-16 16:32:36 | 民俗学

12月14日~15日にかけて、旧上村程野の正八幡神社でおこなわれた霜月祭を見に行ってきました。国指定の無形民俗文化財に指定されている霜月祭は、霜月(現在は12月)に長野県南部の遠山谷各地の集落でおこなわれる、湯立神楽のことです。前日から夜を徹して祭りが行われ、中世以来の祭りの姿を今に伝えるものといわれます。
程野の霜月祭は12月14日の昼から次のような手順で進行します。式礼・座揃い・七五三引き・神帳・申上・窯祓い神楽・両大神の湯・両八幡の湯・正八幡の湯・四つ舞・願湯・湯の華・子ども四つ舞・一倉玉善権現の湯・鹿島大神の湯・天照大神の湯・小野之明神・境之明神の湯・四つ舞・舞台祓い・御一門のゆ・襷の舞・羽揃えの舞・寄り湯・鎮めの湯・日月の舞・御座の神・面神・神返し。自分が見始めたのが夕方の6時ころで、終わったのは朝の6時半ころでした。延々と神々に湯を献じて舞を舞い、最後に朝の4時頃、面をつけた神自身が現れて荒々しくエネルギーをまき散らしてクライマックスを迎えて終わるのです。本当に神の出現を待つ間は長く、イライラして待ちきれない群衆は、時々神にだけかける掛け声「ヨーセ、ヨーセ」を舞手にかけてしまったりしますが、「いけね、いけね。こんなこといったら、怒られる」と口をつぐみました。

さて、私は2つのいや3つになるか、とりあげて報告します。まず、以前に書いた学校と祭との関係を、実際の祭りの中で見て考え、自分の考えが浅はかだったかと反省しました。
  

左の写真は、子どもの舞を舞う中学生と高校生です。赤い袴の女子生徒が、祭りを華やいだものにしてくれます。何だかこのときは、観客や拝殿にいるおじいさんたちが、いそいそしているように見えました。このときだけは、前半のクライマックスなので応援してほしいというアナウンスもありました。女子が舞うようになったのは20年ほど前からで、学校でのが後継者育成にやっている学習の発表の場として、そして現実問題として男の子だけで4人を確保できないという事情もあってのことだといいます。なかなかいいことで、時代の風潮にもあっていますから、本舞にも女性をいれたらどうですかと、受付をしている地元の方に話すと、とんでもない、本来は裏方になるのも女人禁制だったのだから、今は組長なんかを女性がしているので炊事場に女性にもはいってもらっているが、女が舞うなんてことはできない、という回答でした。子どもの舞に1回ばかり舞っても、思い出作りに過ぎないと思っていたのですが、真ん中の写真で大人に交じって舞っているのは中学生でした。まだ間違えることも多く、隣で舞う大人の所作を見て指導されながらでしたが、ともかく励まされて舞いきりました。右の写真、大人に交じって笛を吹いているのは高校生です。この子は、かなり長い間笛を吹いたり太鼓を叩いたりして、祭りの本当の構成員として役割を果たしていました。この子たちが、じきに祭りを主体となって支えるようになるのでしょう。また、笛は吹きたければ誰がふいてもよく、中学校にAETとしてきたイギリス人の先生が過去に上手に吹いていたともききました。学校でやっている学びは、実際の祭りで生き続けていました。
次は長老の役割です。神前の畳を敷いてある部屋に、二人の長老とおぼしきおじいさんがストーブを前にして座っていました。禰宜とおぼしき人が、そのおじいさんに「何か見ていて間違ってるとこがあったら、教えてください」と声をかけていました。そして実際に、神に唱えごとをする重要な場面では、じっと座って見ていられなくなったのでしょう、 舞殿におりてきて、後ろから直接指導した。また、境内社(三峰神社・金比羅、秋葉神社・庚申・天伯社)に湯を捧げる儀礼でも、しんしんと冷え込む外をついて回って唱えごとを指導し、自分でも唱えられました。年をとるということが、本当に意味がある、また年寄りはなくてはならないものだと実感させられたのです。
 

 最後に祭の演者と観客の問題です。神楽は、それぞれの神にまず厳粛に湯を捧げた後、湯ごろなのでさあどうぞお湯をお使いくださいと神に勧める。ここでは、舞手ばかりでなく観客も中にはいって、鈴を持ったりして唱和し、神様を喜ばせる。ここの祭は見て楽しむじゃなくて、参加してもらうものだから、さあさあ中に入って」などと誘われました。おそらく、観客といっても村人やその縁者だけだったころは、本当にみんなが湯釜の周りを囲んだことでしょう。
  

以下の写真はクライマックスで現れる、面をつけた神々です。中でも、水王・土王・木王・火王は煮えたぎる湯を釜からはじきとばした後、舞殿をかけて観客にうけとめてもらうというパフォーマンスをくりかえして盛り上がります。地元のひとびとは、このために朝方になるとお宮に集まってきます。昔は舞殿にぎっしり人々が集まったので、子どもは藤弦で編んだ輪を柱の高い場所に結びつけ、それに自分の体を結わえて上にのぼってみたものだといいます。