民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

再開しました

2013-04-04 13:53:57 | Weblog

 長く休んでいたブログを退職を機に再開します。すぐにでも再開したかったのですが、長く休んでいる間にIDなど忘れてしまい、仕方ないので別のサイトを作ったりしながら、2日がかりでようやくここまでたどりつきました。最近は腹立たしいことが多く、先々のことも不安になります。フリーとなったからには、誰にも気を遣わなくてすみますから、言いたいほうだいに書かせてもらいます。

 今回のお題は 原 武史著『団地の空間政治学』NHKBOOKS です。

 これまでに団地はほとんど学問の対象にされてこなかった。私の知る限り、倉石忠彦が民俗学から団地を取り上げたくらいのものであったが、著者によれば、郊外や住居空間の変遷に着目する社会学者、都市政策や住宅政策を専門とする政治学者、都市計画や建築史を専門とする建築学者が、著書の一部で触れてきたという。私は逆に、そんなにも素材として扱ってきた研究者がいたのかと思う。

 何もない所に大きな集合住宅を建設し、見ず知らずの人々によって地域社会が形成される団地は、見方によっては壮大な実験室だといえる。倉石はそこで、どのように日常の暮らしが形成されていくのかに着目し、原は政治意識と行動がどのように生まれていくのかを見ようとした。団地における政治意識とは確かに新しい視点であり、学ぶところも多い。

 著者は多くの具体的団地を取り上げ、その地理的位置、建造物の構造、住人の階層などを分析して、団地ごとの特色を明らかにしている。総じていえるのは、団地が革新勢力の成長をバックアップした場所であったということだ。地縁や血縁のしがらみから逃れた核家族の集合体が団地であった。そんな革新的な人々によって再構成される伝承的な暮らしが、団地の民俗なのだが、住民のもつ政治的指向性は、どこを調査するに際しても民俗学では問題にしてこなかったように、団地でも問題にしていない。しかし、この本を読んでみると、団地は通常に形成された集落とは少し違うのではないかと思えてくる。当然本書では触れられていないが、政治的信条や階層性と日常の暮らし方どのように結びついてくるのかに興味がいく。

 それにしても、大都市周辺の都市では、団地住民の人口が市民の半周近くを占めるというのは驚きだし、画一的な外観や部屋の造りが、「隣人の動向には敏感にならざるを得ない世帯を大量に生み出した」というのもうなずける話である。皮肉なことに、ムラの濃密な人間関係を抜け出した都市住民は、新しく住んだ団地でまた画一化や隣人といった蜘蛛の糸にからめとられているのである。

 最後に、ムラが過疎で苦しんでいるように、団地も高齢化に苦しんでいる。著者は団地再生のいくつかの例を示しているが、それは疑似家族の形成や地域社会の再編成のようである。結局人は集団でしか生きられないということだろうか。だとすれば、民俗学は何をなすべきか。何ができるか。