民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

日報問題の本質とはなにか

2017-08-05 15:07:29 | 政治

内閣改造が発表され、様々な論評がなされ、それぞれが対応して少し政治が落ち着いてきたように思います。内閣改造をしたから政治の理念が変わったのか、引っかかる問題が解決したのかといえば、慇懃無礼ぶりばかり目につき、本質は全く解決されていません。中でも心配なのは、自衛隊の日報問題です。マスコミなどの観点は、稲田防衛大臣は日報が存在することを知りながらないものとし、報告など受けていないで押し通していることです。本当に報告を受けなかったのかに関心が集中していますが、事の本質は違うと思うのです。

戦闘状態の地域に自衛隊を派遣しないということは、憲法の制約上のことであり、武力によっての紛争の解決を図らないという日本の国是です。ところが、この制約のために海外で日本の政治家は肩身の狭い思いをしていると、政治家自身は思っているみたいです。日本は汗を流さない、この場合は血を流さないというべきか。そのため、できるだけ自衛隊に実績作りをさせたい。簡単にいえば、多少危険なところに出向いてでも仕事をさせたいと思っている。ところが憲法に違反するわけにはいかない。そこで、いつのまにか逆の論理がまかり通るようになりました。自衛隊の派遣される所だから、危険ではない。安全な所にしか自衛隊は派遣しないはずなのに、自衛隊を派遣できたのだからそこは安全地域なのだという論理です。そして南スーダンです。戦争状態にはない落ち着いた環境だとして、政府は自衛隊を派遣しました。自衛隊を派遣したからには、安全な所でなければいけません。自衛隊のいる場所で戦争などあってはなりませんが、戦争があってしまったのです。南スーダン派遣部隊の日報の報告は、これでは戦争に巻き込まれる何とかしてくれという、派遣部隊の悲痛な叫びであったはずです。前線から大本営に真実を告げる報告がなされても、大本営はそれを無視し、死守することを求めるといった話は太平洋戦争下でいくつもあった話です。それどころか天皇も、もう少し戦果をあげてから降伏しようと、ありもしない戦力にしがみついて多くの戦死者を出したのでした。最前線の声を聴く耳を持ち、引くべきは引くという覚悟が指揮官には必要です。それを、制服組も文官も無視して前線に置き続けた。幸い誰も戦死しなかったからよかったものの、それは結果論です。問題は前線からの報告を無視したという、この国の自衛隊指揮のありかたなのです。今一番軽んじられていると感じているのは、自衛隊の実戦部隊の隊員でしょう。いよいよとなったら、自分たちは政治家を忖度する上官と、言葉遊びをする政治家に見捨てられるのだとわかってしまったのです。

文民統制とは何かを政治家も、制服組も真剣に考えないと、この国はひどいことになります。