盆が終わりました。父が亡くなって7年ほどになりますが、迎え盆と送り盆をしました。といっても、改めて盆棚を作ることはせず、花を花瓶に備え、盆提灯を飾り、迎え火をたいて墓から迎え送り火をたいて墓へ送るというものでした。松本近辺では、盆にたく火は13日の迎え火と16日の送り火だけです。下伊那などでは、毎日松の根っこの部分を細かく割ったものを、毎日たく所もあります。
我が家では先祖といっても仏様は父だけですので、先祖という抽象的な存在を迎えるという気分ではありませんが、先祖を迎える目印として火をたくのです。盆にたく火の材料ですが、私が子どものころ松本市近在の村では、ムギカラ=右を脱穀したからを燃やしていたと思います。そのうち麦を栽培しなくなると、稲藁を燃やしました。妻の実家の東信でも同じようであったと思います。ところが、自分が子供のころに実際に見たわけではありませんが、旧松本市内では白樺の表皮を燃やします。白樺の木の皮をカンバと呼びます。今は迎え火送り火といえば、旧松本市内ばかりでなく周辺地域までがカンバを燃やしています。実際に燃やしてみると、藁は全部燃やし切るまで時間がかかったり上手に燃やさないと汚く燃え残ったりします。また、燃やした後の灰もたくさん出て、片付けがたいへんです。もっとも、昔は土の上にそのままにしておくと、いつの間にか風でとんで灰はなくなっていました。今はそんなことをしたら、苦情がでると思います。それに対してカンバは本当によく燃えますし、燃えた後の灰も少ないです。火の管理もしやすです。ということで、よく燃えて後の始末も楽だということで、今では藁があってもカンバを購入して大部分の家が利用するようになりました。
カンバについて巻山圭一氏が『松本市史』に面白いことを書いています。
手近に山のないところではどのようにしていたのだろうか。現在ではお盆前になるとほとんどのスーパーマーケットなどで商品としてカンバをあつかうようになっているが、渚一丁目在住のある人によると、南安曇郡奈川村方面からシラカバの皮をもってくる奈川村の業者がいた。卸すところがあって、渚あたりの人はカンバをそこから買っていた。(中略)東山の内田でも、シラカバをマチへもっていって売った人もいたのではないかという。牛伏寺の南あたりのヤマハ、個人の山も区有の山もあるが、シラカバの皮をはぐことについては、どこの山にかぎらずとがめる人はいなかったという。
白樺は春から夏にかけて、自然に皮がはがれるのだそうです。油分が多く黒煙を立てて燃えるほど燃えやすいものです。この川がヤマからマチに運ばれて商品となり、盆に焚かれる。山から来る祖霊を山からもってきたカンバをたいて迎えるというのは、何だか象徴的な気がします。カンバは燃えやすいから、焚き付けとして利用すればよさそうですが、盆に使うほかには使わないのです。というか、使うことを忌んだといってもよいかもしれません。