民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

保坂俊司『インド仏教はなぜ亡んだのか』を読む

2015-09-29 09:24:38 | 読書

自分の実家にプレハブの書庫を建て、蔵書を保管してきました。6畳ほどのものですから本はあふれ、本棚に2段ずつとなって奥には何があるか、背表紙が見えないような状態でした。所詮はプレハブですから、建物の劣化が早くこのままでは重量もありますが、外壁が痛んできたりしてほってはおけませんでした。そこで、妻の実家の選果場、といっても義父が亡くなってぶどう栽培はやめてしまいましたので、かつて選果場にしていた建物があいていましたので、そちらを片づけ、作り付けの本棚を用意して、本の移動を始めました。合間にやる仕事ですので、もう3年目となります。ようやく、ほぼ8割がたの移動が終わりあらたに本を並べました。処分する物は処分したのですが、そのためには最低限書名の確認はします。そうすると、買っただけで読んでなく、興味をひかれる本がでてきます。その1冊が、『インド仏教はなぜ亡んだのか』でした。

長い論文のダイジェスト版といった意味合いの本みたいで、冗長であるくせに舌足らずといった内容でしたが、結論は以下の通りです。

 つまり、インド仏教の衰亡のダイナミズムを簡単に整理すれば以下のようになろう。それは、アショーカ王による仏教の国教化以来本格化した、仏教とヒンドゥー教というインド社会における宗教の対立構図(必ずしも暴力的な意味ではない)の均衡状態が、イスラムという第三勢力の侵入により崩れ、結果として仏教の果たしていた抗ヒンドゥー教という社会的な役割が、イスラムに取って代わられ、インドにおける仏教の政治的な役割が消滅した、という結論である。

 これをもう少し砕いて言うと、ヒンドゥー教という厳しい階層差と差別を前提とした土着宗教に不満をもつ人々が、仏教という殺生を禁じ日常的な厳しい戒律をともなわない普遍宗教に救いを求めて、ヒンドゥー教と仏教とが相互補完的関係にあった所へイスラム教という神の前での平等と日常的な厳しい戒律を旨とする宗教が流入して、仏教徒はヒンドゥーかイスラム教かのどちらかに流れて消滅したというのです。

 宗教も社会体制の反映したものですから、マルクスがいうように生産基盤が上部構造を規定するということを、もう少し現実に即して微視的に述べたものなのかもしれませんが、イスラム国が我々が考えるような単なる恐怖政治によってなりたっているとい先進国ジャーナリズムによって形成された観念では説明しきれない、といった問題も、ここから敷衍されてきます。アメリカの黒人のキリスト教徒がイスラム教に改宗すること(ブラック・ムスリム運動)と、時代は違っていても、西インドやベンガルの仏教徒が、(差別を是認し助長する)ヒンドゥー教への対抗からイスラム教へ改宗したことと同じ現象だというのです。ヨーロッパ在住の若者がイスラム国に引き付けられていくのは、ヨーロッパにおける移民の現状がイスラムの教義に魅力を感じさせているのでしょう。