民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

義理は永遠に続くのか

2015-07-23 18:31:23 | 民俗学

 先日妻の実家の網戸を調えようとホームセンターにいると、親せきの従兄から電話がかかってきました。AさんとBさんが亡くなって今日葬式だがわかっているかという内容でした。父が亡くなり母が施設に入居して、自分の実家は空き家となっていますが、実家の隣近所との義理は続いていることから、知らせてくれたのです。Aさんは庚申講の仲間、Bさんは父が区長をした時の仲間だといいます。この日に葬式に出ることは不可能だったので、Aさんの所へは後からお悔やみに行くこと、Bさんところはやめておく旨を話して礼をいい電話を切りましたが複雑な思いでした。地元に住んでいる訳ではないから、知らなければそれで済ませてしまえるのに、連絡してくれるからややこしいことになる、との思いがわいてくるのです。地元に住み続けている従兄は、世代を超えてどんなことがあってももらった義理は返さなくてはいけないと考えています。しかも記録をきちんとしてあって、同額を返さなくてはいけないと頑なです。ところが、私は世代を超えた義理は必ずしも返さなくてもよいと思っています。つまり、親が受けた義理で全く付き合いが無い人との義理は、ないものとしてよいというふうに考えています。

 電話のあった翌日、施設の母に会いに行くと、真っ先この話になりました。新聞で見たといいます。Aさんについては、お前には連絡がなかったのかといわれました。昔なら庚申講の仲間には何を差し置いてもまず連絡をしたのです。墓穴掘りという大変な仕事がありましたから。とはいえ、地元にいない私にまでしかも今は全く手伝いの仕事などないのに、連絡などくれるだろうか。そんなことを母親にいってみてもわかりませんから、もう講はなくなったかもしれないといいました。それは全く嘘ではありません。おととしだったかの講の物品整理の時、そんな話もあったのです。またBさんについては、父が区長会長をやったときに支えてくれてうんと世話になったし、父が亡くなった時にわざわざお焼香にきてくれたから、何としてもお悔やみにいってくれという。今さらいってみてもと思いつつ、わかりましたと返事をしました。

 Aさん宅に行くとお嫁さんだけいて、6年前に嫁に来て庚申講の方へのお返しの作法がわかりませんがといいつつ、お返しを出してくれたので、自分もわかりませんがといいつつお悔やみを申し上げて線香をあげ、お返し物をいただいて帰った。

 Bさん宅では、亡くなったおじいさんも、連れ合いのあばあさんも施設に入っているが松本と塩尻の別々の施設だといいます。東京に住んでいる娘が喪主をしたが、もう東京へ帰ってしまったといいます。自分は親せきの者であるという男の方が挨拶にでてくれましたので、亡くなった父が区長の時大変お世話になったということですので、お線香をあげさせてくださいとごあいさつしました。もちろん話している相手の方とは初対面ですし、父がお世話になったというのも直接には知りません。Bさん宅では小さく葬式をしたかったが、区長もやっていたから(知らなかったと)会葬に来たい人に失礼になってはいけないから新聞にもだしたといわれました。世話になったから、何としてもその義理は返せという母親の思いを達することはできましたが、相手のご遺族にとって必要なことであったかは大いに疑問です。これからこんな葬式ばかりとなるでしょうが、無駄なことだと思います。

 


道祖神碑を盗む意味

2015-07-23 18:16:42 | 民俗学

 江戸時代の天明(1781~)のころから、昭和の初年にかけて、松本・塩尻・安曇野を中心としながら北安曇・上伊那あたりにかけて、「道祖神盗み」という習俗が行われました。100年~150年ほど流行った習俗です。それは、盗んだ・盗まれたという伝承があったり、再建立に際して盗まれたという事実を新しい道祖神碑に刻んだり、道祖神碑を祀る地域とは異なる地域名が道祖神碑に刻まれていたりなどすることから明らかとなったものです。

 「道祖神盗み」の事実は小幡麻美さんの最近の研究でかなり明らかになりましたし、『長野県の中・南部の石造物』でも、何体も取り上げられています。ただ、盗みの理由について小幡さんは若者の遊びや力較べではないかとされていますが、はっきりした理由は明らかではありません。長野市大岡で見学した石造物の一つに、隠れ道祖神というものがありました。盗んできてほとぼりの冷めるまで、山の中腹においておいたものがそのままになったということで、下から見ても姿が見えない山の中腹に祀られていました。これなら何となくわかりますが、松本近辺では他地区の地域名が彫られた道祖神碑を、堂々と村の中に祀ってあります。罪悪感は皆無なのです。また逆に、今回調べてわかったのですが、同じ村が2度3度と違った村に盗まれているのです。そこに祀られていた道祖神碑はとりわけ御利益があるのでしょうか。私も道祖神盗みについて小論を書きましたが、なぜそんなことをするのか、今も謎だと思います。単なる青年の遊びで、100年以上も習俗として続くものでしょうか。

次々回の長野県民俗の会の例会では、こうした盗まれた・盗んだ道祖神碑をセットとして該当する地区を見て回ろうと計画しています。目的は、道祖神盗みのムラ、地域環境、距離などを体験することで、盗みの本義に迫ろうとするものです。それまで無意味と思われていたトーテミズムがレヴィストロースによって、世界認識の方法だと明らかにされたように、この例会に多くの人が参加して議論し、道祖神碑盗みの隠れた意味が明らかにならないかと夢想しているのです。例会の日取りは9月~10月の休日ということで、まだ定まってはいません