父の墓がある寺(菩提寺などとカッコいいこといいません)では、今年になって冊子のようなものをよく送ってきます。本堂改築のために多額の寄付を強いているため、檀家の不満が噴出しないようにということでしょう。ところが、送ってくるものと言ったら行事案内や護寺会費の振込通知だったり、本山で作った旧態依然としたPR誌だったりの物なのです。全く読む気にならず、即刻資源ごみとなります。いったい自分の寺をどのようなコンセプトで運営しようとしているのか、寺を守る住職としての哲学がまったくわかりません。施餓鬼供養を5000円でするというお知らせと申し込みハガキが来ましたが、申し込みをする気はありません。盆には私が供養すれば十分です。改築の寄付は父が選んで購入した墓地のある寺だから、そして父の残したお金があるからするのであって、自分のお金を出さねばならないとしたら拒否します。お金を拠出する意味を感じられないからです。
調査で世話になった神宮寺から冊子が届きました。こちらは一冊の中に住職の思いがつまっています。住職の高橋さんの個人雑誌といってもよいものです。上野千鶴子なんかも書いていますが。今年の盆の法要では、アウシュビッツについて、研究者を招いた講演と対談をおこなうといいます。「絶対非戦」のために。こちらには気持ちがあればということで一口1万で寄付を募っていました。志に共感しましたから、何かの役に立てばと応じました。寺は人々のためにあるわけで、そうでなかったらつぶれてしまえばいいですし、つぶれると思います。