もしかしたら民俗学の世界にも、一般の人々にはわからない用語(そりゃあるな)や組織の仕組みがあるかもしれませんが、歌壇といわれる世界にはいっぱいある(と歌壇に無知の私には)感じられました。
まず歌壇というものがあります。歌詠みの人々の集合体とでもいえばいいのでしょうか。小説家の集まりを文壇というのと似ていますが、もっと閉鎖的だと思います。多分、歌壇に属していないと評価してもらえません。歌壇に属すとは何かといえば、いずれかの短歌結社に属するということです。この世界の人々は単に『結社』といいますが、秘密結社みたいで何かそこに秘儀が伴うように思われますね。最近の若い人たちは結社に属さないが、それでは伸びない、などと話題になったりします。結社とは、力のある歌人の下にその歌人の詠風(歌のよみぶり)を慕って集まった人々がつくった集団で、定期的不定期的に歌会を開いて互いの歌を批評したり、師匠に批評してもらったり(歌評)します。また、毎月、社友(同じ結社に属する人をこう呼びます)が投稿する詠草(作って書いた短歌をこういいます)を編集して、歌誌を発行します。毎月の会費(社費といいます)は、通常の学会費などに比べれば、かなり高いものです。
普通は複数の結社に属することはありませんが、結社の数はかなり多いですからそこに属する人々の数は、相当数になると思われます。短歌を作って新聞に投稿する人とは別に、毎月発行される歌誌に投稿している人々の世界があるのです。ところが、歌誌は書店にはならばず、社友にだけ配送されるので一般の人の目に触れることはありません。これは学会誌とにていますが、その裾野といいますか属している会員(社友)の数たるや、比較の対象にならないでしょう。まさに秘密結社と呼んでいいもののように思います。
次に歌誌の内容、それはとりもなおさず歌壇で問題とする内容ですが、もちろん一人一人が作った歌の批評が主ですが、小説家と違って歌人が取り上げて書く内容があります。それは、・歌壇史・歌人の評伝・古典の評釈です。小説家が文壇史を書く、あるいは小説家の評伝を好んで取り上げるなんてことはまずありませんね。源氏物語の現代語訳をするなんてことはたまにありますが。いったいこれはなぜでしょうか。畑違いの者でなければこんなことは思わないから、短歌雑誌にこんな話題がでることはありません。素人ながら私が思うのは、短歌は作品のバックヤードが不明なことが多いから、解説本が必要となるのではないでしょうか。とにかく、歌人が好んで過去の歌人の評伝を書くのは不思議です。
次回は最近出版された、歌人による歌人の評伝を取り上げます。