民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

J君に会う1

2015-06-26 21:02:34 | 教育

20数年ぶりの出会いです。いったい何から話したものかと、少しドキドキしていました。ところが、だんだん話してみるとJ君も同じ思いだったようです。2時間ばかりビールを飲みながら、家庭教師をお願いしていたT先生と一緒に話をしたのですが、それはよくできた小説のような話でした。私にもっと文才があればと思うのですが、ともかくありのままに書いてみます。

 勤め先に近い小学校にJ君のお母さんを訪ねたことから、この話が始まったというのは既に書きました。それでも実際に会うまではどんな風貌になっているのか、日本語はどれくらい理解できるのか、幾分かの惧れをいだきながら迎えに行って車に同乗してもらって駅前まで来てもらったT先生と、J君が現れるのを待ちました。駅前では、うまく落ち合えるか心配して来ていたJ君のお母さんとまず会いました。彼は今日はフランス人の奥さんと二人で、上高地の散策に出かけて待ち合わせの時間までに帰ってくるというのです。どこから現れるかわからないままに別の方を見ている間に、二人はお母さんと話していました。風貌は中学生のころと変わりません。後から聞いたところによると、一時すごく太ってしまい、食事制限と運動で17キロもやせたのだそうです。そして、顔つきは随分と柔和な落ち着きをたたえていました。それを自信といってもいいかもしれません。言葉づかいも丁寧です。とても長くアメリカで暮らしているとは思えません。日系企業に勤めているから、日本語は使っているのだそうです。おまけに、後で話してくれたのですが、国語を中心に個人指導をしてもらったT先生に教えてもらって今も覚えているのは、日本語には同じことを伝えるにも幾つもの言い方があるから、それでいいのか考えなさいというもので、今も仕事でレポート書いていていやになったりしたとき、この言い方でいいかどうか、じっくりと考え直すというのです。それで慎重な言葉づかいになったんだなと思いました。

どんな奥さんかなと思っていましたが、質素で落ち着いた人でした。雰囲気は日本人のようなフランス人なのです。フランス人の知り合いなどいないのにおかしな表現ですが、そんな風に感じたということです。「こんにちは」などと、私は間抜けなことをいいました。後で、英語でせめて挨拶くらいはすれば、日本の学校の先生も教養がないなどと思われないのになどと反省しました。

J君はお母さんとはスペイン語で、奥さんとは英語で何か話し奥さんはお母さんと行動するということで、J君と私とT先生の3人は近くの居酒屋へ移動したのです。J君は奥さんの実家をフランスに訪ね、義理のお父さんと英語で話したが、英語で話すのは疲れるからいつになったらフランス語で話してくれるかといわれ、フランス語の勉強を始めたけれど3か月で挫折したといいます。今だってJ君は、スペイン語、英語、日本語が話せるのですから、必要になればきっとフランス語だってじきに話せるのでしょう。