民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

人文科学の軽視と近代の終焉

2015-06-23 12:05:08 | 政治

 先日久しぶりに会った友人と杯を傾けました。酔いがまわって座がうちとけたころ、あなたは窪田空穂についてどう思うかと質問されました。そこで、時流に迎合しないリベラルな歌人だというようなことをいいました。すると、らしくもない、すっかり取り込まれてしまいましたね。空穂は郷土のために何をやってくれたのですか、何もしなかったじゃりませんか。地方で地方人が民俗学することの意義を唱えてきたあなたが、どうしてそんな評価をするのか。といった批判を受けました。確かにそうですが、空穂は明治10年の生まれです。もっとも柳田も同じような世代でありますが。当時の文学者の大きな課題は、家を中心とした封建遺制(なつかしい言葉ですね)と戦いながら、どうやって自我を確立するか、自己実現するかといったことであったはずです。島崎藤村も田山花袋も窪田空穂もそうだと思います。当時のイエ、地域社会は個人に優先する物としてあり続けました。イエを継ぐ、ムラを存続させるためなら個人を犠牲にすることなど何とも思いませんでした。戦前に教育を受けた人々は、しっかりそうした思いを埋め込まれています。93歳になる母と話していていつもうんざりし、声を荒げるのはそうした感覚をあたりまえのこととして口にするときです。世間では全く意味をなさなくなった、イエとかムラとかが頭の中、心の中には強硬に生き続けているのです。父と母が無から獲得し作り上げたイエに私が帰らない、帰らなかったことへの恨みはずっとあるようです。しかし、ムラで生活しようとは自分は思えません。

 もっと政治的意味があるといわれればそうでしょうが、個の確立のために前代の制度を破壊する道具として、あるいは希望としてマルクス主義はあったと思います。今時マルクスなどといえば、何と時代遅れの頭かと言われるでしょうが。大きな歴史を指し示す思考の枠組みを提案できる学問として、マルクス主義はありました。しかし、連合赤軍事件、ソ連の崩壊などでマルクス主義は全く信頼を失い、大きな歴史を唱える枠組みはなくなったきり展望がありません。一方、封建遺制といわれた「イエ」や「ムラ」は、戦わずして崩れてしまいました。戦ったわけではありませんから勝利宣言もなく、気が付いたら無くなってしまっていたといったありさまです。イエがあることが当たり前として育った戦前生まれの庶民と、そんなものに捉われることすら考えられずに育った現代人との間には、埋めようのないギャップがあります。イエやムラは意図して壊したのでなく、知らないうちに無くなってしまっていて、かといって強固な自我も獲得できず、新しい価値観も歴史の枠組みも提案できず、私たちは宙ずりのままでいます。近代は終わってしまったのに、現代が見えないのです。本来は人文科学が何か示さなければいけないのに、何も見せることができないでいるのです。

 そこに人文科学が軽視され、予算を配分しないと政治家に恫喝されたり、一昔前の価値観にオブラートをかけて持ち出してくる胸糞の悪い言葉をはっきり拒否できない原因があるような気がします。母親と話していてどうしてこんなに腹が立つのか、うまく説明できませんが、自分の苛立ちは単にうまくいかない母子関係という個別の問題でなく、説明を困難にしている時代状況があるように思われるのです。