民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

障害のある人の芸術

2014-02-08 11:29:44 | その他

 久しぶりに図書館に行ったら、近刊の本はすぐに借りられてしまうので書架にあることはめずらしいのですが、大江健三郎の最後の小説、ノーベル文学賞受賞後は最後といいながら何冊も本を出していますが、『晩年様式集』をみつけて借りてきました。例によって、最初はなかなかその小説世界に入り込めないので、手元にある大江光のCDを聞きながら読んでいるとき、佐村河内のゴーストライター事件が大々的に報じられています。人々は作品よりも背後の物語を欲し、それに出版社やマスコミがのっかったというような報道がなされ、思いのほかに売れてしまい引っ込みがつかなくなってしまったが、ゴーストライターの罪の意識で明るみに出た、というストーリーですが、多分これも物語の部分を形成していて、真実は違った所にある、例えば報酬をめぐる争いとか、ような気もするのです。それはともかく、今度の事件で障害者の芸術に対する見方に、逆のフィルターがかかりはしないかと心配するのです。そんな思いでいるとき、CD『新しい大江光』のライナーノーツに大江健三郎が、次のように書いているのを発見しました。

 一方で私の個人的な態度としては、光との共生について小説やエッセイを書く場合―こうした障害を持つ子供という話は小説の出来具合を正面から否定できないから、アンフェアだという、どこか底意の見えている批判も受けてきましたが―、また光の音楽自体を社会に向けて発表する場合、息子が知的な障害者であることは私たちの家庭においてむしろ自然なあり方であって、それは特別な条件ではないと、その思いのままなにも隠さないようにしてきました。テレヴィで光の発作シーンを映したのも、そのような流れにおいてでした。知識人として優秀な作曲家の仕事もあれば、光のような知的障害のある人間の仕事もある。それは人間の個性の問題であって、それを認めてもらった上で、光の音楽が受け入れられるかそうでないか、それだけのことだと。

 そうはいっても、「現代のヴェートーヴェン」というキャッチコピーは、大きなインパクトがありました。それをはずし、ゴーストライターの作曲家本人の名前で再び『交響曲広島』と題する曲を本来のテーマで発売したとき、どれほどの評価を受けるのか。それは要するに、受け手の側に音楽を音楽だけで聴く耳があるのかどうかにかかってきます。日展の審査が、ボス審査員のさじ加減でおこなわれたように、高級ホテルの食材が偽装だといわれなければそのまま通用していたり、一般人の目は、耳は、舌は、そんなに確かなものではないのですね。だから難しい。障害があるのに、こんな作品ができると判断するのか。障害がありながら努力する姿はすばらしい。だが作品としてはいまいちだ、といえるかどうか。逆に、障害者の作る作品などどうせ大したものではないと最初から決め付ける、パラリンピックはスポーツとしてみるものではないと決め付けてしまうか。
 本物を見つけられる心を養いたいものです。 


「足尾から来た女」を見る

2014-02-08 09:37:44 | 政治

最近のNHKの報道に対して、素直には受け取れない危うさを感じ、今までのようにBGMとしてNHKラジオをつけないように気をつけている。その後調べてみると、委員に関する次のような報道に腰を抜かしています。

NHK経営委員長谷川三千子・埼玉大名誉教授(67)が、1993年に朝日新聞東京本社(東京・築地)内で拳銃自殺した右翼活動家の野村秋介氏を礼賛する追悼文を発表していたことが2月5日、分かった。

この追悼文の内容が、アナクロリズムの極地、右翼テロリズムを礼賛するようなおぞましいものなのです。妻にいわせれば、憲法を否定する考えを公然と公表するような人物が国立大学の教員をやってきたことは間違っている、のです。そして、そうした人物を公共放送の委員に推す政権のありかたとは、国民をないがしろにする戦前の国体を復活させようとする意図以外の何者でもありません。何としても、民主主義を守らなくてはなりません。そうした観点でいうと、2週間ほど前のNHKのドラマ、「足尾から来た女」前・後は秀逸でした。こういう番組を作れるスタッフは、今回の会長、委員の選出について、危機感とともに苦々しい思いでいるだろうなと思われます。

 ドラマは、足尾の谷中村から田中正造のあっせんで、尾野真千子扮する貧しい娘が福田(景山)英子の家に奉公にいきます。ところが、兄との関係で特高の手先として福田英子の行動を時々報告しなければいけなくなりなり、鉱毒に奪われた故郷との間で悩む、といった骨太な物語です。田中正造の言葉や、故郷を追われる人々に福島の姿が連想され、よくぞ今の時期にこんな物語を作ってくれたと感動しました。尾野真千子の一途な演技、字が読めなければ人間は人の思い通りにされてしまうという悲痛なまでのメッセージにも、共感しました。夜の街でたむろしている中学生に見せてやりたいです。学ぶことがどれだけ大事なことか、国を守ることと人の暮らしをまもることの違いを。