民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

従軍慰安婦問題

2014-02-05 16:51:24 | 歴史

今回のNHK会長の発言、以前の橋下市長の発言の従軍慰安婦に関する共通点は、軍隊に売春はつきものであり日本ばかりの話ではない。その時代にはどこの国にもあって認められていた制度を、今になって日本だけ取り出して糾弾される筋合いはない、というものである。今も合法非合法はあるものの、どこの国にも売春はあるということで、一見もっともな論理のように思われるが果たしてそうだろうか。
ずっと以前に買った千田夏光の『従軍慰安婦』を読み直してみて、いくつかわかったことがある。それは、日本の陸軍の特殊性だが、そこへ行く前に先の二人の発言の前提に意義がある。それは、男という動物は誰でも制御できない性欲を抱えており、道徳や社会規範がかろうじてそれをコントロールしている。だから、戦場のような社会規範が取り払われた場では、性欲は誰もがむき出しになるのだ、という前提である。そういう男もいるだろうが、それは男という生き物に普遍的にいえることではない。平時にも、強姦をする男がいるが男はそういうものだとして、男を誘ったり無防備な女の側に責任があるのだという論理につながる。 戦時にも平時にも、強姦する男がいればしない男もいる。それを、男というものはと一般化するところが、そもそも男性中心論理を露呈している。
 軍隊に売春はつきものだという話である。確かに、血気盛んな多数の男が集まるのが軍隊だから、性のはけぐちが必要になるかもしれない。だから、3ヶ月あるいは6ヶ月での後方での休暇が必要なのだ。ずっと戦場にいたのでは、神経がまいってしまう。ところが、国力の乏しい日本の軍隊は前線と交代で後方へ休暇で帰れることはなかった。中国に派遣されれば、何年も戦場に行きっぱなしで戻れはしなかった。だから、本来後方の民間施設にあるべきものが軍隊に附属となり、前線に慰安所がおかれることとなった。休暇中の後方の民間施設での売春と、前線の軍に附属の施設でのそれとは大きく意味合いが異なる。
 慰安所を作った軍の心配は、兵隊への性病の蔓延だったようだ。内地の売春を商売にしていた女性を連れて行けば、罹患している場合が多く感染を防ぐことが難しく、戦力をそぐことになってしまう。兵隊の相手をしてくれる女性は若いほど、性病のおそれは少なかった。東南アジアでエイズの感染を嫌って、少女売春を求めるのと同じ心理である。国内では兵隊の相手をする若い娘を得るのは難しいから、植民地の朝鮮で罪の意識も感ぜずかり集めたようである。この場合の罪の意識のなさとは、陸軍は食料は現地調達するように考えられており、現地の女性も戦利品と同等の扱いだと考えていたいうことである。だから、日本がアメリカに占領されれば日本軍が中国でしたように、アメリカ軍によって男は殺され女は犯されると恐れたのである。 

 売春施設があったかなかったかではなく、軍隊というシステムの中にそうしたものを置き、しかもそこに朝鮮から強制的に連行した女性を縛り付けたことが間違っていたのである。売春施設があったことがいけないと非難されているのではないのに、あえて論点をずらして皇軍の威信を守ろうというのである。素直に認めて謝罪する以外に、国際社会に認められる道はない。