民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

民俗の文化財指定

2014-01-26 15:49:18 | 民俗学

退職して暇になっただろうとは、誰もが考えていただけるようで、近隣の市の文化財委員となりました。委嘱状がきてから1年近くして、ようやく1回目の会議が行われました。そこでお願いして、指定文化財の一覧表をいただき民俗分野を見ますと、神事のような儀式ばかりで民俗行事が1つもないではありませんか。ですが、行政の方々はそうしたものが民俗だと思われていたようです。確かに指定されるものは体系だっていたり見栄えのよいものが選ばれるのは間違いないのですが、これでは庶民の暮らしの中には何ら保存すべき文化財はないと判断したことになってしまいます。これについては見直しをお願いしたのですが、民俗文化財を指定保存することは一概によいこと、推奨すべきことだともいえないので、事はやっかいです。今の暮らしの総体が民俗だとしたら、それは刻々変わるべきものです、ある時点を切り取って言葉で、写真で記録したとしても、それこそが正当で変化させたら誤りだとはいえません。そこに暮らす人々が暮らしの身の丈に合わせて変えるならば、変えた方が正しいと私は思います。ただし、瀕死の民俗行事で、ここで記録しなければ近いうちに消滅してしまう、たとえば後継者が途絶える、村が消滅するなどといえば、調査時点の流儀がいわば正当だという位置を占めても仕方ありません。そこで、指定することの功罪が問われます。指定のおかげで、もとの形とは異なる、いわば民俗学者の解釈が加わった行事が、あたかも伝統的に行われてきたように受け止められてしまうことがあります。聞き取りに行くと、ちょっとまっとくりといって、報告書のページをくって説明してくれるという事態が生じます。フォークロリズム的に言えば、それもまたよし。指定の後、そうした反応をする地元の人が生じた、あるいはようやく民俗が文化財として一般の人にも認知されたという考察ができるのかもしれません。私は古いのかもしれませんが、習俗に民俗学者が介入することがよいことだとは思えません。そこで、指定することの良しあしに悩みます。ですが、指定しないがゆえに、記録もされずに貴重な人々の暮らしのスタイルが消滅してしまうことは、悲しいと思います。審議委員になった以上、もう少しこうした問題を自分なりに整理しておかなければと思います。