民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

柳宗悦展を見る

2013-06-06 15:03:17 | 民俗学

美術館で開かれている「柳宗悦展」が9日で終了してしまうので、見に行ってきました。柳宗悦はいわずとしれた民藝運動の創始者です。用の美、日用雑器のなかに美を見出した先駆者。そして、植民地だった朝鮮の白磁に美を見出し、朝鮮文化の独自性を唱えた人です。今日見てきてわかりましたが、沖縄やアイヌ文化への関心も高かったようです。そんな柳が柳田とクロスする場面はなかったのか。思うに、2人とも無から有を作り出した、人々が注目しない物に独自の視点をあてていった人ですから、いわば唯我独尊の風を持っていたと思います。だから、自分から接触するのは避けたのではないでしょうか。理念を共有する人々とは話ができるが、独自の理念をもった人とは話ができないということです。

民芸館に収蔵されている日本各地の民具が展示され、それは美しいものでしたし、柳が美しいと言わなければ、美しいと思われなかった道具だったことはよくわかります。柳の審美眼によって切り取られた道具が、表装されあるいは展示棚に置かれることで、美を主張するようになりました。ところが、道具の由来、作者については全く触れられていません。自分としては、どういうシチュエイションの中にそれらの道具は本来あったのか、作者の職人はどういう人なのか、などといった、暮らしの中に道具を置いてみたくなります。柳は、農村から見出した陶器を、自宅の洋風のキッチンにおいて美を愛でました。美を見出してくれたのはうれしいのですが、見出された側としては何か釈然としないものが残ります。それがいいとか悪いとかではありませんが、柳の視点は民俗を文化財資源とみて、現代にいかに利用するかという視点に通じているような気がします。資源としての民具を、工芸の作家たちにも指導しています。松本市が日本民藝協会から高く評価されたのは、批評家ではなく工芸家が民藝運動を推進したからのようです。学問と実用の統合といったらよいか、そうした気風が民藝にはあるということです。ただ、そのためには民具がおかれた実際生活の場からは、一旦切り離す必要があったことは、何だか皮肉のような気がします。