民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

神宮寺の葬儀を見る

2013-06-03 18:10:57 | 民俗学

  

松本市浅間温泉に臨済宗の神宮寺というお寺があります。神仏習合で神宮寺という名前なのでしょうが、廃仏毀釈の激しかった松本によく残ったと思います。寺への参道の入口には、高遠石工、守屋貞治の晩年の傑作の1つといわれるお地蔵さんがいて迎えてくれます。神宮寺の住職、高橋卓志さんは、チェルノブイリ支援・タイのエイズ患者支援など様々な社会活動に携わりながら、神宮寺からの平和や自由への発言や実践を積み重ねてきた方です。私は高橋さんの著書岩波新書『寺よ、変われ』を読んで、葬儀に対する仏教の関わりに抱いていた疑問と危機感に1つの答えをもらった気がしたので、お忙しい中無理をいって過日お話を聞かせてもらいました。その縁で、神宮寺でおこなわれる葬儀の参観に誘っていただき、昨日見てきました。100人いれば100の葬儀があるとの高橋さんの言葉通り、心にしみる葬儀でした。儀式の丁寧な意味の説明で葬儀での寺の行為がやっとわかりましたし、葬儀の中でのピアノの演奏と観音経とのコラボレーションは、初めて聞くものでしたが自然に心にはいってきました。花で作った祭壇もすてきでしたし、高橋さんが作ったホールの照明・音響などの設備にも舌をまきました。葬儀社のホールの上をゆくものです。70歳以上くらの方で、旧来の葬儀のあり方を定番だとイメージする人には違和感を感ずるかもしれません。しかし、団塊の世代以後で、寺との関係、仏教との関係に宿命というか抜き差しならない物を感じない世代にとっては、大変しっくりする葬儀でした。かなうならば、自分もこの寺で葬式をしてもらいたいものだと思いました。現代と葬儀については、また改めて書きます。