浦和レッズを撮り続けて15年。山添敏央さんの写真集「Legend of REDS」が発売された。クラブ創設からの歴史というのは想像以上に大きなもので、どうしても懐かしい思い出みたいな見方になってしまうのだが、写真1枚1枚のクオリティの高さ、そこに込められた想いというのは、本当にすばらしいものである。埼玉スタジアムができたのが2001年ということもあって、その舞台は駒場スタジアムが多いのだが、これがまた良いのだ。その雰囲気はまさに「聖地」の趣。こうして時代の流れと共に写真を追っ行くと、やはり目にとまったのはNO.076の写真。2000年、J2で戦ったシーズンの最終節は、今でも鮮明に思い出すことができる。目の前で見たJ1復帰の瞬間。その試合、まさにその場に居合わせることができた幸せ。
その日は早朝からFCUさんと並んで、ちょうどコーナー前の立ち見自由席での観戦となった。チケットは発売と同時に押えてあったが、まさかここでJ1昇格が決まるとは思いもしなかった。リーグ序盤の独走がウソのように、岡田監督率いる札幌に優勝をさらわれ、2位を確保しなければならない絶対絶命の状況。しかも3位大分が勝ったため、勝利が絶対条件という厳しい中、試合は行われた。かつて、これほどまでに緊張した試合は見たことがなかったし、実はその後も今日に至るまで経験していない。抜けるような青空とは裏腹に、ものすごい重圧が駒場スタジアムを包んでいた。
序盤からスタジアムの雰囲気そのままの試合が進む。試合内容は決してよくない。選手の足が重い。鳥栖も最後の意地でがんばりを見せている。後半開始直後にようやく先制したものの、すぐに追いつかれる。状況は一向に改善の兆しを見せてくれない。そうこうしているうちに室井市衛が退場でPKを与えるというこの試合最大のピンチをむかえる。しかし重圧は鳥栖にもあったのか、このPKは失敗に終わる。ここでまだ運が残っていたとは、この時はとても考えられなかった。また来年もJ2なのか?という思いだけが頭の中を支配していた。そんな不安を抱いたまま90分が終了。結果はVゴール方式の延長戦へと持ち込まれることとなった。
ここでピッチに新しい風が吹いた。控えの岡野雅行がアップを始めたのだ。センターラインを全速力でダッシュするその姿、どこかで見た覚えがあるぞ。そうだ、日本代表がW杯初出場を決めたアジア最終予選の3位決定戦だ。あの時も延長から登場したスーパーサブ岡野がVゴールを決めたのだ。みんなあの時を思い出せ!我々には野人がいるじゃないか。おおよそ極限にまで達していた重圧を、かすかに退けることができたスタンドの住人達は、再び希望の活路を見出した。みんなで力を合わせてどうにかJ2を抜けだそう。
阿部敏之の左足から放たれたボールは、敵の壁に当たって跳ね返された。そこへ歩調を合わせた土橋正樹が、慎重かつ豪快なシュートを蹴ったとき、ボールの軌道がハッキリ見えたのである。浦和レッズを支えてきた人々の気持ちが、ボールをゴールへと運んでいく軌道が。そして、ボールがゆっくりとネットに包まれた瞬間、全ての重圧から解き放たれた。ウオーッ!とかワアーッ!とか、言葉にならない声を上げて、全然知らない周囲の人達みんなと握手をした。それからなぜかピョンピョン飛び跳ねていた。ずーっとずーっと飛び跳ねていた。
ナビスコ杯で初めてタイトルをとった瞬間も、初めてリーグを制覇した瞬間も、スタジアムで見ることができたけど、J1復帰を決めた瞬間ほどの感情の高ぶりはなかった。ただただうれしいだけだった。でも、J1復帰が決まったときは、辛さから開放された安堵の気持ちでいっぱいだった。人の感情というのは、そういうももなんだなあと思った。
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