クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

喜多見不動尊から 野川沿いを歩き 静嘉堂文庫へ

2008年09月28日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★
小田急成城学園前駅→喜多見不動尊→野川→民家園→永安寺→静嘉堂文庫→小田急成城学園前駅(バス)

たまたま雨の一日で満喫とまではいかなかったが、野川の水辺をたどりながら、住宅地の合間にまだ残っている世田谷の自然に触れることの出来る散歩道である。

まずは喜多見不動尊の仏堂を訪れる。
本尊は不動明王で、かつて信者は境内にある湧水による滝で水行を行ったらしい。
野川に沿って涼やかな散歩道を、気持ちよく歩く。
 

しばらく行くと、由緒があるらしい名前の次太夫堀公園にたどり着く。
手入れが行き届いた民家園あり、3軒ほどある古民家の管理人が来客を暖かく迎えてくれる。
 

民家園で休憩した後、少し先にある永安寺を訪れる。
天台宗のお寺で、恵心僧都の作と伝えられる千手観音が本尊として安置されている。
千手観音像は、海老名の龍峰寺にあるものとどう違うのかなど、いろいろ興味が尽きない仏像なので、ご開帳の再は是非見に来たいと思う。
この散歩の終わりに訪れた静嘉堂文庫は、三菱財閥岩崎彌之助(岩崎彌太郎の弟)と岩崎小彌太の親子二代により設立され、およそ20万冊の古典籍と5000点の東洋古美術品を所蔵している。
古い書物や美術品に興味ある人は、一度は訪れたら良いのではないか。


大都会の住宅街でも、江戸時代の農村風景が味わえる面白い散歩道。

鶴間宿~渡辺崋山が通った道を歩く

2008年09月23日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★
小田急鶴間駅→矢倉沢往還→鶴林寺→下鶴間ふるさと館→相州鶴間村宿の碑→観音寺→諏訪神社→小田急鶴間駅(バス)

文人画家、洋学者としても名高い渡辺崋山は、仕えた田原藩の友信公の実母お銀様を訪ねて旅し、その時のことを「游相日記」という書にしたためている。
小園村(現綾瀬市)に住むお銀様を尋ねるくだりなどは、読んでいてじんと胸を打つものがある。
それにつられたのか、つい先日、渡辺崋山が通った相州高座郡鶴間宿を訪れてみた。

鶴間宿(下鶴間宿)を目指し足をすすめると、八王子の滝山城と鎌倉の玉縄城を繋ぐ滝山街道と大山みちのひとつである矢倉沢往還の交差点があり、そこにまだ真新しい石柱が立っている。
少し先に進むと、鶴林寺の下のところに旧鶴間宿の説明板があり、当時の宿の様子などが詳しく書かれている。
 

鶴林寺という浄土宗の立派な寺を訪れる。
この寺のすぐ横には、渡辺崋山が泊ったという旅籠「まんじゅう屋跡」の碑があったのだが、ついうっかり見過ごしてしまった。
すぐ先に「下鶴間ふるさと館」がある。
矢倉沢往還の下鶴間宿に残された宿場町時代の唯一の商家建築である旧小倉家住宅母屋と土蔵が再現されている。
 

昔の鶴間宿の様子を示す絵が飾ってあり、じっと見ているとタイムスリップして昔の旅人になってしまう様な気持ちになる。
少し先に進むと、相州鶴間村宿の碑が道脇にある。
矢倉沢往還の一宿場で、人や馬の継立村として賑わったという。
 

碑のすぐ先の境内に入ると、新田義貞公の鎌倉攻めの像が建っている。
義貞公が1333年(元弘3年)鎌倉幕府の北条氏を討つために、鶴間宿を通ったことに因んだもの。
すぐそばにある観音寺は、武相卯歳観世音第一番札所として名高い。
大きな銀杏の木と左側に立っている観音菩薩の対比が面白い。
最後に訪れた諏訪神社は下鶴間の鎮守で、その立派な建物の佇まいを見ていると、身がきりりと引き締まる。
  

渡辺崋山の身に成りすました気持ちでこの鶴間宿を歩くと、崋山のその時の状況が何となく解るような気がしてくる。
なかなか興味深い体験が味わえる面白い散策路。

とっておきの名盤 その136 ショパン 12の練習曲 作品10 作品25

2008年09月18日 | とっておきの名盤「器楽曲」
 
このCDを聴いた時の驚きは、尋常なものではなかった。
練習曲といっても、この曲集は若き日の輝きに満ちたショパンの天才的なひらめきがあちらこちらに点在している素晴らしいもの。
特に作品10の第3番「別れの曲」や第12番「革命」などは、演奏家の腕次第で一層輝きを増す。
当時グラモフォンレーベルにデビューしたばかりのポリーニが、全身全霊をこめて弾いたこの曲集、その新鮮で鮮やかな響きに満ちた演奏はとにかく素晴らしいものだった。
録音も優秀で、これほど3拍子揃った盤は他には見あたらず、歴史的名盤をあげると必ずその中に加えられる一枚だった。
今聴きなおしても、新鮮なその輝きは変わっていないし、最初に聴いた時の驚きがまざまざと胸に甦る。
とっておきの名盤として外せない一枚。
・マウリツィオ・ポリーニ<P> <Grammophon>

とっておきの名盤 その135 ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調

2008年09月12日 | とっておきの名盤「交響曲」
  
曲の素晴らしさを、持っているCDの枚数で推し量るのも変な話だが、家にあるCDの枚数を数えてみたら一番多いのはブルックナーの8番で50枚ほどある。
次に同じ作曲家の9番と7番、それにプッチーニの「ボエーム」が30枚を超える数で順位を争っている。
これらの曲、何度聴いても飽きないばかりか、聴くほどにその良さがいろいろな形で私の心に伝わってくる。
数ある7番の演奏の中でも一番惹かれるのはベームの盤と並んで、このマタチッチのもの。
彼の懐の深い指揮ぶりはもちろんだが、チェコフィルのいぶし銀のような弦楽器の音色を見事に捉えた録音の素晴らしさは、一層この盤の魅力を私の胸に伝えてくれる。
マタチッチは1899年にクロアチアのスシャークという街に生まれたが、当時はオーストリア帝国領で、彼は最初ウィーン少年合唱団の一員として音楽教育を受けたという。
昔TVで見たマタチッチのごつい表情からは、ちょっと想像も付かない話だが。
この曲のベストファイヴをあげると、
・カール・ベーム指揮、ウィーンフィルハモニ-管弦楽団 <Grammophon>
・ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮、チエコフィルハーモニー管弦楽団 <Supraphon>
・ジュゼッペ・シノーポリ指揮、ドレスデン国立管弦楽団 <Grammophon>
・クルト・マズア指揮、ライプチヒゲバントハウス管弦楽団 <RCA>
・クルト・ザンテルリンク指揮、シュトットガルト放送交響楽団 <Hanssler>

とっておきの名盤  その134 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64

2008年09月07日 | とっておきの名盤「協奏曲」
メンデルスゾーンのこの曲、ベートヴェン、ブラームスのそれと並ぶ3大ヴァイオリン協奏曲の一つとして有名だが、私としてはチャイコフスキーとブルッフのものも加えて、5大協奏曲の中の名品と呼んだ方が性に合う。
出だしを初めとして、全編にわたって魅力的な旋律に終始している曲で、スコットランド交響曲もそうだが、メンデルスゾーンの作品の中では特に好きな曲の一つ。
1920年生まれのルーマニアの名花ローラ・ボベスコは、日本の音楽ファンに特に愛されていたヴァイオリニストだった。
といっても、舞台は退いたがまだ健在のはず。
彼女のヴァイオリンを聴いていると、クライスラーやティボーを思い起こさせる良き時代の美音が心の奥底にじっと伝わってくる。
ただロマンティックな演奏というだけでなく、その中に高雅な気品が常に漂っているのがファンにとってはたまらない。
この盤、一緒に入っているサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリッチオーソ」も絶品といってよいほど素晴らしい。
ヴァイオリンが好きな人には、特に聴いて欲しい一枚。
この曲のベスト・スリーをあげると、
・ローラ・ボベスコ<Vn>、エドガール・ドヌー指揮、ベルギー国立放送新交響楽団 <PHILIPS>
・ナージャ・サレルノ=ソネンバーク<Vn>、ジェラード・シュウォーツ指揮、ニューヨーク室内交響楽団 <EMI>
・なし

「古事記」

2008年09月02日 | 読書中
   
このビギナーズクラシックシリーズの「古事記」(角川文庫)は、解り易くて面白い。
著者は、武田友宏氏(現在、國學院大學文学部日本文学科講師)。
現代訳の後に原文の書き下し文が載っていて、そのまま読んでいくと内容が良くわかると同時に、原文の雰囲気も味わえる親切な構成になっている。
終わりには面白い資料も載っていて、初めから終わりまで気軽に読み通せる。
ところどころに挿入されているコラムには、結構興味を引く文章が載っている。
古代の日本では、「八」は最高の神聖数だったらしい。
「古事記」を読んでいると、かなりの数の八に関する言葉が出てくる。
大八島、八百万(やおよろず)、八千矛、八雲立つ、八重垣、八咫烏(やたがらす)、八尺鏡(やたかがみ)などなど・・・。
中国人も縁起の良い数字の「八」が好きらしく、北京オリンピックの開会式が2008年、8月8日、午後8時にスタートしたのも面白い。
 日本武尊の東征の際、走水の海(浦賀水道)を渡る段で、荒海を鎮めようと「弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)」が入水するが、七日の後に御櫛が海辺に流れ着くという文章のところなど、読んでいるとぐっと胸をしめつけられる思いがする。
 その書き下し文をそのまま載せてみる。
 其(そこ)より入り幸(い)でまして、走水海(はしりみずのうみ)を渡ります時に、其の渡神(わたりのかみ)浪を興(た)てて、船(みふね)を廻(もとほ)して、え進み渡りまさざりき。
 爾(ここ)に其の后名は弟橘比売命の白(まを)したまはく、「妾(やつこ)、御子に易(か)はりて海に入らむ、御子には遺(つか)はさえし政(まつりごと)遂げて、覆(かへりごと)奏(まを)したまはね。」とまをして、海に入らむとする時に、菅畳八重、皮畳八重、きぬ畳八重を波の上に敷きて、其の上に下り坐(ま)しき。
 是(ここ)に其の暴(あら)き浪自(おのづ)から伏(な)ぎて御船え進みき、爾に其の后の歌日(よ)みしたまいく、

  さねさし
  相模の小野に
  燃ゆる火の
  火中に立ちて
  問ひし君はも

 故(かれ)七日(なぬか)の後に、其の后の御櫛(みくし)海辺に依りき。
 乃(すなは)ち其の櫛を取りて、御陵(みはか)を作りて治(おさ)め置きき。