クラシック 名盤探訪

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ドイツ13日間作曲家の足跡を訪ねて(前編)

2010年09月18日 | 歴史・旅(海外)
コース順路:コース満足度★★★★★ 8月19日~31日
フランクフルト空港 → リューデスハイム → コブレンツ → ボン → ハイデルベルク → ミュンヘン → オーバーアマガウ → フユッセン → ザルツブルク → ニュルンベルク → バイロイト → ドレスデン → ライプチヒ → アイゼナハ → フランクフルト空港

前から行きたいと思っていたドイツ旅行がやっと実現、好きな作曲家をたくさん輩出している国なのでタイトルも「ドイツ13日間作曲家の足跡を訪ねて」という願いをこめたような旅となった。
飛行機に乗っている前後の2日間を除くと、11日間に13の都市を訪問という欲張った旅程、挨拶以外はドイツ語は無理そうなので、かたことの英語でどこまで通用するのかと思いつつも、期待に胸を弾ませて旅をスタート。
ドイツの列車の旅は、ジャーマン・レイルパスがお得ということで、これを利用して最初の訪問地リューデスハイムへと向かう。
ホテル「ズム・グリュネン・グランツ」は、お菓子の家のような造りがとても可愛らしい。
個人経営の良さで、一家がシャンペンで迎えてくれたのにはびっくりというか、嬉しい気持ちでいっぱい。
遅くの到着だったので、残念ながらラインワインと「つぐみ横丁」で有名なこの街の散策は断念、翌朝一番で「ライン川下り」をと、KDライン観光船に乗船する。
 

ラインの語源はケルト語にあって「流れ」という意味、この川はドナウ川と共にローマ帝国最北の国境の大部分を形成したという。
高台に1870年から71年までフランスとプロイセンの間で起こったいわゆる普仏戦争の勝利を記念して建造されたニーダーワルド記念碑が見える。
バッハラハというワイン祭りで有名な小さな街の丘の中腹には、シュターレック城がそびえている。
 

カウプの街のライン川の中州には、通行税徴収のために造られたプファルツ城が建っている。
荒々しいローレライの岸壁は「妖精の岩」という意味でハイネの詩にも詠われており、ここを旅してきた船人が美しい黄金色の髪の乙女に魅せられて、舵を取り損ねて命を落とすという伝説の舞台となっている。
 

ローレライを後にして船は先に進むと、左手には14世紀に造られたラインフェルス城が見える。
 

マウス城は、すぐ上流のねこ城の主が「ねずみ」とあざけって呼んだことからきているという。
マルクスブルク城は中部ライン川地域で唯一破壊を免れた城で、中世の姿を完全に残している名城として知られている。
 

ライン川とモーゼル川が合流する地点に位置するコブレンツで観光船を降りる。
コブレンツの街をしりめに、べートーヴェン生誕の地ボンへ列車で移動する。
かつての西ドイツの首都ボン、私にとってはベートーヴェンの街というイメージの方が大きい。
ミュンスター広場には、楽譜を片手にペンを持つベートーヴェンの像が立っている。
ベートーヴェンはこの家の一室で生まれ、22歳でウィーンに活動の場を移すまで住んでいたという「ベートーヴェンの家」を訪れる。
内部は記念館になっていて、彼自身が使用した楽器、直筆の楽譜、補聴器、家具などが展示されている。
生誕の部屋に興味深い思いで入ってみたが、大理石の胸像だけが置かれているのには驚かされた。
  

翌日は一路ボンからハイデルベルクへ。
この街にはゲーテやヘルダーリーン、ショパンといった多くの詩人や芸術家が訪れ、この街を称える作品を生み出している。
まずは旧市街のメーンストリート、ハウプト通りを歩く。
この街を治めたプファルツ選帝侯の博物館を見学する。
15~18世紀の美術品(肖像画が多いのには驚く)を中心に展示されており、当時の王侯貴族の生活をよく知ることができる。
 

マルクト広場には多くの観光客が集まり、これから訪れるすぐ上のハイデルベルク城を見上げている。
 

ケーブルカーの利用はやめて城までの坂道を15分ほど歩く。
城の中庭で一休み、城からのハイデルベルク旧市街の眺めが素晴らしい。
 

対岸からハイデルベルクの古い街並みを眺めてみようと、橋を渡ってシュランゲン小道と呼ばれる急な坂道を上る。
前日までの疲れがどっと出たのか、やっとの思いで「哲学者の道」と呼ばれる森の通りに出る。
苦労の甲斐があってか哲学者の道からの旧市街の眺めは、ため息が出るほどの美しさだ。
 

次の目的地はミュンヘン、翌朝地下鉄に乗ってオデオン広場へ降り立つと、突然目の前に大きな教会が現れたのにはびっくり。
テアティーナー教会を見上げた後、すぐ横にある将軍堂を眺める。
ミュンヘンで英雄とされる将軍の像だという。
すぐ近くのレジデンツを訪れる。
バイエルン王朝の王家ヴィッテルスバッハ家の宮殿で、今は博物館になっている。
  

レジデンツ博物館の内部は数々の豪華な部屋や広間が続くが、特に豪華な円天井が印象的なアンティクヴァリウムというホールには目が釘付けになってしまう。
アーネンガレリエと呼ばれるホールの豪華な造りにも目を奪われたが、ギリシャ神話で有名なメドゥサの首を持つ英雄ペルセウスの像も印象に残る。
  

ミュンヘンでぜひ訪れたいと思っていたバイエルン州立歌劇場の堂々たる姿に感心、公演されるオペラの演目のポスターが並んでいたが、聴きたい曲目がたくさん載っているのにはうらやましい限り。
結婚式を挙げた花嫁が記念に写真を撮っているのか、たまたま居合わせたのが良い機会と、パチリと写真を撮らせてもらった。
 

マリエン広場にある新市庁舎は、ドイツ最大の仕掛け時計グロッケンシュピールが有名で12時に動き出す。
等身大の32体の人形が1568年のバイエルン大公結婚式を祝うもので、騎士が馬上槍試合をしたり、ビール樽を作る職人たちが踊るものだが、たくさんの観光客が面白そうに見上げている。
街角で素人にしてはとても達者な演奏を聴かせてくれる人たち、街を歩いている人々も集まって一緒に楽しんでいる。
  

駅前から毎日のように出発する人気の「ノイシュヴァンシュタイン城とリンダーホーフ城へ行く1日観光」のバスに参加する。
日本の個人ツアーの人たちもたくさんやって来て、出発前に日本語が飛び交うのが面白い。
アルプスに近いオーバーアマガウとフユッセンの街を目指してバスは出発。
私の好きな作曲家、R.ワーグナーのオペラに魅せられたバイエルン国王ルートヴィヒ2世が建てた城、そのおとぎ話に出てくるような造りの美しさで有名な城を見れると思うと期待で胸が高鳴る。
まずは訪れる予定の最初の城、リンダーホーフ城へ到着する。
  

1874~1878年に造られたロココ様式のリンダーホーフ城、その前にある庭園と噴水の眺めがとても良い。
ワーグナーの「タンホイザー」第一幕の舞台となるヴィーナスの洞窟は、ルートヴィヒ2世が舞台に寄せていた幻想的な想いを偲ばせるものだったが、撮影禁止で写真が撮れなかったのが残念。
 

バスが休憩したオーバーアマガウという村は、キリスト受難劇が有名でこれを見るだけのために来る日本人もいるという。
ホーエンシュヴァンガウ城は、ルートヴィヒ2世の父、マクシミリアン2世が12世紀に築かれて荒れ果てていた城を再建し夏の狩りの城としたところだが、彼と弟オットーはここで幸せな子供時代を過ごしている。
 

17年の歳月と巨大な費用をかけて造られた白亜の美しい城、ノイシュヴァンシュタイン城を見ていると、ルートヴィヒ2世が妃をめとらず孤独と狂気に満ちた生涯を送ったこと、そして城に幽閉された翌朝シュタルンベルク湖で謎の死をとげたことなどが浮かんできて胸の中を駆け巡る。
ワーグナーの擁護者として、異常なまでに彼のオペラに取りつかれた王は、「ローエングリン」、「パルシファル」など数多くのオペラの場面を場内の壁画に描かせていて、見ているとその場面の音楽が胸の中にふっと浮かび上がってくる。
国の財政を傾けた城が、今やバイエルン随一の観光収入源として光り輝いているのが何とも皮肉。
城からの眺めは、本当に絵に描いたように美しい。
 

ミュンヘンからザルツブルクまでは1時間半の距離、モーツアルトの生誕地に行けると思うだけで嬉しい気持ちに駆られてしまう。
最初に訪れたミラベル宮殿は、ホーエンザルツブルク城をバックに旧市街を見渡せる絶好の場所にある庭園だけあって、多くの観光客がひっきりなしに訪れている。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場する美しい眺めの宮殿だが、高校卒業の頃にこの映画を見たせいかどんな場面だったのか思い出せないでいる。
少し先のザルツァッハ川に架かっている橋まで行くと、思わぬことに川沿いにカラヤンの生家を発見、玄関の前だと思うが指揮をしているカラヤンの像があって生前の活躍ぶりが目の中に浮かんでくる。
 

モーツアルトの生家は、1756年に生まれてから7歳まで過ごした家。
彼が最初に使った楽器類をはじめ自筆の楽譜や少年時代の肖像画などが展示されている。
好きな作曲家だけに興味の尽きないひと時を過ごしたが、写真が撮れなかったのが何とも残念。
中央にある高さ15mのレジデンツの泉、ザルツブルク大聖堂、そしてレジデンツ(大司教の館)など、見どころの多いレジデンツ広場には多くの観光客が集まっている。
  

疲れていたせいもあって、ケーブルカーを利用してホーエンザルツブルク城にたどり着く。
説明書を見ると、この城は「・・・神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間に起こった叙任権闘争の際、教皇派のザルツブルク大司教ゲープハルト1世が1077年に築いた要塞に始まる・・・」とある。
そんな城から、城主になったような気分でザルツブルク市街を眺めてみる。
統治する人々が住む街並み、そして周りの風景が重みをもって自分の目の中に入ってくる。
眺めているうちに、責任ある立場にいる城主の気持ちが何となく理解できるような気がしてきた。
  

この曲この一枚 その16 J.S.バッハ 音楽の捧げもの BWV1079

2010年09月07日 | この曲この一枚
 
 

クルト・レーデル指揮のこの盤、ちょっと聴くと地味な演奏と捉えがちだが、なかなかどうしてそんな一口では片づけられない深さがある。
指揮者では珍しくフルートの名手でもあったレーデルは、1918年ドイツのブレスラウで生まれている。
1953年に”ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団”を組織して演奏活動を広げ、多くの録音を残しているが、バッハに関するものが何と言っても魅力的。
抽象的な表現になってしまうが、南ドイツ風のおおらかで柔軟な美しさと古典的なスタイルの中に、あたたかい情感を漂わせる奥深い演奏を繰り広げてくれる。
バッハの曲は、とにかく何度聴いても飽きが来ないのが不思議、長年教会の音楽の仕事に携わったからだけではないとは思うが、その信仰心のなせる業は本当に素晴らしいものがある。
今回、ブログの更新をしばらく休んで、「ドイツ13日間作曲家の足跡を訪ねて」と自分で勝手に名付けた個人旅行を敢行したが、その中でバッハゆかりの地であるアイゼナハ、ライプチヒを訪ねることができたのが嬉しい。
この盤のジャケットの像が、バッハ生誕の地であるアイゼナハのバッハの家(博物館)の前にある像だということも判明。
バッハが洗礼を受けた聖ゲオルク教会もいまだに健在で、地元の人々の多くの信仰を集めている。
アマチュアのフルーティスト、作曲家でもあったプロイセンのフリードリヒ大王(1712-86)に献呈された「音楽の捧げもの」、バッハが作品に添えた献辞をみてもその篤実な精神性が伺われる。
解説書から引用すると、「_み恵み深い君主に_心から添しく、陛下に音楽の捧げものをさせていただきます。
その中の特に高貴な部分は、陛下がみずからお作りになりました。
畏れと喜びを持って、私は陛下の仁悲を思い浮かべます。
陛下は私が先日ポツダムに滞在の折、ご自身でフーガのための主題を鍵盤で弾いてお示しになり、それを陛下の目の前でフーガにして演奏するように、私にお求めになりました。
私はつつしんで陛下の命に従いました。
しかし準備不足のため、立派な主題にふさわしい演奏ができないことにすぐ気付きました。
そこで、まさに王者の威厳にふさわしい主題をさらに完全に仕上げ、他に知らしめようと意を固め、努力しました。(以下略)
陛下へ ライプチヒ市にて 1747年7月7日 心から忠実なる僕 作者」
この曲この1枚として、ぜひ聴いていただきたいこの盤、心が洗われる思いがするのは私だけではないと思う。
・クルト・レーデル指揮、ミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団 <ERATO>