クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

秩父三十四札所巡り その1

2009年03月28日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★ 3月2日~5日
秩父駅(秩父鉄道線)→秩父神社→西光寺(16番)→童子堂(22番)→観音寺(21番)→岩之上堂(20番)→龍石寺(19番)→宗福寺→大野原駅(秩父鉄道線)

秩父三十四札所、一巡すると約90キロ、歩いて四泊五日の道のりという。
札所巡りが盛んになるのは、春の彼岸を過ぎてかららしいが、思い立つと居ても立ってもいられなくなる性格なのか、寺の梅も綺麗だろうと勝手に決めつけ、早々と三月初旬に秩父の地に足を踏み入れる。
二泊三日の旅だったが、全部歩きなので巡ることの出来たのは、半分程の18札所だった。

購入した「秩父観音巡礼」という本を紐解くと次のような文章が載っている。
「崇神天皇の頃、知々夫国として開かれ、知々夫産命が来任し、国の総鎮守として知々夫神社が祀られたことに始まる。
後に”知々夫”は”秩父”に改められ、武蔵国の一部になった。
そして山岳信仰が盛んになると、山伏達によって周囲の山々は開かれ、その後に禅文化が浸透し禅寺が建てられ、その影響で勇壮な秩父武士が輩出する。
戦国時代には武田信玄が乱入し多くの遺産を失うが、そこからこの地方独特の文化が生まれ出てくる。
秩父に観音の札所が設立されたのはこの時代からさほど遡らない頃といえよう。」

まずはこの地の総鎮守である秩父神社を訪れ、旅の無事をお願いする。
秩父といえば、秩父夜祭が有名で毎年12月1日から3日まで例大祭が行われる。
古く妙見祭といわれ、柞(ははそ)の森にいます妙見様が、武甲山の男神と神婚のため御旅所におもむく神幸行列なのだという。
 

暴れ龍を鎮めようと、彫り物の龍を鎖でつなぎとめたとの言い伝えがある左甚五郎作「つなぎの龍」の彫刻、良く見ると龍が本当に鎖につながれている。
写真右の虎の彫刻だが、寅の年、寅の日、寅の刻生まれの徳川家康公の威厳とご祭神を守護する神使として、これも左甚五郎が彫刻したものらしい。
 

最初に訪れた札所は、第16番西光寺、本尊は千手観世音像。
境内には、四国88ヶ所霊場の本尊を写して並べている回廊や、巨大な酒樽に屋根をつけた大黒堂などがあり、訪れる人々に癒しの時間を与えてくれる。
それぞれの札所にはご詠歌があるので、それを口ずさんでみると、何か札所ごとに特別の風情を感じる。
西光寺 誓いを人に 尋ぬれば ついの住家は 西とこそ聞け
 

次に訪れた札所は、第22番童子堂、本尊は聖観世音像。
参道入り口には童顔をした地蔵尊がひっそりと佇んでおり、少し歩きつかれた巡礼者達をやさしく迎えてくれる。
少し進むと仁王門が待ち構えているが、左右の格子の中に安置されている仁王像は童子堂の名にふさわしいユーモラスな表情をしている。
お参りを済ますと、軒先でお茶とおいしい梅干をご馳走になる。
極楽を ここに見つけて 童う堂 後の世までも たのもしきかな
  

第21番観音寺を訪れる、本尊は聖観世音像。
この寺は、火難に対して霊験あるところから、「火除けの観音様」とも呼ばれているという。
梓弓 いる矢の堂に 詣で来て 願ひし法に あたる嬉しさ
第20番岩之上堂は荒川を前にした崖の上にある、本尊は聖観世音像。
参道の両側は、ショカッサイ(大根の花)が少しずつ咲き始めている。
観音堂は札所の中でも最古の建物といわれている。
苔むしろ しきてもとまれ 岩の上 玉のうてなも 朽ちはつる身を
 

次に訪れたのは第19番龍石寺、本尊は千手観音像。
寺自体が巨大な水成岩の上に立っており、起伏のある岩の割れ目からは松の老木が生えている。
天地を 動かす程の 龍石寺 詣でる人には 利生あるべし
この日の最後に訪れた宗福寺という曹洞宗の寺、札所ではないが境内のいたるところに蛙の像が置かれている。
写真は六地蔵ならぬ六蛙蔵で、なんともユーモラスな雰囲気を醸し出している。
 

巡礼姿で詣でたわけではないので、どれだけご利益があったか疑問が残るが、ともかく一日目の札所巡りは無事終了。
秩父三十四札所巡り その3
秩父三十四札所巡り その2

韓国歴史ドラマ、気になる話 その3

2009年03月19日 | 歴史・気になる話
韓国歴史ドラマの紹介、制作年度順に4回に分けての掲載だが、今回はその第2回目。
今回の中では、NHKでも放送された「チャングムの誓い」がやはり一番面白い。

11.大望:朝鮮王朝後期 <監督:キム・ジョンハク> <主要キャスト:チャン・ヒョク、ハン・ジェソク、チョ・ヒョンジェ、ソン・イェジン> 2002年全26話 <私的評価:★★>
兄弟間の政争を縦軸としながら、ワイヤーアクションやラヴロマンスをふんだんに繰り広げる。
歴史ドラマというより、時代物のアクションドラマに近いかも知れない。
 

12.太陽人(イ・ジェマ):朝鮮王朝後期 <監督:コ・ヨンタク> <主要キャスト:チェ・スジョン、イム・ホ、ユ・ホジョン、キム・ユミ> 2002年全30話 <私的評価:★★>
韓国医学の父とも呼ばれるイ・ジェマの波乱万丈の生涯を描いている。
医師ホ・ジュンが執筆した「東医宝鑑」をもとに四像医学(人は体質によって四つに分けられ、病気になった時には、その人の体質まで念頭において治療しなければならないという概念)を確立させた偉人だという。
チェ・スジョンが好きな人は、それだけでも見るべき。
 

13.張禧嬪(チャン・ヒビン):朝鮮王朝後期 <監督:イ・ヨングク&ハン・チョルギョン> <主要キャスト:キム・ヘス、パク・ソニョン、パク・イェジン> 2002年全100話 <私的評価 :★★★>
韓国歴史ドラマ、気になる話 その1

14.帝国の朝:高麗王朝初期 <監督:チョン・ソンホン&イ・ウォンイック><主要キャスト:キム・サンジュン、チェ・ジェソン、チョン・ヘジン、ホン・リナ> 2002年全94話 <私的評価 :★★★>
太祖・王建に続き高麗帝国の礎石を築いた君主であり、高麗の第4代王であった光宗の英雄的一代記を描いている。
平壌や白頭山など、高麗の主要舞台である北朝鮮で撮影し、南北ドラマ交流の幕明けとなるなど、多くの話題をさらったドラマらしい。
 

15.チェオクの剣:朝鮮王朝中期 <監督:イ・ジェギュ> <主要キャスト:ハ・ジュォン、イ・ソジン、キム・ミンジュン> 2003年全14話 <私的評価:★>
己の正義を貫いた男女の悲しき運命というのが、タイトル・ストーリーとなっている。
時代劇の概念を変えた「フュージョン時代劇」というのが売りらしいが、昭和30年代の古き良き時代を懐かしむ私にとっては、いまいちイメージが合わない。
 

16.千年の愛:新羅王朝後期 <監督:イ・グァニ> <主要キャスト:ソ・ジソプ、キム・ナムジン、ソン・ユリ> 2003年全20話 <私的評価:★>
時空を超えたファンタジー・ラブストーリー「千年の愛」、1400年後にタイムスリップしてしまった百済の王女と現代の若者との宿命の恋を描いている。
最近人気急上昇のソ・ジソプファンには見逃せないドラマ。
 

17.王の女:朝鮮王朝中期 <監督:キム・ジェヒョン&チョン・ヒョ> <主要キャスト:パク・ソニョン、チソン、キム・イソク、イム・ドンジン> 2003~4年全42話 <私的評価:★★>
王朝を守る男達と、影で歴史を動かす女たち、韓国歴史ドラマ得意の宮中劇。
チソンの時代劇初挑戦や、パク・ソニョンの入浴シーンが話題の中心になったらしい。
 

18.チャングムの誓い:朝鮮王朝中期 <監督:イ・ビョンフン> <主要キャスト:イ・ヨンエ、ホン・リナ、キョン・ミリ、チ・ジニ、イム・ホ> 2003~4年全54話 <私的評価:★★★★★>
韓国歴史ドラマ、気になる話 その1

19.土地:日帝時代 <監督:イ・ジョンハン> <主要キャスト:キム・ヒョンジュ、ユ・ジュンサン、キム・ユソク、キム・ヨジン> 2004年全52話 <私的評価:未見>
韓国で知らない人はいないといわれる歴史小説「土地」、その原作をベースに忠実に制作したドラマだという。
激動の時代を生きる一人の女性の物語、ぜひ見たいと思っている時代ドラマの一つ。
 

20.張吉山(チャン・ギルサン):朝鮮王朝中期 <監督:チャン・ヒョンイル&パク・キョンニョル> <主要キャスト:ユ・オソン、ハン・ゴウン、キム・ヨンホ、チェ・ジェソン> 2004年全50話 <私的評価:未見>
裕福な者から盗んだ金品を民衆に分け与える”義賊”張吉山を中心に、歴史の中に埋もれがちな民衆の生活を前面に出した作品。
日本で言うと、石川五右衛門とか鼠小僧次郎吉の話?
 

韓国歴史ドラマ、気になる話 その6
韓国歴史ドラマ、気になる話 その5
韓国歴史ドラマ、気になる話 その4
韓国歴史ドラマ、気になる話 その2
韓国歴史ドラマ、気になる話 その1

とっておきの名盤 その146 ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83

2009年03月14日 | とっておきの名盤「協奏曲」
  
バックハウス、ベーム、そしてウィーンフィル、私などはこの組み合わせを見ただけで何かいつもとは違う心の高まりを覚えてしまう。
少しでも音楽を親しむ人なら、これから始まるに違いない”三者の真摯な魂のやり取り、そしてそれらが綾なすいぶし銀の音の響き”に期待の胸を膨らませるはず。
気持ちを高めた後、この盤をプレーヤーに置き、そっとスタートボタンを押す。
しばらくすると、やわらかいホルンが何かを呼びかけるように音を響かせる。
そして何気ないというような風情でピアノが答えを返す。
この出だしの音楽が醸し出す夢のような雰囲気をどう表現したらよいのだろう。
なんという渋いロマンティシズムの響き、これぞブラームスが心に描いた音の響きなのだろう。
バックハウスは、この録音から二年後に八十四歳の生涯を閉じたのだが、ブラームス特有の”人生の侘び寂を極めた調べ”をこれほど見事に表現してくれたことに感謝の気持ちで一杯になる。
この曲は、バックハウスが十九歳の時にデビューを飾った思い出の作品でもあり、その思い入れが入った味の深い演奏には、誰もがなるほどとうなずくのは当然のことといえる。
ベーム、そしてウィーンフィルのサポートも素晴らしいし、私がこの盤をとっておきの名盤に挙げる訳は、このブログを読む人にも充分納得してもらえるものと思う。
この曲のベストファイヴをあげると(但し、上位3枚は同列としたい)。
・ウィルヘルム・バックハウス<P>、カ-ル・ベーム指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 <LONDON>
・マウリツィオ・ポリーニ<P>、クラウディオ・アバド指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 <Grammophon>
・ウラディミール・アシュケナージ<P>、ベルナルト・ハイテインク指揮・ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 <LONDON>
・スヴャトスラフ・リヒテル<P>、エーリッヒ・ラインスドルフ指揮、シカゴ交響楽団 <RCA>
・ハンス・リヒター=ハーザー<P>、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 <Disky>

生品神社、世良田東照宮、そして渋沢栄一の生誕地を巡る

2009年03月10日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★
JR深谷駅→新田乃庄→生品神社→世良田東照宮→渋沢栄一記念館→旧渋沢邸「中の家(なかんち)」→誠之堂・清風亭→加藤省吾碑→深谷城跡→国済寺

深谷市在住の姉夫妻を訪問する。
深谷市内や近郊の興味深い史跡をてきぱきと案内してくれ、とてもい楽しい一日となったことに感謝!
新田義貞旗揚げの地、そして家康先祖の地を訪れることが出来たし、近代日本経済の父とも称される渋沢栄一の立派な人柄を深く知ったのも嬉しいことだった。

この深谷駅の造りは東京丸の内駅舎を建築する際、深谷市に所在する日本煉瓦製造株式会社の煉瓦を使用したことにちなみデザインされたという。
かの荒船清十郎が運輸大臣在任時、当駅を急行停車駅に追加させたとして国会で問題化され、大臣をやむなく辞任したという逸話も良く知られている。
駅前にはこの地出身の偉人、渋沢栄一の銅像がしっかりと街を歩く人々を見守っている。
  

名物料理の煮ぼうとうを食べようと、新田氏の祖である新田義重の館跡(寺尾城跡)に豪族の邸を模して建てたという料理店「新田乃庄」を訪れる。
残念ながら生憎の休みで、向かい側の店に入る羽目になってしまったのだが。
「新田荘」は12世紀の中頃、中央の争いから東国へ下野した源義重によって開かれた荘園で、現在の新田郡ほぼ全域と太田市の西部を領域としたところ。
新田氏は清和源氏の一族で、源義家の血筋を継ぐ義貞は1333年、後醍醐天皇の命を受け、この生品神社で北条氏追討の兵を挙げたとされている。
 

義貞公が旗挙げを行った時はわずか百五十騎だったが、越後の新田一族などが加わり、たちまち数千騎となって、十五日間で鎌倉幕府を攻め落としたという。
拝殿の前には、義貞が旗挙げの時に軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの木が保存されている。
 

国指定の史跡にもなっている徳川氏発祥の地、世良田東照宮を訪れる。
もらった案内書きの由来のところを読むと...徳川家康公の先祖は、新田氏の始祖である義重から新田荘の内、「世良田」他5ヶ郷を譲り受けた子の義季である。
義季は5ヶ郷内にある利根川沿いの押切を徳川と改称し、 徳川義季と称した。
その後9代目の親氏に至り、北朝の猛勢により徳川郷を追われ諸国を流浪の後、松平郷に身をよせ郷主在原信重に入婿し、松平親氏と称した。
それから7代を経て家康公が誕生し、三河一国を統一した25歳の時に松平姓から徳川・世良田を開発した徳川義季にあやかり、徳川に復姓した。...となっている。
徳川家にとっては確かに由緒ある地とされているのが、これを読むと良く解る。
 

車は一路、深谷市内に戻り「渋沢栄一記念館」へ。
館内に入ると、嬉しいことに管理人の方が終始丁寧な説明をしてくれる。
「渋沢栄一氏は、近代日本資本主義の生みの親、また産業・ 経済界の父であり、大蔵省、第一国立銀行の初代頭取など兼任、教育機関の創立・育成、社会福祉に力を入れるなど、社会・文化事業にも貢献された。」
話を聞けば聞くほど、渋沢栄一氏の私欲にとらわれない数々の業績とその立派な人柄にとにかく感心させられる。
渋沢栄一生地、旧渋沢邸「中の家(なかんち)」も見学する。
 

誠之堂(写真左)と清風亭(写真右)はともに、東京都世田谷区の第一銀行の敷地内に建てられていたものを移築復元している。
誠之堂は大正5年、渋沢栄一の喜寿を記念し、彼が初代頭取を務めていた第一銀行行員たちの出資により建築されたもの。
深谷のレンガを使用した英国農家風の建築で、大広間等の窓には中国風の美しいステンドグラスが施されている。
清風亭は大正15年、第一銀行頭取であった佐々木勇之助氏の古希を記念し、行員一同の出資で建築されたもの。
白壁に鼻黒レンガや黒いスクラッチタイルのアクセントやベランダのアーチなどが特徴のスペイン風の建築様式。
 

深谷城址公園に隣接している富士浅間神社の鳥居の横に、童謡「みかんの花咲く丘」の作詞者だった加藤省吾氏の碑が建っている。
碑には「...氏は昭和20年に両親の住んでいた深谷市に疎開したが,故郷の静岡に思いをはせてこの歌を作詞した...」という趣旨の文章が書かれている。
深谷城跡についてだが、この城は1456年(室町時代中期)に深谷上杉房憲が、古河公方の侵攻に備えて築城したと伝えられている。
徳川家康の関東入国後は、徳川一族や譜代家臣の居城であったが、寛永11年(1634)に廃城となったという。
今は深谷上杉氏の祈願社であった富士浅間神社の社殿を巡る池と水路に、往時の姿をとどめるのみとなっている。
 

深谷でも特に由緒ある寺といわれる国済寺を訪れる。
室町初期に北関東の諸豪族への抑えとして、この地に庁鼻和城(こばなわじょう)を築いたのが上杉憲英公、その4代房憲公の時に深谷城に居城が移され、庁鼻和城跡に深谷上杉氏の菩提寺として国済寺が建立されたのだという。
黒門、三門と呼ばれる歴史を感じさせる山門に目を奪われる。
 

新田義貞が軍旗を挙げたというクヌギの木、家康公の祖先の地、そして「みかんの花咲く丘」の歌碑など、思わぬ発見というか遭遇に嬉しい思いをした深谷市近辺の史跡巡りであった。