コース順路:コース満足度★★★★ 1月28日~1月30日
仙厳園 → 尚古集成館 → 南洲墓地 → 福昌寺跡 → 石橋記念公園 → 鍛治屋町歩き → 城山展望台 → 鶴丸城跡 → 日置・園林寺跡 → 今和泉島津家屋敷跡 → 今和泉島津家墓地 → 豊玉姫神社 →薩摩一宮枚聞神社 → 池田湖<薩摩富士> → 知覧特攻平和会館・ホタル館 → 知覧武家屋敷庭園
話題になったNHK大河ドラマ「篤姫」を見逃した代わりに、自分の足で天璋院篤姫の故郷、薩摩を訪ねる旅に出る。
仙巌園は万治元年(1658)に19代島津光久によって築かれた別邸で、錦江湾や桜島の眺めを巧みに取り入れた庭園として知られている。
幕末の名君、28代島津斉彬がこの庭園をこよなく愛したというし、第13代徳川家定に嫁いだ篤姫もここを訪れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/5a/b1d3c5c833ca63aac99a8d1c59f0b188.jpg)
すぐ隣の尚古集成館は薩摩藩主、島津斉彬が推進した洋式産業の総称で、斉彬が築いた集成館は薩英戦争で焼失したが、島津忠義が復興を進め、慶応元年(1865)に機械工場が完成している。
7ヶ月にわたった西南戦争は、明治10年(1877)9月24日、故郷の城山で西郷隆盛が自刃して、ついにが終わりを告げる。
訪れた南洲墓地には、西南戦争に敗れた薩軍2023名もの将兵が静かに眠っている。
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福昌寺は曹洞宗の一大寺院で薩摩藩主島津氏の菩提寺であったが、明治初年の廃仏毀釈により破壊されてしまい、今は島津家当主の墓地のみとなっている、
戦国期の義久、義弘、歳久、家久や、幕末期の斉彬、久光などと、その正室、側室も眠る歴代島津氏当主の墓地群で、島津家を知るには絶対に欠かせない場所といえる。
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石橋記念公園を訪れる。
江戸時代後期、島津重豪の命により市内を流れる甲突川に5つの石橋が架けられたが、そのうち3つを移設した公園で博物館もすぐ傍にある。
藩の財政改革が成功したことと、肥後から招かれた名石工・岩永三五郎によって初めて架橋が実現したと言われている。
翌朝ホテルを抜け出し、近くの鍛治屋町を散策する。
ここは明治維新に活躍した多くの薩摩藩士が生まれたところで、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎(写真)など多くの偉人の生誕記念碑が建てられている。
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桜島が一望できる城山展望台に行ったが、あいにくの曇りでその雄姿を眺められなかったのが残念。
城山公園を下ったところに、西南戦争で田原坂から敗走してきた西郷隆盛が立てこもり、最後の指令所とした洞窟が史跡として残っている。
鶴丸城は薩摩藩薩主、島津氏の居城跡で、城は「人をもって城となす」という島津の精神に基づき、天守閣のない質素な屋形造りで、鶴が翼を広げた形に似ていることから鶴丸城と呼ばれたという。
島津家は、鎌倉時代の地頭職、守護職から始まり、守護大名、戦国大名、そして徳川時代の近世大名と、代々薩摩大隅地方に連綿と続いた家柄で、丸に十の字の家紋はよく知られている。
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鶴丸城跡には、島津斉彬の養女となり、徳川家定に嫁ぐまでの間、しばらく城の大奥に住んだという篤姫の銅像が建てられている。
日置・園林寺跡にある小松帯刀の墓を訪れる。
傍には妻お近、そして少し離れたところに陰で彼につくしたお琴の墓も建てられている。
小松帯刀は、小松家に跡目養子に行く前の名は肝付尚五郎と言い、ドラマ「篤姫」の中で初恋役として出演しているが、宮尾登美子の原作には一切出ていないのでややこしい。
それはともかく、彼は薩摩藩家老まで務めた人望がある人で、幕末の英国外交員アーネスト・サトウが「私の知っている日本人の中で最も魅力的な人物」と評したほどだった。
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豊玉媛神社にお参りした後、今和泉島津家隠居屋敷跡を訪れる。
残念ながら現在は民家の門になっていて、当時を偲ばせてくれるのは近にある石垣だけだった。
今和泉島津家墓地には、初代の忠郷から忠温、忠厚、忠喬、忠剛(篤姫の父)、忠冬(篤姫の兄)までの6代の当主と奥方などが埋葬されている。
篤姫が幼少期を過ごした今和泉島津家別邸跡地、その近くの隼人松原に「幼少の篤姫・於一像」が建てられている。
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薩摩一宮枚聞神社の祭神は大日霎貴命だが、拝殿は北向きでその先には薩摩富士(開聞岳)があるから、ご神体はこの山と思われる。
池田湖で薩摩富士を眺めるのが楽しみの一つだったが、あいにくの雨天で何も見えず、見たのは大鯰のみだった。
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知覧特攻平和会館には、太平洋戦争も終りに近い沖縄戦で飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした特攻隊員の遺品や関係資料が展示されている。
映画「ホタル」を生んだ館富屋食堂、特攻の母として慕われた「鳥浜トメ」の食堂もきちんと残っている。
知覧武家屋敷庭園がある街並みは、260年前から変わらぬ姿を保ち続けており「薩摩の小京都」と呼ばれている。
七つある武家屋敷庭園は、それぞれの趣きが感じられ訪れる人々の目を楽しませてくれる。
仙厳園 → 尚古集成館 → 南洲墓地 → 福昌寺跡 → 石橋記念公園 → 鍛治屋町歩き → 城山展望台 → 鶴丸城跡 → 日置・園林寺跡 → 今和泉島津家屋敷跡 → 今和泉島津家墓地 → 豊玉姫神社 →薩摩一宮枚聞神社 → 池田湖<薩摩富士> → 知覧特攻平和会館・ホタル館 → 知覧武家屋敷庭園
話題になったNHK大河ドラマ「篤姫」を見逃した代わりに、自分の足で天璋院篤姫の故郷、薩摩を訪ねる旅に出る。
仙巌園は万治元年(1658)に19代島津光久によって築かれた別邸で、錦江湾や桜島の眺めを巧みに取り入れた庭園として知られている。
幕末の名君、28代島津斉彬がこの庭園をこよなく愛したというし、第13代徳川家定に嫁いだ篤姫もここを訪れている。
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すぐ隣の尚古集成館は薩摩藩主、島津斉彬が推進した洋式産業の総称で、斉彬が築いた集成館は薩英戦争で焼失したが、島津忠義が復興を進め、慶応元年(1865)に機械工場が完成している。
7ヶ月にわたった西南戦争は、明治10年(1877)9月24日、故郷の城山で西郷隆盛が自刃して、ついにが終わりを告げる。
訪れた南洲墓地には、西南戦争に敗れた薩軍2023名もの将兵が静かに眠っている。
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福昌寺は曹洞宗の一大寺院で薩摩藩主島津氏の菩提寺であったが、明治初年の廃仏毀釈により破壊されてしまい、今は島津家当主の墓地のみとなっている、
戦国期の義久、義弘、歳久、家久や、幕末期の斉彬、久光などと、その正室、側室も眠る歴代島津氏当主の墓地群で、島津家を知るには絶対に欠かせない場所といえる。
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石橋記念公園を訪れる。
江戸時代後期、島津重豪の命により市内を流れる甲突川に5つの石橋が架けられたが、そのうち3つを移設した公園で博物館もすぐ傍にある。
藩の財政改革が成功したことと、肥後から招かれた名石工・岩永三五郎によって初めて架橋が実現したと言われている。
翌朝ホテルを抜け出し、近くの鍛治屋町を散策する。
ここは明治維新に活躍した多くの薩摩藩士が生まれたところで、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎(写真)など多くの偉人の生誕記念碑が建てられている。
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桜島が一望できる城山展望台に行ったが、あいにくの曇りでその雄姿を眺められなかったのが残念。
城山公園を下ったところに、西南戦争で田原坂から敗走してきた西郷隆盛が立てこもり、最後の指令所とした洞窟が史跡として残っている。
鶴丸城は薩摩藩薩主、島津氏の居城跡で、城は「人をもって城となす」という島津の精神に基づき、天守閣のない質素な屋形造りで、鶴が翼を広げた形に似ていることから鶴丸城と呼ばれたという。
島津家は、鎌倉時代の地頭職、守護職から始まり、守護大名、戦国大名、そして徳川時代の近世大名と、代々薩摩大隅地方に連綿と続いた家柄で、丸に十の字の家紋はよく知られている。
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鶴丸城跡には、島津斉彬の養女となり、徳川家定に嫁ぐまでの間、しばらく城の大奥に住んだという篤姫の銅像が建てられている。
日置・園林寺跡にある小松帯刀の墓を訪れる。
傍には妻お近、そして少し離れたところに陰で彼につくしたお琴の墓も建てられている。
小松帯刀は、小松家に跡目養子に行く前の名は肝付尚五郎と言い、ドラマ「篤姫」の中で初恋役として出演しているが、宮尾登美子の原作には一切出ていないのでややこしい。
それはともかく、彼は薩摩藩家老まで務めた人望がある人で、幕末の英国外交員アーネスト・サトウが「私の知っている日本人の中で最も魅力的な人物」と評したほどだった。
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豊玉媛神社にお参りした後、今和泉島津家隠居屋敷跡を訪れる。
残念ながら現在は民家の門になっていて、当時を偲ばせてくれるのは近にある石垣だけだった。
今和泉島津家墓地には、初代の忠郷から忠温、忠厚、忠喬、忠剛(篤姫の父)、忠冬(篤姫の兄)までの6代の当主と奥方などが埋葬されている。
篤姫が幼少期を過ごした今和泉島津家別邸跡地、その近くの隼人松原に「幼少の篤姫・於一像」が建てられている。
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薩摩一宮枚聞神社の祭神は大日霎貴命だが、拝殿は北向きでその先には薩摩富士(開聞岳)があるから、ご神体はこの山と思われる。
池田湖で薩摩富士を眺めるのが楽しみの一つだったが、あいにくの雨天で何も見えず、見たのは大鯰のみだった。
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知覧特攻平和会館には、太平洋戦争も終りに近い沖縄戦で飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした特攻隊員の遺品や関係資料が展示されている。
映画「ホタル」を生んだ館富屋食堂、特攻の母として慕われた「鳥浜トメ」の食堂もきちんと残っている。
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知覧武家屋敷庭園がある街並みは、260年前から変わらぬ姿を保ち続けており「薩摩の小京都」と呼ばれている。
七つある武家屋敷庭園は、それぞれの趣きが感じられ訪れる人々の目を楽しませてくれる。
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