クラシック 名盤探訪

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この曲この一枚 その11 ハインリッヒ・シュルスヌスの魅力(いくつかのアルバムから)

2010年02月21日 | この曲この一枚
  
・「歴史的名歌手たち:ハインリッヒ・シュルスヌス」<ETERNA>

タリアヴィーニと並び称される美声の持ち主、シュルスヌスが生まれたのは1888年だからもうかなり昔になる。
初めは郵便局員だったが、そのかたわら声楽を学び27歳でオペラデビューを果たしている。
ベルリンの国立オペラに所属し1945年まで歌い続けたが、戦前のことなので日本人で生の声を聴いた人は少なかったと思う。
舞台でのシュルスヌスの宝石のように美しい一声を聴いただけで、もう聴衆は満足仕切ってしまい、多少の音程の狂いやリズムの乱れなど問題にもならなかったという。
ワーグナー「タンホイザー」での、彼の当たり役立ったヴォルフラムが歌う「夕星の歌」などは、曲ももちろん素晴らしいが、とにかくその美声に触れただけで、もううっとりと聴きほれている自分がそこにいるほど。

    
・「歴史的名歌手によるR・シュトラウス歌曲名曲選」<ACANTA>
・「ドイツ歌曲集」<PHILIPS>

R・シュトラウスに可愛がられたというシュルスヌス、私の最も好きな歌のひとつ「献呈」などは本当に理想的な表現で、その歌いぶりに聴き手もつい酔いしれてしまう。
「音楽に寄せて」、「魔王」、「夕映えの中で」そして「菩提樹」など、シューベルトの素晴らしい旋律が込められた珠玉の一つ一つを、美声はもちろんだが更に憂いのある深い声でじっくりと聴かせてくれるのが何よりも嬉しい。
聴き込めば聴きこむほど味わいが深まってくる彼の歌、現代の歌手からは得られない雰囲気を是非一度味わってほしいと思う。
・ハインリッヒ・シュルスヌス<Br> 

三ノ輪から入谷、日暮里を歩く

2010年02月14日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★★★ 1月26日
地下鉄三ノ輪駅→浄閑寺→一葉記念館→飛不動(正宝院)→鷲神社→入谷鬼子母神→小野照崎神社→英信寺→書道博物館→善性寺→JR日暮里駅

まずは、投込み寺とも呼ばれる浄閑寺を訪れる。
吉原遊郭で死んだ2万5000人もの遊女が、この寺に投込まれるように埋葬されたことからそう呼ばれる様になったらしい。
「生まれて苦界、死しては浄閑寺」の川柳も残っており、当時の遊女たちの悲哀が偲ばれる。
彼女たちの霊を慰める塔のすぐ横には永井荷風の立派な詩碑が残されている。
荷風は遊女の哀しく短い人生に強く感じるものがあったのか、この寺をよく訪れたという。
 

前から行きたいと思っていた樋口一葉の記念館に到着する。
この記念館がある竜泉は一葉が荒物・駄菓子の商いをした町で、「たけくらべ」の舞台にもなっている。
展示内容を見ていくと、一葉の両親が甲斐国山梨郡荻原村(山梨県甲州市)から江戸へ駆け落ちしたこと、一葉自身は読書好きで利発な少女だったことなど、年代を追っての写真などもあり、説明がとても分かり易いのに感心する。
 

中嶋歌子の歌塾「萩の舎」で和歌、書道、古典を学び、入門した半年後の発会で並み居る先輩たちを相手に最高点を取ったという。
裾の長い「お引きずり」を着ているのをみると、みんな良い家庭の子女達だったらしい事が写真からも良くわかる。
荒物・駄菓子の商いをやめ、小説のみで生計を立てる決意をした一葉は、「奇跡の十四ヶ月」と呼ばれる期間に、「大つごもり」から「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などの最高傑作といわれる全てを発表している。
この後、残念なことに持病の肺結核が進行し24歳という短い生涯を終えてしまう。
ブログを書いている本人が、一葉の小説に触れたのは教科書で「たけくらべ」を読んだのみ。
お世辞にも大きなことは言えないし、5千円札を使うのにも気が引けてしまう。
 

次に訪れたのは、飛不動の通称で知られている正宝院。
昔、住職がお不動様を背負い奈良の大峰山に修行に行ったところ、信者の祈りに一夜にして江戸に帰り、願いを叶えたという伝承がある。
今では、航空安全と旅行安泰のお参りに訪れる人も多いらしい。
すぐ先にある鷲神社は「おとりさま」と呼もばれ、浅草酉の市の始まりでも知られているところ。
毎年11月の酉の日には鷲神社の境内で熊手を売る店が立並び、沢山の人で溢れるという。
 

入谷鬼子母神は「恐れ入谷の鬼子母神、そうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師さま」の狂歌で有名なところ。
鬼子母神は鬼神般闍迦(はんしか)の妻で、インド仏教上の女神のひとりとされるが、性質凶暴で子供を奪い取っては食べてしまう悪心であった。
そこで、釈迦は鬼子母神の末子を隠して子を失う悲しみを実感させ、彼女を改心させたという。
子育の善神 になったという由来から、つののない「鬼」の字を使っているのが面白い。
脇の毘沙門堂には毘沙門天が祀られている。
 

その先の小野照崎神社は、平安末期の歌人で足利学校の創設者・小野篁(おののたかむら)が祭神とされている。
この人が祀られている神社を訪れるのは初めてだったが、菅原道真を祀っている天満宮と同じ系列かもしれない。
近くにある英信寺に立ち寄る。
弘法大師の作と伝承される三面大黒天、正面に大黒天の顔を、右に弁財天、左に毘沙門天の顔を持つというのが興味深い。
 

書道博物館の展示内容は期待していた以上に素晴らしく、書道を学ぶ人はもちろん、書や歴史に興味ある人はぜひ訪問してほしい。
パンフレットには、「・・・洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)が、その半生40年あまりにわたって、中国及び日本の書道史上重要な資料を独力で蒐集した・・・」とある。
まず驚いたのが、広開土王碑(第三面・第四面)の実物大の拓本が見れたこと。
4世紀末から5世紀初頭の朝鮮半島北部を支配した高句麗19代の王、広開土王を称えた石碑の拓本だが、中国吉林省集安市に現存する6mを超える巨大な石碑を実感できただけでも素晴らしい。
「蘭亭序」-模刻本-は、王義之が蘭亭(浙江省)での宴で詠まれた詩を集めて添えた序文で、中国書法史上屈指の傑作とされているもの。
書を学ぶ人が必ず手にするという最高のお手本でもある。
 

明時代中期の大家といわれる文徴明が、千字文(重複しない千字を四言二五〇句に詠んだ詩)を草書で書いた作品で、これも最高のお手本として使えそう。
最後に訪れた善性寺は杓子の曼荼羅、杓子のお祖師さまの寺として室町時代から信仰を集めたという。
境内にある大黒天は脚を投げ出して座り、右肩に小槌、左手には小判を持って人々に与えようとする珍しい像で、安土桃山時代の作と伝えられている。
 

人気店だという寺のすぐ前にある羽二重団子本店に入る。
今日歩いたところをあちこち思い浮かべながら、味わい深い団子を頂戴する。

この曲この一枚 その10 ショスタコーヴィチ : 交響曲第5番ニ短調

2010年02月06日 | この曲この一枚
  
ショスタコの第5番、雑誌等では79年にバーンスタインが東京で演奏したライヴ盤が真っ先に推奨されているが、私としてはいまだに59年に録音された旧盤にひとしおの愛着を感じている。
ライヴ盤を購入して聴いた時は、何度聴き直しても何故か第3楽章の途中で必ず挫折するのが常で、とうとうその先を聴かずじまいに終わってしまった。
旧盤は、若々しさと、その中に詰め込まれたロマン的表現が一番の魅力の根源になっているし、特に第三楽章に描かれた崇高なまでの祈りの表現が何とも素晴らしい。
クラシックが好きになって、バーンスタインに注目するきっかけとなった最初の盤だっただけに、今でも聴き直す度に随分と彼のレコードを追いかけた事を思い出す。
古かろうが良いものは良い、そんな気持ちで盤に耳を傾けているのは年のせいかもしれないが、この曲この一枚として薦めたいのは素直な気持から。
・レナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック(1959年録音)<CBS>
とっておきの名盤 その102 ショスタコーヴィチ : 「24の前奏曲とフーガ」作品87