コース順路:コース満足度★★★★★
JR青梅駅→青梅鉄道公園→青梅丘陵→梅岩寺→旧稲葉家住宅→金剛寺→釜の淵公園→宗建寺→延命寺→住吉神社→シネマ通り→JR青梅駅
はるか昔から、武蔵国府の山林資源の供給地であり、また旧青梅街道を通る人々の交通の要衝として栄えた青梅、そのいにしえの史跡のいくつかに触れることが出来る中身の濃い散歩だった。
青梅駅のホームに降りて地下道を通ると、両側の壁には昭和30年代の映画の看板がずらっと並んでいる。
これがまちおこしの一環だと知ったのは、散歩の終わりに歩いた市内のレトロな商店街の風景を見た時だった。
青梅駅の北側に連なる青梅丘陵の東端にある、青梅鉄道公園を目指す。
「デゴイチ」の愛称で知られるD51(わが国最高の1115両が製作)や新幹線の先頭車両を含む11両が展示されていて、鉄道ファンや電車好きの子供なら一度は訪れてみたいところ。
すぐ左手の道を上がると、深い森に閉ざされた青梅丘陵の入り口にたどり着く。
青梅を中心とした関東山地の東麓一帯は、鎌倉時代から「杣保」(そまのほ)と呼ばれていた。
杣(そま)とは、国分寺や国府といった大きな施設を造ったり、維持する為に山林資源を供給する地域の呼び名。
「保」は一種の行政単位で、杣の地の一定範囲を示すもの。
緑深い丘陵を歩いていると、青梅が武蔵国府への用材供給の地として発展したことが充分に頷ける。
丘陵を下ると、10世紀末の開山と言う真言宗の古刹、梅岩寺の境内に出る。
ここの樹齢約150年の大きな枝垂桜は名高いが、残念なことにまだつぼみの段階。
旧青梅街道にある江戸時代後期建築の土蔵造りの商家、旧稲葉家住宅を訪れる。
当時は、材木と綿織物(青梅縞)の仲買で繁栄を極めていたとのこと。
番頭さんの帳簿を開いての熱心な客との応対、そんな時代劇の一シーンをふと思い起こした。
少し先には、真言宗の古寺、金剛寺がある。
青梅の地名の由来となった「将門誓いの梅」という老木があり、この寺が創建された頃に乱を起こした平将門にちなむ伝説によるとのこと。
何故、遠くの地の将門がここに関係するのか、詳しいことは調べ切れず。
多摩川の流れが大きく蛇行した部分に整備された公園、釜の淵公園に進む。
公園には桜並木がずらっと続いているし、鮎美橋の眺めも美しい。
旧宮崎家の旧い民家の前には、二本の蝋梅の木が美しい花を咲かせている。
すぐ隣にある青梅市郷土資料館には、御岳神社に奉納されている国宝「赤糸縅大鎧(あかいとおどしのおおよろい)」が展示されている。
ここに展示されているのは模造品だが、甲冑ファンならとにかく身に着けたいといわれる鎧で、眺めるだけでも素晴らしい。
臨済宗の寺、宗建寺の本尊には多摩七福神のひとつ、毘沙門天が祀られている。
庭にある大きな蛙の像の上に小さな蛙が五つ乗っていて、横の立て札には「むかえる(六蛙)、若返る、栄える、甦る、福に変える、無事帰る、良く考える」と書いてある。
すぐ隣の延命寺には、これも多摩七福神のひとつ大黒天が祀られている。
駅の通りに近づくと、木造の家屋に昔懐かしい丹下作膳の映画看板を掲げたお店が目に入る。
これは、市が熱心に推進している”まちおこし”なのだそうだ。
旧青梅街道に出ると、道脇に住吉神社の大きな鳥居が見えてくる。
急な階段を昇り、神妙にいつもの二礼ニ拍手一礼での願い事。
シネマ通りと呼ばれる昔懐かしい街並みを歩いていると、いつのまにか昭和30年代の昔に戻ったような気分になってくる。
昭和レトロの風情にひたりながらゆっくり進むと、もうそこは青梅駅。
JR青梅駅→青梅鉄道公園→青梅丘陵→梅岩寺→旧稲葉家住宅→金剛寺→釜の淵公園→宗建寺→延命寺→住吉神社→シネマ通り→JR青梅駅
はるか昔から、武蔵国府の山林資源の供給地であり、また旧青梅街道を通る人々の交通の要衝として栄えた青梅、そのいにしえの史跡のいくつかに触れることが出来る中身の濃い散歩だった。
青梅駅のホームに降りて地下道を通ると、両側の壁には昭和30年代の映画の看板がずらっと並んでいる。
これがまちおこしの一環だと知ったのは、散歩の終わりに歩いた市内のレトロな商店街の風景を見た時だった。
青梅駅の北側に連なる青梅丘陵の東端にある、青梅鉄道公園を目指す。
「デゴイチ」の愛称で知られるD51(わが国最高の1115両が製作)や新幹線の先頭車両を含む11両が展示されていて、鉄道ファンや電車好きの子供なら一度は訪れてみたいところ。
すぐ左手の道を上がると、深い森に閉ざされた青梅丘陵の入り口にたどり着く。
青梅を中心とした関東山地の東麓一帯は、鎌倉時代から「杣保」(そまのほ)と呼ばれていた。
杣(そま)とは、国分寺や国府といった大きな施設を造ったり、維持する為に山林資源を供給する地域の呼び名。
「保」は一種の行政単位で、杣の地の一定範囲を示すもの。
緑深い丘陵を歩いていると、青梅が武蔵国府への用材供給の地として発展したことが充分に頷ける。
丘陵を下ると、10世紀末の開山と言う真言宗の古刹、梅岩寺の境内に出る。
ここの樹齢約150年の大きな枝垂桜は名高いが、残念なことにまだつぼみの段階。
旧青梅街道にある江戸時代後期建築の土蔵造りの商家、旧稲葉家住宅を訪れる。
当時は、材木と綿織物(青梅縞)の仲買で繁栄を極めていたとのこと。
番頭さんの帳簿を開いての熱心な客との応対、そんな時代劇の一シーンをふと思い起こした。
少し先には、真言宗の古寺、金剛寺がある。
青梅の地名の由来となった「将門誓いの梅」という老木があり、この寺が創建された頃に乱を起こした平将門にちなむ伝説によるとのこと。
何故、遠くの地の将門がここに関係するのか、詳しいことは調べ切れず。
多摩川の流れが大きく蛇行した部分に整備された公園、釜の淵公園に進む。
公園には桜並木がずらっと続いているし、鮎美橋の眺めも美しい。
旧宮崎家の旧い民家の前には、二本の蝋梅の木が美しい花を咲かせている。
すぐ隣にある青梅市郷土資料館には、御岳神社に奉納されている国宝「赤糸縅大鎧(あかいとおどしのおおよろい)」が展示されている。
ここに展示されているのは模造品だが、甲冑ファンならとにかく身に着けたいといわれる鎧で、眺めるだけでも素晴らしい。
臨済宗の寺、宗建寺の本尊には多摩七福神のひとつ、毘沙門天が祀られている。
庭にある大きな蛙の像の上に小さな蛙が五つ乗っていて、横の立て札には「むかえる(六蛙)、若返る、栄える、甦る、福に変える、無事帰る、良く考える」と書いてある。
すぐ隣の延命寺には、これも多摩七福神のひとつ大黒天が祀られている。
駅の通りに近づくと、木造の家屋に昔懐かしい丹下作膳の映画看板を掲げたお店が目に入る。
これは、市が熱心に推進している”まちおこし”なのだそうだ。
旧青梅街道に出ると、道脇に住吉神社の大きな鳥居が見えてくる。
急な階段を昇り、神妙にいつもの二礼ニ拍手一礼での願い事。
シネマ通りと呼ばれる昔懐かしい街並みを歩いていると、いつのまにか昭和30年代の昔に戻ったような気分になってくる。
昭和レトロの風情にひたりながらゆっくり進むと、もうそこは青梅駅。