クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

青梅丘陵から釜の淵公園を経て青梅市内を歩く

2008年03月28日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★★★
JR青梅駅→青梅鉄道公園→青梅丘陵→梅岩寺→旧稲葉家住宅→金剛寺→釜の淵公園→宗建寺→延命寺→住吉神社→シネマ通り→JR青梅駅

はるか昔から、武蔵国府の山林資源の供給地であり、また旧青梅街道を通る人々の交通の要衝として栄えた青梅、そのいにしえの史跡のいくつかに触れることが出来る中身の濃い散歩だった。

青梅駅のホームに降りて地下道を通ると、両側の壁には昭和30年代の映画の看板がずらっと並んでいる。
これがまちおこしの一環だと知ったのは、散歩の終わりに歩いた市内のレトロな商店街の風景を見た時だった。
青梅駅の北側に連なる青梅丘陵の東端にある、青梅鉄道公園を目指す。
「デゴイチ」の愛称で知られるD51(わが国最高の1115両が製作)や新幹線の先頭車両を含む11両が展示されていて、鉄道ファンや電車好きの子供なら一度は訪れてみたいところ。
 

すぐ左手の道を上がると、深い森に閉ざされた青梅丘陵の入り口にたどり着く。
青梅を中心とした関東山地の東麓一帯は、鎌倉時代から「杣保」(そまのほ)と呼ばれていた。
杣(そま)とは、国分寺や国府といった大きな施設を造ったり、維持する為に山林資源を供給する地域の呼び名。
「保」は一種の行政単位で、杣の地の一定範囲を示すもの。
緑深い丘陵を歩いていると、青梅が武蔵国府への用材供給の地として発展したことが充分に頷ける。
丘陵を下ると、10世紀末の開山と言う真言宗の古刹、梅岩寺の境内に出る。
ここの樹齢約150年の大きな枝垂桜は名高いが、残念なことにまだつぼみの段階。
 

旧青梅街道にある江戸時代後期建築の土蔵造りの商家、旧稲葉家住宅を訪れる。
当時は、材木と綿織物(青梅縞)の仲買で繁栄を極めていたとのこと。
番頭さんの帳簿を開いての熱心な客との応対、そんな時代劇の一シーンをふと思い起こした。
 

少し先には、真言宗の古寺、金剛寺がある。
青梅の地名の由来となった「将門誓いの梅」という老木があり、この寺が創建された頃に乱を起こした平将門にちなむ伝説によるとのこと。
何故、遠くの地の将門がここに関係するのか、詳しいことは調べ切れず。
多摩川の流れが大きく蛇行した部分に整備された公園、釜の淵公園に進む。
  

公園には桜並木がずらっと続いているし、鮎美橋の眺めも美しい。
旧宮崎家の旧い民家の前には、二本の蝋梅の木が美しい花を咲かせている。
すぐ隣にある青梅市郷土資料館には、御岳神社に奉納されている国宝「赤糸縅大鎧(あかいとおどしのおおよろい)」が展示されている。
ここに展示されているのは模造品だが、甲冑ファンならとにかく身に着けたいといわれる鎧で、眺めるだけでも素晴らしい。
  

臨済宗の寺、宗建寺の本尊には多摩七福神のひとつ、毘沙門天が祀られている。
庭にある大きな蛙の像の上に小さな蛙が五つ乗っていて、横の立て札には「むかえる(六蛙)、若返る、栄える、甦る、福に変える、無事帰る、良く考える」と書いてある。
 

すぐ隣の延命寺には、これも多摩七福神のひとつ大黒天が祀られている。
駅の通りに近づくと、木造の家屋に昔懐かしい丹下作膳の映画看板を掲げたお店が目に入る。
これは、市が熱心に推進している”まちおこし”なのだそうだ。
 

旧青梅街道に出ると、道脇に住吉神社の大きな鳥居が見えてくる。
急な階段を昇り、神妙にいつもの二礼ニ拍手一礼での願い事。
シネマ通りと呼ばれる昔懐かしい街並みを歩いていると、いつのまにか昭和30年代の昔に戻ったような気分になってくる。
昭和レトロの風情にひたりながらゆっくり進むと、もうそこは青梅駅。
 

とっておきの名盤 その120 マーラー 交響曲第9番ニ長調

2008年03月22日 | とっておきの名盤「交響曲」
この盤は1938年1月のライヴ録音だからもう70年も前のことになる。
しかし、この曲の初録音であり、しかも初演をしたワルター自身の演奏と言う意味で非常に貴重なもの、ワルターとウィーンフィルの戦前最後となる演奏でもあった。
この曲は4つの楽章からなるが、いつも聴くのは最初と終わりの楽章のみという変則的な聴き方をしている。
とくに、マーラー特有の退廃的な美というか、その嘆きに満ちた歌、歌、歌に溢れる第1楽章は、とりわけ「死」と言うものの恐れを強く感じさせる楽章であり、そのこの世のものとは思えぬ悲痛な魂の叫びは、聴く者の心を深い情念の世界に落とし入れる。
マーラーの交響曲は総て「死」をテーマにしていると言われているが、私にこの曲ほどそれを強く感じさせるものは無い。
ワルターのこの演奏、聴くたびにこの曲が持つ深い意味を私に強く感じさせてくれる演奏であり、録音の良し悪しなど二の次で、とにかく感動することの素晴らしさを真正面から訴えかけてくれる。
録音(1938年)は古いが、彼がナチに追われウイーンを去る直前に積年の思いで演奏したこのライヴ録音、いろんな意味で特別な一枚と言える。
あえてこの曲のベスト・ファイヴをあげると、
・ブルーノ・ワルター指揮、ウイーンフィルハーモニー管弦楽団 <EMI>
・カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、シカゴ交響楽団 <Grammophon>
・ジョン・バルビローリ指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 <EMI>
・レナード・バーンステイン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 <Grammophon>
・クルト・ザンテルリンク指揮、ベルリン交響楽団 <Deutsche Schallplatten>

とっておきの名盤 その119 J・S バッハ パルティータ選集(1、2、3、5番)

2008年03月17日 | とっておきの名盤「器楽曲」
これは1991年、88歳で亡くなったアラウ最後の録音、まさしく入神の域に達したともいえる崇高な演奏。
このパルティータの最初の一音からのピアノの音の神がかった響きをどう表現したらよいのか。
解説書にある梅津時比古氏の以下の文章は、そのことを私の胸に最も痛切に説いてくれる。
「アラウがバッハを弾きたくなったのは、永年連れ添った夫人と子息を相次いで亡くし、およそ2年間、悲しみの余りステージから離れた後だった。
・・・その音はピアニズムの魅力の極地でありながら、ピアノの音を超えている。
おそらくアラウのなかに、美しい音を聴かせようというような気持ちは、もう微塵も無かったのであろう。
音色の変化をやさしくすくいとりながら、どこか無骨で、それでいて何もかもが自然、そして自在である。
たとえて言えば、風が美しい花の香りも細かな土ぼこりも、同時に自由に運んでくるよう。
大きな自然の中で、どこからともなく聞こえてくるような音。
それはバッハからもたらされる音なのだろうか。
アラウからもたらされる音なのだろうか。
おそらく、そこには、夫人や子息への思いも含めてアラウの感情の総てが流れているのだろう。・・・」
このアラウの”白鳥の歌”と言うべき演奏を聴かずして、真のバッハは語れないのではないかとつくづく思う。
・クラウディオ・アラウ <P> <PHILIPS>

とっておきの名盤 その118 モーツアルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K595

2008年03月12日 | とっておきの名盤「協奏曲」
当時サーの称号を与えられた唯一のピアニストだったクリフォード・カーゾン、彼は無類の録音嫌いで有名だったので、残した録音も余り多くないが、この盤はその中でもモーツアルトの純粋無垢な魂の一面を真正面から聴き手に伝えてくれる貴重な一枚。
好きなこの曲の第2楽章を聴いていると、その粒よりのピアノの音が持つ「透明さ」、「温かみ」の素晴らしさの中に、いつの間にか吸い込まれている自分にふと気が付く。
彼は全く欲が無いことでも有名だった。
レコード録音によって収入を増やすとか、レパートリーを広げて自己満足を広げることも無く、淡々と好きな曲を弾いていた。
彼が得意としたモーツアルト、その中でもこれだけ”無私のモーツアルト”が光る盤は他には無い。
一緒の盤に入っている第20番の第2楽章なども、同じ意味で素晴らしい限り。
とっておきの名盤として欠かせない一枚。
この曲のベスト・スリーをあげておくと、
・ベンジャミン・ブリテン指揮、イギリス室内管弦楽団、クリフォード・カーゾン<P> <LONDON>
・ダニエル・バレンボイム指揮、イギリス室内管弦楽団、ダニエル・バレンボイム<P> <EMI>
・クラウディオ・アバド指揮、ロンドン交響楽団、ルドルフ・ゼルキン<P> <Grammophon>

「イン・コンサート」 キャロル・キング

2008年03月07日 | ジャズ&ヴォーカル
 
キャロル・キングも1942年生まれだから、かなり昔の人になってしまった。
でも、その歌はビートルズ同様今でも超新鮮だ。
声も素敵だが、女性シンガー・ソングライターの草分だけあって、メロディーひとつとっても魅力的なことこの上ない。
このライヴCD、好きな曲を並べると、「Up On The Roof」、「So Far Away」、「Natural Woman」、「Hold Out For Love」、「It's Too Late」、「You've Got A Friend」、「Locomotion」と次々に素敵な曲が並ぶ。
一世を風靡した超ロングセラー・アルバム”Tapestry「つづれ織り」”を、生で再現してくれてるとも言える。
これからもずっと聴き続けて行きたいと心から言える歌手、それがキャロル・キングだ。