クラシック 名盤探訪

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東海道4番宿 保土ヶ谷宿を歩く

2012年12月22日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★★ 12月12日
相鉄線天王寺町駅 → 橘樹神社 → 旧帷子橋跡 → 香象院 → 見光寺 → 天徳院 → 大蓮寺 → 遍照寺 → 本陣跡 → 大仙寺 → 外川神社 → 旅籠金子屋跡 → 福聚寺 → 御所台の井戸 → 北向観音 → 圓福寺 → 安楽寺 → 杉山社 → 神明社 → 相鉄線天王町駅

今まで歩いた宿場町も神社寺院が多かったが、この保土ヶ谷宿も他の宿に引けを取らないその多さに驚かされる。
最初に訪れた橘樹(たちばな)神社は鎌倉時代初期(1186)の創建というから、けっこう古い。
江戸時代は牛頭天王社といい、天王町の由来ともなっている。
大蓮寺の開山は江戸時代初期(1625)というから、少し新しい。
この寺の始まりは、日蓮上人がここを訪れた際に泊まった家を、のちに門徒が法華堂に改修したことからという。
境内には、家康の側室おまんの方お手植えというざくろの木があったが、この季節は葉が落ちてしまって風情が少し感じられないのが残念。
  

遍照寺は真言宗の寺だが、開山の年代がはっきりしない(一説では876年開山と伝えられる)。
境内には、念仏百万遍の供養塔や岡野新田を開拓した岡野家の墓が置かれているとあり、探してみたがなかなか見つからない。
本陣とは、東海道を往来する幕府の役人や参勤交代の大名が宿泊した所で、説明板によると、「保土ヶ谷宿の本陣は、後北条氏の家臣・苅部豊前守康則の子孫が代々つとめ、安政六年(1859))横浜開港に際しては、当時の当主・清兵衛悦甫が総年寄に任ぜられ、初期の横浜町政に尽くした」とある。
  

この宿でも最も古いとされるお寺の一つ、大仙寺を訪れる。
保土ヶ谷宿の本陣、脇本陣、茶屋本陣を勤めた者たちは、全てこの寺を菩提寺としたというから、かなり由緒のある寺に違いない。
外川神社は小児の虫封じ、そして航海安全に利益があるとされ、近年まで多くの人が訪れたという。
現在は少し荒れ果てており、これでは御利益が薄れてしまうのではと思ってしまう。
福聚寺の本堂の裏に、「東海道中膝栗毛」の作者である十返舎一九の弟子、五返舎半九の墓があるというのを後で知ったのは残念。
十返舎一九の弟子ということで、師匠の名をもじった弟子の名前が面白い。
  

福聚寺を後にして、次北条政子が鎌倉へ行く途中、ここで休んで、この井戸の水を汲んで化粧に使ったと伝えられる「御所台の井戸」に立ち寄る。
江戸時代には、将軍が保土ヶ谷宿の苅部本陣で休息した時に、御前水としてこの井戸の水を使用 したという。
北向観音は旅人の道中安全を祈願して造られたもので、柱には「是より左の方かなさわ道 是より右の方くめう寺道」と刻まれている。
「この地蔵の向きを変えても、いつの間にか北を向いている」という言葉しめやかな話が伝わっている。
最後に、平安時代中期(970)に創建され、この地と最も縁が深いという神明社を訪れる。
この地は伊勢神宮の御領地として寄進されたところで、榛谷御厨(はんがやのみくりや)と呼ばれ、その鎮守の杜として神明社が建立されたというから、確かにそれだけの由緒はある。
結構見所たくさんの保土ヶ谷宿ではあった。