クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

京王百草園から高幡不動尊へ

2011年02月21日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★★
京王聖蹟桜ヶ丘駅→一ノ宮渡し跡→小野神社→六地蔵→京王百草園→百草八幡神社→百草自然公園→高幡不動尊(幡城跡)→京王高幡不動駅

このコースを歩いたのはまだ正月気分が抜けきらない1月の後半で、京王百草園の梅の花はまだちらほらという状態だったが、今の時期なら文句なく素晴らしい眺めを見せてくれるはずなので、ぜひ時間を作って歩いて欲しいと思う。
「一ノ宮」というのは近くにある小野神社のことで、この地点の北にある多摩川べりに拠点となる「一ノ宮の渡し場」があったとされている。
碑があるところには小野神社の御神木のケヤキが2本立っており、神社へと続く参道のわきにせせらぎが流れているのが印象的。
小野神社は「延喜式」にも多摩郡八座の一つとして記載されている由緒ある神社で、府中大国魂神社との関わりが深く、この神社の御輿は昭和33年まで大国魂神社のくらやみ祭りにも参加していたという。
 

百草旧道と呼ばれる細い農道を進むと、道端の少し高いところに六地蔵が並んでいて、通る旅人を温かく迎えてくれる。
ちょうど木陰になっていて、地蔵さんと一緒になって一休みするのに良い所となっている。
その先を進むとすぐに、京王百草園の入口が見えてくる。
 

この公園の由緒を述べている説明板によると、「百草園(松連寺跡)・・・鎌倉幕府の御願寺であった真慈悲寺があったと推定されるが、その後この地に松連寺という寺院が建立された。この寺は江戸時代中期に、小田原藩主大久保加賀守忠増の夫人であった元長尼が、徳川家康の長男・信康追悼のために再興したことで知られている・・・明治20年(1887)に百草出身の貿易商青木角蔵が、庭園百草園として一般に公開し、北村透谷、徳富蘆花、そして若山牧水ら多くの著名人が訪れた・・・」とある。
この庭園で若山牧水が詠んだという三つの短歌が刻まれた大きな碑が建っている。
 


散策路の脇には、「志ばらくは 花の上(もと)なる 月夜かな」という芭蕉の句が岩に刻まれている。
この公園をゆっくり散策してみると、たしかに「百草園は常に四季の草花に彩られていて、訪れる人を飽きさせない」といううたい文句が納得できる。
百草園に隣設したところにひっそりと百草八幡神社が建っている。
源頼義・頼家が康平5年(1062)の奥州征伐の時、百草園の松連寺に立ち寄り、武運長久を祈祷して八幡大菩薩木像を奉納したのがはじまりという。
 

最後に訪れた高幡不動尊は、正式名が高幡山金剛寺、真言宗の立派なお寺で関東三不動のひとつにもなっている。
平安初期に慈覚大師円仁が開いたと伝えられ、都内唯一の鎌倉時代の遺構とされる不動堂、昇り龍の天井画が描かれた大日堂や五重塔など見るものも多い。
日野出身の新撰組・土方歳三の像が、訪れた人々にしっかりお祈りしなさいと睨みを利かしている。
  

この曲この一枚 その19 タリアヴィーニの魅力(いくつかのアルバムから)

2011年02月03日 | この曲この一枚
  

タリアヴィーニ(1913~1995年)はイタリアの名テノール歌手という陳腐な表現よりも、「日本で最も愛された類い稀なる美声の持ち主」という言葉がぴったりと当てはまる歌い手だった。
歌の上手い下手などはどうでもよく、甘く人の心の中に忍び込んでくる歌声に酔いしれてしまうという、全く他に類が無い存在だったと言いたい。
オペラ・アリア集のアルバムの中では、歌劇「愛の妙薬」(ドニゼッティ)の有名なアリア「人知れぬ涙」がとにかく素晴らしい。
彼の十八番と言っても良いもので、何度聴いても聴き惚れてしまうこと請け合い。
歌劇「ボエーム」はプッチーニの最高傑作というよりも、あらゆるオペラの中で最も好きな作品と言っても良いもので、彼がロドルフォを歌っているCDが残されているのも嬉しい。
愛する名歌手タリアヴィーニは、「この曲この一枚」の中にどうしても残したい忘れ難い歌手の一人。
・フェルッチョ・タリアヴィーニ<T>「「オペラ・アリア&ナポリ民謡集」<RCA>
・サンティーニ指揮、トリノイタリア放送管弦楽団、カルテリ<S>、タリアヴィーニ<T>、タッデイ<Br> <CETRA>
とっておきの名盤 その148 プッチーニ 歌劇「ボエーム」