コース満足度★★★★
地下鉄江戸川橋駅→子育地蔵尊(地蔵通り)→赤城神社→筑土八幡神社→軽子坂・神楽坂の横丁→毘沙門天(善国寺)→宮城道雄記念館→東京日仏学院→JR飯田橋駅
江戸時代に六ヶ所あったという花柳界は、現在では東京六花街とも呼ばれていて、新橋、赤坂、神楽坂、葭町、向島、浅草のことを言うらしい。
今でも粋な風情を感じさせるという場所、神楽坂の横丁を歩いてみようと家を出る。
まずは庶民的な商店街のある地蔵通りを目指す、そこは「地蔵横丁」とも呼ばれていたという。
通りの入口にあるのが子育地蔵、ここでお参りしてから散歩を始める。
正安2年(1300)に群馬県宮城村の分社として建てられたという赤城神社を訪れる。
祭神として磐筒之男神と赤城姫命が祀られているが、境内には蛍雪天神もあり菅原道真(学問の神様)が頼みの綱なのか、合格祈願の絵馬がたくさんかかっている。
神楽坂の方へ足を進めると、江戸城主上杉氏の城郭があったという築土八幡神社が見えてくる。
築土の意味が分からなかったので調べてみると、筑紫宇佐八幡宮の土を取り寄せたことにあるという。
境内には良く知られた小学校唱歌をたくさん作曲した田村虎蔵の顕彰碑が建っている。
「まさかりかついだ・・・」で始まる金太郎の楽譜が刻まれていて、見ていると自然に声を出して唄ってしまう。
境内に二匹の猿の庚申塔があり、三猿ではなく二猿の牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点がきわめて珍しい。
いよいよ今回の目的地、軽子坂という名前がつく神楽坂横町へと向かう。
かつて船荷を下す「軽子」と呼ばれる荷役夫たちが、付近に多く住んでいたことからその名前が付いたという。
神楽坂界隈の横町にそれると石畳の道が現れ、歩いていると料亭の脇から粋な神楽坂芸者がふと現れるような錯覚にとらわれてしまう。
このあたりは小さな店が多く、多くの観光客が横町のぶらぶら歩きを楽しんでいる。
横町を出ると、「神楽坂の毘沙門天さん」で有名な善國寺が目に入る。
家康の命を受け文禄4年(1595)に麹町に創建されたが度重なる火災に遭い、寛政4年(1792)にこの地へ移転している。
この辺りは明治末期より大正初期まで新しい東京の盛り場として賑わい、特に善国寺毘沙門天の縁日は人ごみも激しく、夜店の発祥の地だったという。
少し足を進めると、道路わきに泉鏡花・北原白秋旧居跡と刻まれた石碑が建っている。
この先にある宮城道雄記念館を楽しみにしていたのだが、休館日で入れなかったのが心残りでもあり、機会を見てまた訪れようという気持ちにさせる所、そんな街が神楽坂だと思う。
地下鉄江戸川橋駅→子育地蔵尊(地蔵通り)→赤城神社→筑土八幡神社→軽子坂・神楽坂の横丁→毘沙門天(善国寺)→宮城道雄記念館→東京日仏学院→JR飯田橋駅
江戸時代に六ヶ所あったという花柳界は、現在では東京六花街とも呼ばれていて、新橋、赤坂、神楽坂、葭町、向島、浅草のことを言うらしい。
今でも粋な風情を感じさせるという場所、神楽坂の横丁を歩いてみようと家を出る。
まずは庶民的な商店街のある地蔵通りを目指す、そこは「地蔵横丁」とも呼ばれていたという。
通りの入口にあるのが子育地蔵、ここでお参りしてから散歩を始める。
正安2年(1300)に群馬県宮城村の分社として建てられたという赤城神社を訪れる。
祭神として磐筒之男神と赤城姫命が祀られているが、境内には蛍雪天神もあり菅原道真(学問の神様)が頼みの綱なのか、合格祈願の絵馬がたくさんかかっている。
神楽坂の方へ足を進めると、江戸城主上杉氏の城郭があったという築土八幡神社が見えてくる。
築土の意味が分からなかったので調べてみると、筑紫宇佐八幡宮の土を取り寄せたことにあるという。
境内には良く知られた小学校唱歌をたくさん作曲した田村虎蔵の顕彰碑が建っている。
「まさかりかついだ・・・」で始まる金太郎の楽譜が刻まれていて、見ていると自然に声を出して唄ってしまう。
境内に二匹の猿の庚申塔があり、三猿ではなく二猿の牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点がきわめて珍しい。
いよいよ今回の目的地、軽子坂という名前がつく神楽坂横町へと向かう。
かつて船荷を下す「軽子」と呼ばれる荷役夫たちが、付近に多く住んでいたことからその名前が付いたという。
神楽坂界隈の横町にそれると石畳の道が現れ、歩いていると料亭の脇から粋な神楽坂芸者がふと現れるような錯覚にとらわれてしまう。
このあたりは小さな店が多く、多くの観光客が横町のぶらぶら歩きを楽しんでいる。
横町を出ると、「神楽坂の毘沙門天さん」で有名な善國寺が目に入る。
家康の命を受け文禄4年(1595)に麹町に創建されたが度重なる火災に遭い、寛政4年(1792)にこの地へ移転している。
この辺りは明治末期より大正初期まで新しい東京の盛り場として賑わい、特に善国寺毘沙門天の縁日は人ごみも激しく、夜店の発祥の地だったという。
少し足を進めると、道路わきに泉鏡花・北原白秋旧居跡と刻まれた石碑が建っている。
この先にある宮城道雄記念館を楽しみにしていたのだが、休館日で入れなかったのが心残りでもあり、機会を見てまた訪れようという気持ちにさせる所、そんな街が神楽坂だと思う。